第08話 まつと、まつ

 彼女は中学校の下校途中、よく町の野良猫をみつけては、じっと見て、それからスマホで写真を撮る。

いい写真が撮れると、こっちのスマホにも送ってくれる。彼女いわく、写真を送ってくれることを「富の分配」と言っていた。

それについての捕捉の説明はなく、また彼女は他の猫をみつけて、近づいてゆく。

 じっと見てから、写真を撮る。

 あいかわず、学校で彼女が他の生徒としゃべっているとこをあまり見たことがない、それでも彼女は平気そうだった。いつも眠そうな目をしているけど、眠くはないらしい。

 ある日の授業で、その日は一日中、陽気がよく、クラスのほとんどが、あくびを繰り返し、居眠り気味に授業を受けていた。なのに、彼女は、ふだん通りだった。あくびひとつせず、すらすらのノートをとっていた。

 彼女が猫の写真を送って来るのは決まって、下校途中の時間帯に限られていた。学校帰りに町で野良猫をみつけては、スマホで撮った猫をするりとこっちのスマホへ送って来る。時々は一緒に下校するカタチになることもあるし、偶然、野良猫を観察している彼女に遭遇することもある。

 下校途中以外には、彼女とふたりでいることもないし、学校内では話すこともあまりない。そして、その下校途中の約二十分の間以外、じつは、こっちのスマホに彼女から猫の写真が送られてくるがなかった。

 こっちから彼女のスマホにメッセージを送ったりもしなかった。こころの底から、送っていいのかが、わからない。

 ただし、その夜、この状況を一変させかねない事件が起る。

 土曜日に、両親と親戚のおばさん夫婦の家にいった。そのおばさん夫婦は、最近、猫を飼い始めていた。それも、まだ子猫だった。色は白く、ひたいに、うっすら灰色のM字の模様がある。事件は夕ご飯の後に起こった。ふと、タオルの敷かれた籠の上にいる子猫を見る。眠っていた。

 その子猫の鼻から、まるい、鼻ちょうちんが出来ていた。かなり大きく、それがぶるぶると震えていた。

 これは撮らねばいけない。後世に残すために。

 とっさに、ジャーナリズムみたいな装置が発動して、それをスマホで写真に収める。撮ると、鼻ちょうちんは、しずかに子猫の鼻に吸収されて消えてしまった。よしよし、現場はおさえたぞ、という大きな喜びに包まれる。

 問題はその後だった。果たして、この写真を彼女へ送るべきか、どうか。

 も、いまは下校途中じゃない、土曜だった。土曜の夜だ。

 そこのところはどうなんだろう、スマホでの写真のやりとりは下校途中にしかしたことがない。でも、この歴史的一枚を、いますぐ見て欲しい。

 送っていいのか。どうなんだ。

 ひとりうなり、そうこう迷っているうちに、おばさんの家からも引き上げる時間になった。家に帰り、そのまま夜はふかまってゆく。

 どうしよう、写真を、送ろうか、送っていいのか、いやいやいや。

 と、けっきょく、その迷いは深夜まで続いた。そうして気づけば夜中の一時だった。さすがにこの時間を送るのは、どうだろう。クレイジーな人と思われたくはない。

 なら、朝だ。朝ならだいじょうぶだ、朝に送るならふつうの人だ。ふつだ、ふつうだ。

 よし、ゴールは見えた。

 朝送ろう、決めて、もう眠ることにした。お風呂に入り、歯を磨き、明りを消して、布団に入る。

 そして、とうぜんのように眠れない。目を閉じても、眠気がはつどうしない。

 朝、写真を送る。送るんだ、朝に。朝になったら送るんだ、と思えば思うほど眠れない。

 だいたい、朝に送るといっても、日曜の朝はあたりまえだけど、下校途中じゃない。それって、いいのか、下校途中じゃなくても、写真を送っても、いいんだろうか。

 うなり、それでも気合を入れて眠りに入る。

 なんとか寝付けた。と思って、目を覚ます。スマホの時計を見ると午前三時ちょうどだった。

 午前三時。

 午前三時って。

 朝といえば朝なのか。

 いやいやいやいやいやいや、たとえ、せかいの仕組みが午前三時を朝としたとして、写真を送ったりするには、この世で一番狂っている人と思わわれる時間帯だった。

 落ち着け、もう少し寝るべし寝るべし。そうさ、眠れるさ、きみは、きっと眠れるさ。と、じぶんへ言い聞かせる。そうだ、眠れる、きみは、眠れるよ、眠れ、おのれ、眠れ、おのれ。

 あたまのなかで呪文みたいにとなえる。

 さあ、眠るぞ。

 そう意気込んだ。けど、すぐに振り出しへ戻る、写真を送る瞬間を想像して、もうまったく眠れない。

 けっきょく、布団の中でスマホをひらいて、何度も読んだ冒険漫画を読み直す。こうなれば、持久戦だった。持久戦なんて、やったことないけど、持久戦だ。

 ひたすら、写真を送るにふさわしい朝に、この朝が育つまで待つことにする。待っていれば、朝はかならずやってくる、それが朝だ。

しとうのすえ、やがて朝の八時になった。窓の外に太陽もいる。そして、ずっと冒険漫画を読んでいたせいか、妙な勇気をもってしまっていた。

 さあ、朝だ。まちぎれなく朝である。これを朝といわずして、なにを朝という。

 そして、八時だ。日曜の朝八時だったら、アニメもやってるし、起きてても、おかしな時間じゃないはず。

そう考え、子猫の鼻ちょうちんの写真を彼女へ送る。

 すぐに巨大な後悔が攻めて来た。いや、こんな日曜の早朝に猫の写真を送るなんて、なんと常識をかいていることか。しくじっている、ダメにんげんの完成だ。

 そして、すぐに画像は既読になる。

 彼女からメッセージも返って来た。

『おはよう』

 それから、メッセージは続いた。

『平日以外、猫』

 さらに、メッセージは続く。

『まって、ました』

 ひと安心した。でも、さらさらにメッセージが来た。

『猫の良さに、休息はない』

 どこか、新人教育を感じないでもないのが返ってきた。

『はげめよ』

 師匠なのか、立場は。

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