田原総一朗・あそこで間違った

中島カツウラ

田原総一朗・あそこで間違った

① 《俺は田原だ》


俺は田原だ。

日本を良くしようと思っている。


今日も俺は討論番組の司会で忙しい。

俺の他に司会ができる人間がいないからだ。

俺はこの仕事を30年以上もやっている。

いいかげん誰かに代わってほしい。


今日の番組のテーマは、「若者と政治」についてだ。

俺は選挙の投票率が上がらないことにイライラしている。

それでは日本は良くならない。

今の若いヤツはなぜ選挙に行かないのだ?

外国の若者は、集まれば必ず政治の話をするのに、なぜ日本の若者はアニメやゲームの話ばかりしているのだ?


俺は若いパネリストにこの問題を訊いた。

「尾多妻浩紀さん、どうして日本の若者は政治に関心がないのかな? なんでみんな選挙に行かないの?」

「そんなこと、なんで僕に訊くんですか?」

「君が若いからだよ。若者の気持ちに近いだろう、若いんだから」

「僕は50ですよ」

まさか! 尾多妻が50歳だって?

俺は耳を疑った。尾多妻浩紀は50歳。飛矢台真司は還暦を過ぎているらしい。

時が経つのは早いものだ。

しかし、それでは、若者の気持ちは誰に訊いたらいいのだ?


「そんなに選挙が重要でしょうか?」

誰かが言った。

意見を言うのは俺が当ててからにしろ、と思ってパネリストの顔をにらんでやった。

見たことがない顔だ。

眉毛が濃くて鼻筋がハッキリ通っている。美しい顔だ。

「えっと、誰だっけ?」

「麦山音夫です」

麦山? 聞いたことがない名前だ。

彼の顔をもう一度見た。パネリストの中で一番若い。

これだけの美形だ。俺が知らないだけで、きっと、若い人の間では有名人なのだろう。

「僕だって、もちろん選挙は重要だと思いますけど、もっと大切な事があるんです」

選挙より重要な事?

それはもちろん、人間それぞれ、重要な事はあるだろう。

俺だって選挙がすべてだとは思っていない。

「君にとって何が重要なのかな? 君はこの番組で何を議論しに来たの?」

「僕、谷絹枝ちゃんから、夏村今子さんの小説を借りたんですけど、まだ読めてないんです。会社が忙しくて読めないんです。日本の社会には問題があります」

そうか。

小説が好きなのか。

俺だって小説は好きだ。それどころか若い頃は小説家になろうと思っていたくらいだ。

きっと若い彼は会社に入ってから時間が経っていないのだろう。まだ仕事に慣れていなくて、毎晩帰りが遅くなってしまうのだろう。

しかし、しかしだ、今、小説なんか読んでる場合だろうか?

研修と残業と終電の混雑で疲れ果てて帰ってきて、風呂に入ってご飯を食べて、それからベッドに入って眠る。

そんな毎日に、なんとかしてわずかに作った隙間隙間のあまりにも貴重な時間、彼は、彼は、その時間に小説なんか読むのかよ?

新聞を読めよ。

ニュースを見ろよ。

世界中にウイルスが拡がり、大国の大統領が侵略戦争を始めた。

こんな時に、小説だとお?


「あたしにも言わせて下さい」

また誰かが言った。

今度は若い女性だ。これまた美形だ。しかも、どこか愛嬌のある顔だ。

俺が若ければ一目惚れしてしまうだろう。

「えっと、誰だっけ?」

「絹です。谷絹枝です」

「ああ。君が谷さんか。この番組で何を話し合いたいんだね。ウイルスについてかね、それともウクライナ?」

「ゼルスの電撃を彼と一緒にやりたいんだけど、彼は忙しくてゲームができないんです。日本の社会には問題があります」

はあ?

ゲーム?

なんでゲームだ? お前はいくつだ?

いい大人がゲームなんかやらなくていいよ。

「あたしはもうゼル電は終わりまでやっちゃったんです。今度はパルソナファイブロイヤルをやりたいんです。そして彼と一緒にたくさんパルソナファイブについての話をしたいんです。でも彼はパルソナフォーまでしかやってないんですよ」

知らねーよ。

そんなことがなぜ重要なんだ?

