秘める日記

砂鳥はと子

秘める日記

 校舎裏にある温室は、学園の創立から間もなくして建てられたらしかった。


 だが老朽化でそこで憩う人もおらず、私が入学した時には立入禁止になっていた。とは言っても、温室の出入り口に鍵はかかってなくて、真っ赤な三角コーンと黄色と黒のバーで囲いが作られているだけだった。


 だから侵入しようと思えばいつでもできた。そんな物好きは私くらいのものだったけど。


 温室に入ると、よく分からない植物が繁茂していた。役割を捨て去られつつあっても、成長するのを止める者はいない。


 私は古びたベンチの下にある木箱を取り出した。そこにはシャベルや小さな鉢が乱雑に放り込まれている。その下にビニールケースが置かれていた。私はそれを取り出す。


 ケースの中には一冊の大学ノート。表紙はまっさらで文字などはない。開くとそこには日記が書かれていた。俗に言う交換日記というやつで、今から十五年ほど前に書かれた物だった。


 やり取りしているのは由衣子ゆいこさんと美紗みささんという女生徒で、二人は先輩と後輩らしい。


 二人の何気ない日常がそこには綴られていた。


 友だちと服を買いに行った、妹と喧嘩した、映画を見た、新しく発売されたお菓子を食べてみたい、あの先生が怖い、空に虹が出ていた、私は美紗ちゃんが好き。私も由衣子先輩が好き。私は美紗ちゃんを愛してる。私も由衣子先輩を愛している。


 想いを寄せ合う先輩と後輩のささやかな日々が、ノートにはたくさん詰まっていた。


 それをこっそり未来の私が覗き見ている。今の二人はどうしているのだろうと考えながら。


 日記は夏休みを前に終わっていた。


 だから由衣子さんと美紗さんがどうなったかは分からないし、このノートの前や先があるかも分からない。


 この空の下、どこかで今日も愛を育む二人はいるのか。


 パラパラとノートをめくるが、答えは書かれていなかった。


 きっと青春のわずかな一ページに過ぎないのだろう。学生時代の恋が永遠に続くのなんて、ほんの一握りのカップルだけ。


 でも、けど、少しぐらいは期待したい。


 高校時代に恋をしていた二人の未来が今も繋がっていることを。


 多分、私は片方の未来をちょっとだけ見ている気がする。日記に書かれた字に見覚えがあった。でもこれはあくまでも想像で、実際には外れている可能性もあるけれど。


 私はノートをケースにしまって、また箱の下にしまい込んだ。

 

 



