普通

タニタクミ

第1話 病み始め

 「普通の家庭を築き、普通のくらしをする。」

 それがこんなにも大変なことだと、僕は思っても見なかった。

 20歳に会社を辞めてから十年間、親のスネをかじり、実家の薄暗いこの部屋のなかだけで過ごしてきたが一日もそう思わない日はなかった。

 誰でも入れる近所の小学校に通い、中学受験という選択肢などあるはずもなく普通の中学校に行き成績も真ん中くらいで運動に秀でることもなく、受験勉強もそんなに頑張った訳でもないがなんとなく選んだ高校には入れた。

 そこでも目立つこともなく普通に勉強をし、これ以上、特に学びたいこともなかったので大学には行かなかった。特に興味のない食品加工会社に就職した。

 そして僕の何となく描いた未来予想図では、このあと学生のとき褒めるのに困った先生達に言われてきた真面目という名のアイデンティティを武器に会社を勤め上げ、一般的な家庭を築き、定年になったら退職をして余生を過ごすはずだった。

 しかし、社会はそんなに甘くなかった。

 同級生たちはみんな普通の暮らしへのルートを学生のときと変わらず難なく進んでいた。

 でも、僕は違った。

 学生と社会人の一番の違いは言わずもがな責任の有無にある。そしてそれが何となく描いた僕の未来を狂わせた。責任というのは、いろいろなものに変わる。ちょっと前まで何も考えずに高校生をしてた奴が責任を負うと背負いきれないほどのプレッシャーに変わる。そのプレッシャーで手元が少しでも狂えば、自分よりも遥かに大きな責任を抱えた先輩たちの責任が嫌味や叱責に変わる。

 それでも真面目だけが自分の武器なんだと言いきかせ仕事をこなそうとするが、嫌味や叱責で膨れ上がったプレッシャーが手元どころか自分自身を狂わせた。そして、やることなす事うまく行かなくなり、今度は嫌味や叱責に耐えれなくなる。その嫌味や叱責をかわそうとして雪だるま式に失敗を重ねた。そして自分の分の責任がどんどん同じ部署の人達へと分配されていき、自分の責任は軽くなった。軽くなった分、居心地はどんどん悪くなっていった。

 そうなってからも辞めるのは良くないと一年は頑張って耐えた。そして新入社員が自分の部署にも入ってきた。しかし彼は僕みたいに何となく学生時代を過ごしてきたわけじゃなかったのだろう。次々と仕事を覚え先輩達とも仲良くなり、いつしか彼も僕の責任を分配される側にまわった。

 彼の方が入るの遅かったのに、という自他からのプレッシャーに負われるようになってから会社に行けなくなるまでそう時間はかからなかった。

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