「バカな。もっと他に考える事があるだろう。貴志田総理についてはどう思いますか? 弱すぎる野党については? 二酸化炭素の削減については? 若い人はどうして政治に関心がないのかなあ?」

「僕には僕の問題があるんですっ!」麦山クンが言った。

「あたしにはあたしの問題があるんですよっ!」絹枝ちゃんが言った。

俺は頭がクラクラしてきた。

今、地球は危機だ。

今、世界は危機だ。

今、日本は危機だ。

それなのに、なぜ、このバカな若者二人には、この麦と絹には、なぜ、なぜ、俺の言葉が通じないんだ?






② 《魔法使い飛矢台》


俺は頭がクラクラしてきた。

すると、司会席のすぐ左横に、ブラックホールのような暗闇が出現した。

その暗闇から、黒いマントに身を包み、おしゃれなメガネをかけた、いかにも頭の良さそうな男が出てきた。

「だ、誰だ、お前は?」

「僕ですよ、田原さん」

よく見ると、それは飛矢台真司だった。

この男ももう還暦過ぎなのか。しばらく見ないうちに腹が出てきている。

それにしても、その変なコスプレはなんだ? 悪魔か? それとも魔法使いか何かのつもりか?

「討論がうまくいっていないようですね、田原さん?」

「今、立て直してるところだ。くだらないパネリストがくだらない意見を言うから、番組のリズムが乱れてしまっている。だが俺は名司会者だ。すぐに討論の対立軸を作りなおして、いい番組にしてみせる。まあ、そこで見ていたまえ」

「あなたと何を討論するんです? あなたに討論番組なんか作れませんよ」

こいつは何を言い出したんだあ?

俺はこいつだけは許せなかった。90年代にこいつが社会学者として有名になり始めてから、ずっと気に入らない。

俺に討論番組が作れないだと? 誰に向かって言ってるんだ?

「言うじゃないか飛矢台っ。何故だ、何故そう思う? どうして俺には討論番組が作れないんだ?」

「それはあなたが、日本に関心がないからだよ」

な、な、な、なんだとお。

俺は日本を良くしようと思って、ここまで頑張ってきたんだ。

俺の総ての関心は日本を良くすることに向けられている。

それをこの男は、こともあろうに、俺をつかまえて「日本に関心がない」などとほざきやがった。

「出ていけ、飛矢台、出ていけバカ学者っ、ここは俺の番組だ。お前なんか出て行けっ」

頭がクラクラしてきた。

俺はバカな連中からバカな事を連続して言われて、疲れ切ってしまった。

少し休みたいが、ここで番組を終わらせたら、飛矢台の思うつぼだ。

一瞬だけ誰かに司会を代わってもらおう。

鉄宮崎矢はいないか。寿憲市でもいい。

しかし、二人ともネットの他の討論番組に出ていて、しばらくこの番組には来ていなかった。この番組も堕ちたものだ。

俺はしかたなく、尾多妻浩紀の方を見た。

「尾多妻さん、しばらく司会を代わってくれ」

「司会ならやりたいですね。僕のやりたいようにやらせてくれれば引き受けますよ」

「テーマを変えなければ、やり方は君のやり方でいいよ」

「テーマも変えていいですか。若者と政治ではなく、若者とレバンゲリオンについてではダメですか?」

はあ?

レバンゲリオンだとお?

またアニメかっ。50歳の男が、日本を代表する思想家が、アニメについて討論したいだとおっ。

いったい、日本はどうなってしまったんだ?

クラクラを通り越して激しい頭痛が始まった。

椅子から転げ落ちそうになった。

俺は右腕を伸ばして、何かをつかもうとしたが、そこには空気しかなかった。

俺は左腕を伸ばして、何かをつかもうとしたが、そこには、魔法使い飛矢台が作りだした、暗闇があった。

俺は暗闇をつかんでしまった。一瞬ののち、すごい力で暗闇に吸い込まれた。

「うわあああああっ!」

「フッフッフ、堕ちたな、田原総一朗っ!」

遠のく意識の中、飛矢台の冷たい声が聞こえた。





③ 《時間旅行》


気が付くと俺はテレビ局のスタジオで、椅子に座っていた。

どうやら座ったまま意識を失っていたらしい。

いったい、どれくらいの時間が経過したんだろう。

「田原さんはどう思いますか?」

俺の横の女性が俺に訊いた。

ん? 何を訊かれてるんだ? 訊かれたのは俺だよな。何か答えなきゃ。

いや、待て。

隣のこの女性は、葉竹惠子キャスターだ。確かもうテレビの仕事はしていないはずだ。

「いやー、田原さん、わたしも、アニメには詳しくないんですわ」

葉竹の向こうで関西なまりの男がしゃべった。

こ、こいつは、島場島之助だ。

こいつだってもう、テレビには出ていないはずだ。

ここはどこだ? 今はいつだ? 俺はいったいどうしてしまったんだ?

