甘くても辛くても

Planet_Rana

★甘くても辛くても


 物事に追われている時、それなりに現実逃避がはかどるものだけど、そこのところをぐっと抑えて今日の締め切りに立ち向かう――なんて利口な真似ができる程真面目ならこんな締め切りぎりぎりの生活を繰り返してはいないのだ。


 何が言いたいのかというと、全身が不調を訴えて「はよ寝ろ」と警鐘を鳴らそうが鳴らさまいがやってくるその日を前にして「申し訳ありません納期間に合いません無理です」と上司なり取引先に告げることは、実に勇気がいる行為だったりする。


 常日頃から仲良く付き合っている相手であればまだ可能性があるのかもしれないがそんなことはないのだ。

 それを言った時点で心がすり減る気がするし、言い出すまでに相当な体力を使用する。

 そうじゃない人もいるのかもしれないけど私にとっては少なくともそうで、なのでついさっき上司に送った渾身の謝罪メールを読み返しては誤字や誤用した言葉に気付いて呻いたりするわけなんだけど、青い鳥のように立て続けにメールを送信する訳にもいかず悶えること一時間。

 返信も反応も既読の気配も無いので最後にもう一度送信先のメールアドレスを確認して画面を閉じた。


 とはいえ、せめてこのメールが受け取られたと分かるまでは寝るわけにはいかない気がして、ぐだぐだと起きねばならぬをぶつぶつ繰り返していると、ふと目に入った本と資料と雑誌の隙間に、購入してビニールすら剥がさずに放置していた日記帳があったので手を伸ばした。


 ぐるりと回りを一周するように開封用リボンが巻かれている。

 社会生活に馴染むには日々同じことをこなすだけの精神的体力が必要だと考えて入社と同時に購入したものだった。

 ソシャゲのログインを続けることが難しいように、スケジュール管理と健康管理を徹底して自分自身に施すことはとても難しい。


 できているつもりになっているだけでビタミン剤にお世話になったり睡眠促進剤に頼ったり栄養剤を常用したりするのが悲しいかな私である。

 覚悟がないわけではない。意識が低いわけでもない。

 だから、日記を書く習慣が身につかない三日坊主ばかりの注意散漫も、日記帳を買ったまま一枚二枚書いて本棚に置いたままになることも珍しくないのだ。

 ただ、私の場合は買って満足してしまうという質の悪いタイプで、それが一冊で済んではいないということである。


 本棚に目を向ければ赤青白黒のダイアリー手帳がほぼ手つかずの状態で整然と並んでいる。

 手染みも無ければ記入箇所もまばらだ。

 四月から六月ごろまでの予定しか書き連ねられていないそれを端から手に取って並べてみると「どうして毎年同じようなことを」と不思議になるほどにページが白いままだったりした。

 毎年五月か四月が忙しくてまとめるどころではなく、以降は手が回らなくなっているのだ。


 なるほど、春は繁忙期である。気合を入れて新しいことを試みたところでほとんどが忙殺されて久しい。

 思えば算盤そろばんもピアノも筋トレも美文字レッスンも申し込むまではいいが続けられたことがなかった。

 だから私は今年の始め、毎年買っていた手帳を買うことをせず「日記帳」を買ったのである。


 日記帳と言っても日付が決まっていて毎日書くことを強要されるものではない。

 何処から描き始めても良いし何時から描き始めても構わない。

 日付記入式のそれは見開き使用にも片面使用にも対応できる優れもので最早ただのノートなのだが別に過言ではなかった。


 ぴりぴりと剥がしたリボンを机の端に放り投げ、袋を外して開くと半センチ幅のゆったりとしたグリッドが出迎える。

 上から下まで十六本の紺鼠色が妙に指触り良く刷られていて、書き込めるだけのヘッダーとフッターが確保されていた。

 普通のノートと違うところは、右上の角に日付を入れるスペースが用意されているところだろうか。


 これなら普通のノートでもよかったかもしれないと今更思いながらぺらぺらと捲ると、途中で色のついた和紙仕立ての間紙が挟まっていたりしてなかなかに手が込んでいる。

 流石大きい方のワンコインを支払っただけはあると頷きながら最後の方を開くと、白紙が用意されていた。

 ダイアリー手帳だとこの辺には六曜だったり節句だったり路線図だったりが挿入されていたりするのだけど、そういうこともなくただ真っ白である。

 このページにはヘッダーもフッターも無く、ただ二次元の白が用意されていた。


 そういえば昔買った手帳も最後の方に白紙が用意されていたけども、右上端に「MEMO」と大文字で綴られていて何とも言えない気持ちになった記憶がある。


 先に書かないでくれ。と子どもながらに思ったのだ。私のものとして手元にある手帳の中に、私が書いた文字でないものが刻まれていることに違和感があったのだ。

 今思えば日付の算用数字も表紙の平仮名やカタカナや英字だってフォントにお世話になっていたわけで、手帳の中身にそれが進出したところで侵害もなにもなくただ私のわがままに近いこだわりとかそういうモノに触れてしまっただけのことである。

 でも、最終ページをメモ書きに使うかなんて人それぞれで、結局のところそのスペースはメモに使ったりするのだけど。

 多分、使い方を強要して欲しくないと感じたのだ。

 書く前から決められたくない、と思ったのだ。それだけのことだった。


 白紙のフリースペースを撫でて、その使用意図をすでに知っている私は緩やかに日記帳を閉じた。

 白紙のままの日記帳は表紙の合成革にエンボス加工がされている。

 指で堪能しつつもしっかりと閉じて仕舞ったが、袋から剥がしたばかりの日記帳は遂に本棚をぎゅうぎゅうにしてしまった。


 書きかけのそれらを麻ひもでまとめて括る日もそう遠くないかも知れないと、既に使い物にならないダイアリー手帳を眺めながら、差し込んだばかりの日記帳だけを手元に取り戻す。

 最後の方を開いて何気なく黒ペンを手に取った。カリカリと思ったことを書き込む。


 今日一日のできごとを書き込む。

 小さな文字で溢れた箇条書きのブロックをしばらく眺めて満足して、私はそのページを惜しむことなく破り取った。


 ぐしゃぐしゃに丸めて小さくして、豆のようになったそれをポンと口に放り込む。


 なに、日本製だ、死にはしない。

 異物を飲みこんだはずの喉が流動して錠剤を水で流す様に胃へ落とす。


 さて、そろそろ深夜テンションも相まって思考回路がおかしくなってきた。

 こんなことは今回ばかりにしておこう。

 ぐじゅぐじゅと意味を成さない毛玉を紙の上に生み出して、それから最初のページを開く。

 日付だけを入れて日記帳を閉じた。


 仮閉じにしておいたメールボックスを確認すると既読無視されていた。


 ああ、確認したんだな。

 それじゃあ遅れる前提で寝ることにしようか。

 睡眠は大事だ、人の世界は根性だけでは成り立たない。

 夢想する明日が晴れ晴れとしますように、今日くらいは紙に書いた本音を飲みこんで朝を待つことにしよう。

 目覚めが昼でも夕方でも構わない。

 お仕事を片付けるよりも生きることが優先だ。私が私でいられることが最優先だ。

 死んで得られる物種はないのだから。


 水を飲んで酒を飲んで中指と薬指で喉を掻いて吐き出す中に本音はあるだろうか。

 多分ないと思うから、まあ、その時はその時で。

 拳の吐きダコを思う存分撫で回して汚い涎を拭いて、それでもとびきり美味しいものを食べて寝よう。


 窓から湿り気のある風。

 明日はきっと、私が嫌いな雨だろう。





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