「第二校舎の裏にある温室ですが、取り壊されることになりました。危険なので不用意に近づかないこと」


 新学期が始まり、桜もすっかり青葉になった頃、担任の先生から通達があった。


 いよいよあの温室はなくなってしまうらしい。新しく温室が作られることもないとのこと。


 私は自分の秘密の一端がむしり取られたような、悲しい気持ちになった。


 あそこは私だけの秘密基地だったのに。


 あのノートはどうしよう。


 私が持っておくべきものではないが、そのままにしておいたら他の人の目に触れてしまう。それ以前にゴミとして捨てられてしまうかもしれない。


 私は放課後、運動部の掛け声を耳にしながら校舎裏の温室へと向かった。周りを見るが、こんなところにわざわざ来るような人もなく、喧騒も遠い。


 しましまのバーを跨いで温室の扉の前に立つ。トカゲが隙間に入り込むように、私は素早く中へと入った。


 ベンチまで行き、箱からノートを取り出す。どうしていいのか、どうすべきかは分からない。このまま放っておくこともできない。


 だってこれは由衣子さんと美紗さんの思い出だから。今は別々だったとしても、十五年前のほんの一時、二人の時間は確かに重なっていたのだから。


 取り敢えず、持ち出そう。


 私はそう決めて胸にノートが入ったケースを抱きしめて、温室を出る。


 念の為、人がいないか、見られていないか左右を確認して、息が止まった。


 少し離れたところに立つ人影。


 目が合った。私は必死に言い訳を考える。


 その人はヒールの音を鳴らし、ツカツカと私の前までやって来た。


露木つゆきさん、どうしてそこにいるの? そこは朝のホームルームで危険だから近づかないように話したはずだけれど」


 少し怒ったように私を見下ろしていたのは、担任の野崎のざき先生だった。肩の上で切りそろえた髪が春風で揺れている。


「先生、ごめんなさい」


 私は頭を下げた。


「どうしてあんなところに入ったの? もし怪我でもしたらどうするの?」


 今度は心配そうに私を見ていた。先生、ちゃんと私のことを心配してくれたんだ、と思うとその優しさにじんわり心が温かくなる。


「あの、どうしても保護したいものがあって」


「保護したいもの?」


「これです」


 私はケースを見せた。先生は思ったとおり、とても驚いて目を見開きケースを凝視していた。


「野崎先生、これご存知ないですか? このノートの持ち主知りませんか?」


「⋯⋯ただの大学ノートを見せられても持ち主なんて分からない」


 先生は私から目を逸した。


「これ、先生に渡しておきますね。野崎美紗先生。このノートを書いていたのは先生ですよね。ノートの文字、『そ』と『み』に特徴があって先生の字に似てます。その字を書いてる女の子の名前は美紗。私ずっと、ノートの持ち主の片割れは先生だと思ってました」


 私はずっと思っていたことを口にした。


「全部バレてるってことか。するどいのね、露木さん」


「そうでもありません。ノートの美紗さんの名前を見て、まず先生を思い出しました。でもこんな偶然はないって思いましたけど、一年生の時に先生の母校がうちの学校ってことを話してたし、なくはないかなって」


「確かにそのノートを書いていたのは私。それを知って露木さんはどうしたいの?」


「別にどうもしませんよ。大丈夫です。バラしたりしないですから。コピーしたりとかしてませんし。ただどうしても知りたいことがあって。聞いてもいいですか?」


「何?」


「先生と由衣子さんはどうなったんですか? 今でも由衣子さんとは⋯⋯、続いてるのかなって。もしそうだったら嬉しいなって思って。私、その日記読んでて、由衣子さんと美紗さんが今も二人で幸せだったら最高なのになって思ってます」


 女の子にしか片想いしたことがない私からしたら、由衣子さんと美紗さんの関係は羨ましい。私も日記でも何でもいいから大好きって言い合える人がほしい。そう思ったから、今も先生が由衣子さんとの関係を変わらずに保ち続けてたら、希望になるって勝手に思っている。 


「私と由衣子先輩? 疎遠になって随分たつかな。最後に会ったのは先輩が大学進学のために関西に旅立つ時。見送るために東京駅まで行ったあの日。それが最後。露木さんは私と先輩の仲が続いててほしいと言ったけど、ごめんなさい。私たちはそこまでは続かなかった」


 私の希望はあっさりと砕けてしまった。


 そんな簡単に小説や漫画みたいにいかないだろうとは思っていたけれど、現実は厳しい。厳しいな。


「どうして、続かなかったんですか?」


「遠距離になって、先輩も大学生活が忙しかったし、私も受験でばたばたしていたから、自然と連絡取らなくなったのよ。自然消滅ってやつかしら」


「由衣子さんは今、どうしてるんでしょう」


「風の噂で結婚して向こうで暮らしてるらしいってのは聞いてる」


「他人事なんですね。いえ、すみません。もっと由衣子さんとは仲いいと思ってたので、意外で」


「所詮は女子高生の他愛のない遊びだったのよ」


「遊び⋯⋯」


「がっかりさせちゃったかな」


「いえ、あの⋯⋯。ちょっとだけ残念です。『今も私の彼女です』って言われるのを期待してたから⋯⋯」


「そうね。そんな風に言えたらよかったのかもね」

 

 かくして私の秘密は散ってしまった。



 

 

 20XX年5月1日


 美紗先生、今週からGWが始まりますね。先生は何か予定がありますか?


 私は家族と旅行に出かけます。


 行き先は熱海です。


 先生にもお土産を買ってきてもいいですか? 

 


 そこまでノートに書いて閉じた。


 今、私は先生と日記を交換している。


 私が無理矢理頼んだら「口止め料ね」って笑って了承してくれた。


 私は多分先生のことが好きで、いつかは想いが叶ったらいいなって日々夢想している。


 現実は由衣子さんと先生みたいに上手くはいかないかもしれないけど、少しくらい夢を見ても罰は当たらないはず。


 先生を振り向かせてみせる、なんてそこまでの自信はないし、上手くいかなくても、私は先生とこうして日記を書いていたという思い出で生きていける気がしている。


 この日記の先にある未来はどうなってるかは分からないけれど、十五年後あたりに読み返して、あの頃は楽しかったと思える私でいたい。


 そのために私は日記を綴る。                       

 

 

 

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