「田原さんはレバンゲリオンを見たことはありますか?」

いや、待て、とにかく答えなくては。

ここは俺の番組だ。そして俺は今、意見を求められている。とにかく意見を言わなくては。

自分がどこにいるのかもわからないのに、俺はテレビマンの本能として、ここでコメントが途切れて番組が壊れてしまう事を一番に恐れた。

「えー、アレですね、えー、レバンゲリオンはですね、えー」

何も答えられるわけがない。

俺はレバンゲリオンを見ていないのだ。

「フッフッフッ、ずいぶんお困りのようですな」

俺の左横に、またあの、指輪物語の劣化コピーが現れた。

「飛矢台っ、貴様の仕業かっ。ここはどこだっ」

「1995年。サタデープロダクトのスタジオです」

1995年だと? 俺はこのコスプレ魔法使いの魔法で、タイムスリップしたというのか?

「田原さん、田原さん、田原さんはどう思いますか?」

葉竹惠子キャスターがしつこく訊いた。俺はあやうく「アニメのことなんか知るかっ」と言いそうになった。ダメだ。俺は天下の田原総一朗。意見を聞かれているのだから、答えないと。

「げ、月末っ、月末っ、こ、この問題は月末にやりますっ。僕はね、島之助さん、レバンゲリオンは大好きなんだけど、あのアニメは難解だからね、ちょっとサタプロでは時間が短いから。月末金曜日の討論まで待ってくれ。もう一度全部見直してから論じたいんだよ」

「何言うてるんですか田原さん。今日、土曜日で、月末金曜まで一週間もありませんよ。レバンゲリオン全部見られるんですか?」

「見る。もちろん見る。僕は全部見るっ」


俺は、テレビ局を出てタクシーを拾い、途中、渋谷のツタヤでレバンゲリオンのビデオを全巻借り、家に帰って徹夜で全部見た。(DVDで借りようと思ったが1995年なのでビデオテープしかなかった)


レバンゲリオンには、息子を叱ってばかりいる𠮟理ゲンゴロウという父親が出てくる。

𠮟理は地球の人間全員を赤いレバーにしてしまう計画を考えている。

最終的には全てのレバーをくっつけて、地球人全員を1つの巨大なレバーにしてしまうというのが、彼のライフワーク「人類レバー計画」だ。

彼が社長をつとめる〈いきなりレバー焼肉〉は全国チェーンに成長し、人々は安くておいしいレバーを毎日食べるようになる。

「父さんはまちがってる!」

叱られてばかりの𠮟理の息子、𠮟理シンジロウが叫んだ。

「人類全体を1つのレバーにしたって、父さんの孤独は消えないよっ」

「シンジロウよ。世界は変わらなければダメだ。人間は変わらなければダメだ」

「父さんは間違ってる!」

俺はこのアニメを、食い入るように見た。

名作だ。

なるほど、尾多妻が夢中になるわけだ。

「みんな、レバーなんか食べるな。それは父さんの罠なんだっ」

「食べろ、人類、もっとレバーを食べろぉー」

「食べちゃダメだ、食べちゃダメだ」

気が付くと俺は、アニメを見ながら涙を流していた。


〈世界は変わらなければダメだ〉という父親の気持ちと、

〈世界はこのままでいい。この世界を守りたい〉という息子の気持ちの、

その両方の気持ちがよくわかったからだ。

俺は世界を変えたい。日本を変えたい。

しかし同時に俺は、この世界が好きだ。この日本が好きなのだ。変わってほしくないのだ。


感動覚めやらぬまま、俺は渋谷のツタヤにビデオを返却しに行った。

ふと見ると、坂道の上の方から若い女性が下ってくる。

その後ろから、小太りの男が女性を走って追いかけている。

「待って待って。取材をするだけだ。別に警察に言ったりしない。君たちがやっている事を話してほしいだけだよ」

若い女性は俺の方に走ってきた。女性は俺の背中に隠れた。

「助けてくださいっ」

女性は若かった。若すぎた。少女だった。

俺は少女に「大丈夫だよ」と言って、追ってきた小太りの男をにらみつけた。

俺にはわかっていた。

この、少女に対して取材を申し込んでいる小太りの男は、藤樹善男だ。90年代に、飛矢台の相棒として、女子高生の援助交際を調べていたジャーナリストだ。

「どいてくれ、おっさん。俺はジャーナリストだ。この子を取材しようとしているだけだ」

「ハハハ。ジャーナリストか。実はな、俺もジャーナリストだ。取材は俺がする。君はもう帰れ」

藤樹は、俺が田原総一朗だと気付いたようだ。あっけにとられている彼の隙をついて、俺は素早くタクシーを拾い、少女を乗せた。


「どこに行くの?」少女が訊ねた。

「家まで送る」

「帰りたくない。ねえ、おじさん、カラオケに行こうよ」

「ダメだ。帰りなさい」

少女は涙を流している。よほど帰りたくないらしい。

「家が嫌いなのか?」俺は訊いた。

「大嫌い」

「だけど、夜の渋谷は危ないよ。君は家よりもあの街にいたいのか?」

「家に帰りたくない。渋谷に朝までいる」

「渋谷で夜を過ごすには金がかかる。その金をどうする? 売春で稼ぐのか?」

「売春なんかしてません」

この時期、デートクラブの援助交際で金を得ていた女子高生たちのうち、本当に売春までやっていたのは2割くらいだ。飛矢台の本に書いてあった数字を俺は思い出していた。

「どうして帰りたくないんだ?」俺はジャーナリストと言うより父親の口調になっていた。俺にも子供がいるから。

「家に帰れば、“いい子”でいなければならないの。本当のあたしじゃなくなるの。パパもママも、本当のあたしなんか、いらないのよ」

「『僕はいらない子なんでしょ』って、レバンゲリオンのシンジロウが言っていたな」

「あたしはいらない子なんだよ。あたしはシンジロウなんだよ」

俺にはこの子を家に送り届ける事しかできない。

俺は少女にそう説明した。

少女は怒っていた。それも当然の気がした。

「飛矢台真司を知ってるか?」

「知ってる。あたしたちのこと調べてる。友達が何人も、飛矢台の取材を受けたよ」

「彼の電話番号を知ってるよ。彼に電話しなさい。ただし家の電話からだ。家に帰って、飛矢台に電話で相談しなさい」

俺は手帳に番号を書いて、頁を破って少女に渡した。

俺は悔しかった。

この少女は、飛矢台には相談できるが、俺には相談してくれない。

それが少女の判断だったし、その判断は正しかった。




④《パルソナファイブ》


援交少女の家は調布にあった。

俺は少女が家に入るのを見届けてから、またタクシーに戻った。

座席からふとフロントガラスを見ると、調布の夜の闇よりもっと暗い暗闇が、車を覆っている。

しまった。

また魔法使い飛矢台だ。

失敗コスプレの黒いマントが車の横に現れた。

「フッフッフ。反省したようだな田原。現代に戻してやる。しかし、お前にはまだ反省が足りないのだ」

暗闇のかたまりが車内まで入り込んできた。タクシー全体がグラグラ揺れた。

運転手が慌ててドアを開けた。

俺は車の外に飛び出した。


どのくらい時間が経っただろう。

気が付くと夜もだいぶ更けて、俺は調布駅前の調布パルコの横で歩道に倒れていた。

フラフラと駅に向かって歩いた。

水木しげるの妖怪の像があったり、「ようこそ映画の街へ」と書かれた調布市全体のイラスト地図があったりした。1995年にはこんなものはなかったはずだから、俺は魔法使い飛矢台が言ったとおり、現代に戻ってきたらしい。


もう一度パルコの方を見ると、女性が一人立っていた。

美人だ。

討論番組に出ていたあの女性だ。

確か、谷絹枝といったな。

「こんばんは、谷さん」

「こんばんは、田原さん」

「彼を……麦山クンを待ってるのかい?」

「待ってましたけど、もう待てません。きっと、会社に泊まるんだと思う」

「僕も若い頃は家に帰らずに仕事をしていた。男はそういうもんだよ」

自分の言っていることが古い話だとはわかっていた。若い女性と話すのは本当に難しい。

俺は彼女を家まで送る事にした。


家まで送ろう、とつい言ってしまったが、俺の判断は間違っていた。

彼女が彼と住んでいる部屋は多摩川の近くで、駅から歩いて30分かかった。

80代の老人に、あまりに酷な苦行ではないか。

「疲れたでしょう、田原さん。ちょっと部屋で休んでいきませんか」

「彼がいないときに、男を連れ込んでいいのかね?」

「男だと思ってませんから」

はっきり言うなあ。

まあ、そうだろうが。

俺は彼らの部屋に入れてもらった。

二部屋しかない、せまい棲家だった。

本棚に小説がたくさん並んでいた。

本の背表紙のタイトルを眺めている間に、俺は眠くなり、座ったまま眠ってしまった。


ビシッ、バシッ、ドスッ、という音で目が覚めた。

谷絹枝が、テレビの前でゲームをやっている。

俺は寝起きの目をこすりながら、ゲーム画面を見てみた。

「これは?」

「〈パルソナファイブ〉の旧バージョンです」

「確か、君が次にやりたいって言っていたゲームだね」

「ちがいます。それはパルソナファイブロイヤルです。これはパルソナファイブです」

どう違うんだ。

さっぱりわからない。

なんだか、サーカスのようなコスチュームを着た少年と少女が、悪い怪獣をやっつけている。

銃で撃ったり、火炎放射で焼いたり、女の子がやるには随分残酷なゲームだ。

「なんか、暴力的だね。ゲームって、こんな荒っぽいものばかりなのかい?」

「いいから、黙って見ていてください」

最初に見ていた部分はバトル画面で、そこは残酷だったのだが、しばらくすると、アニメのストーリー画面になった。

日本のアニメは美しい。こんなに美しい絵は、他のどこの国のアニメーターでも描けないだろう。

俺は画面に見入ってしまった。


パルソナファイブには斜堂心造という総理大臣が出てくる。

国民には人気の総理だ。

ゲームの主人公である高校生たちは、この強い総理大臣と戦う。

そして見事、勝利をおさめる。


このゲームが売り出されたのは2016年らしい。

当時は田部総理の時代で、メディア規制が強かった。

テレビも新聞も、みんな、田部総理の政策を評価し、総理に逆らうジャーナリストは仕事がなくなった。

俺が尊敬していた、あの人も、あの人も、みんな、総理を批判し、テレビに出られなくなった。

パルソナファイブはそんな時代に発売された「高校生が総理に逆らう」ゲームなのだ。


「この世直し高校生たちは、斜堂総理に勝てるのかい?」俺は谷絹枝に訊いた。

「ゲームを正しく進めれば勝てます」絹枝が答えた。

「正しくとは? このゲームの中では何が正しいんだ?」

「人を信じる気持ちですよ。大衆が、最後には目を覚まして、悪い総理から離れて、高校生たちを応援し始めるんです。田原さん、正しいのは、人を信じる気持ちですよ」

まさか。

学生が総理に勝つだと?

俺だって若い頃、安保に反対して、国会の周りでデモをやった。

しかし、俺たちは総理には勝てなかった。

しかも、学生たちの〈正義〉は怪しいものだった。

人を信じる気持ち?

戦う学生どうし、仲間を信じ合う?

大衆が、人気者の総理より、学生を応援する?

そんなことはありえない。

学生は敗北するよ。

総理が勝つよ。

ジャーナリストは敗北するよ。

総理の権力で番組を失うよ。

「谷さん……」

「なんですか?」

「このゲームを作った人たちは、総理が怖くなかったのかな? これは総理大臣をやっつけるゲームだよね。こんなゲームがあるって当時の田部総理にバレたら、自分たちも仕事を失うって思わなかったのかな?」

「大丈夫ですよ。偉い人たちはゲームのことなんか知りませんから」

「知らないか……」

「だって田原さんだって知らなかったでしょう」

知らなかった。

権力と戦う学生の話。

そのゲームを、たくさんの若者たちが、楽しんでいた。

いや。

彼らは……

きっと彼らは、主人公たちと一緒に、悪い総理大臣と戦っていたのだ。

しかも田部総理の時代に!


ゲームは最初のクライマックスシーンに入っていた。

殺されたと思っていた高校生は、実は生きていた。

渋谷のスクランブル交差点。

たくさんのビルの大きな画面に、主人公たちのシルエットが映された。

渋谷の人々が液晶巨大スクリーンを見上げて叫んだ。

「あいつらだ。帰ってきた。俺たちが忘れていたあの高校生たちだ。嗚呼。どうして俺たちはあの高校生たちを忘れる事が出来たんだろう? 俺たちは斜堂総理にごまかされていたんだ。あの高校生たちに、何度も何度も勇気をもらったのに、どうしてそれを忘れていたんだろう」


俺は泣いていた。

レバンゲリオンを見て泣いたように、パルソナファイブのクライマックスを見て泣いていた。


「いいゲームでしょ?」谷絹枝が言った。

「ありがとう。いい作品を教えてもらったよ」

谷絹枝は、このゲームにはまだまだ続きがあるので、田原さんもやってみないかと誘ってくれた。

俺は、必ずゲーム機とゲームソフトを買って自分で最初からやってみる、と約束した。

俺にコントローラーの操作が憶えられるかどうか、かなり不安だったが、いざとなったら娘に手伝ってもらえばいい。

「帰らなきゃ。僕にはやらなきゃならないことがある」

「田原さん、渋谷のビルの画面に映ったシルエットは、あれは、田原さんですよ」

はあ?

どういう意味だ?

「あれは田原さんですよ。あのシルエットは」

「あれは世直し高校生たちだろ。僕は80を超えた老人ですよ」

「あれは田原さんですよ。あれは田原さんですよ」


俺は谷絹枝と麦山音夫の住むマンションを出て、朝の多摩川沿いを歩いた。

テレビ局に電話して、番組のプロデューサーを呼んだ。

「もしもし、田原だけど。あのね、月末金曜夜の討論、1年間休むから」

プロデューサーはびっくりして、お願いだから続けてくれと懇願し始めた。

俺はずいぶん必要とされていたんだな。

「田原さんっ、1年も休んで、何をするんですか?」

「アニメをたくさん見るんだよ」俺は答えた。




⑤《アナザーワールド・アナザードリーム》


「そして司会は、1年ぶりの登場です、田原総一朗さんです!」

総合司会の若鍋アナウンサーが俺の名をコールしてくれた。

みんなが俺の顔を見て、力いっぱい拍手してくれた。


俺は司会者席に座った。

この席は俺のものだ。

再び俺のものになった。


「今日は若者と政治について話そうと思ったのですが、ちょっとテーマを変更したいと思います」

プロデューサーがさっそく両手で×を作った。

俺は無視した。

「今日は若者とサブカルチャーについて討論しようと思います。いいよね、尾多妻さん」

「サブカルチャーですか? はいはい。望むところです」俺の左の席、視聴者には上手側に見える席で、尾多妻浩紀は意外そうな顔で言った。

「田原さん、サブカルチャーなんて話できるんですか? なんにも知らないくせにさあ」

俺の右の席、下手側で、長袖のアロハシャツみたいな妙な服を着た飛矢台真司が言った。

「黙りなさい、飛矢台クン。君はシンジのくせにシンジロウについて知らないだろう」

「誰に向かって言ってるんだ。レバンゲリオンの話なら、いくらでもできるよ」

「田原さんは1年間も部屋に引きこもって、アニメを見ていたらしいですね。そんな人に討論の司会がつとまるんですか?」保守派論客の浦見ルリ子が言った。

「あなたは劇団バイバイバイの演劇を見たことがないだろう。ひきこもり当事者が作ったひきこもり演劇だ。ひきこもりをバカにするなんて、現代日本を理解してないよ」

「ふん。それは自分だろ。日本に関心なんかないくせに」飛矢台が言った。

「飛矢台クン、君は映画評論家のくせに、外国の映画ばっかりとりあげて、『花壇のような恋に落ちた』を見てないだろう。あの映画は30万人も動員したヒット作だよ」

「見てますよっ。誰に向かって口をきいてるんだ」

「田原さん、レバンゲリオン完結編は100万人動員ですよ。レバンゲリオンの話をしましょう」尾多妻が言った。

「是非やろう。君の意見が聞きたい」

若鍋アナウンサーがメモを持ってきて、俺に小声でささやいた。

「田原さん、寿憲市さんから電話がありました。途中からでも番組に参加していいか、訊いてほしいそうです」

「もちろんいいとも。特に若い人は歓迎だ。すぐに来てもらってくれ」


俺は田原だ。

俺は老人だから、君たちはもう、俺の事なんか忘れてしまったかもしれない。


俺が君たちを忘れていたように。


俺は1995年に間違えた。

君たちから離れてしまった。

でももう、今は違う。


俺は君たちを思い出した。

君たちも俺を思い出すだろう。


さあ、討論しよう。

寿も、尾多妻も、浦見も、飛矢台も、

老いも若きもいくらでもかかってこい。


朝まで議論しよう。


時間はまだたっぷりある。






















































































































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