他人の日記を覗く趣味はないけれど…。

椎楽晶

他人の日記を覗く趣味はないけれど…。

いつからだろうか、窓の外から見える風景が平和な街並みではなくなったのは。


痛む横っ腹を庇いながら、タバコに火を付ける。

何十年も後生大事に隠してたとっておき。

光源になり、熱源になり、匂いで居場所がバレる。だから、隠し持っていたかつて平和だった頃の名残り。


くしゃくしゃになったそれから出た煙を胸いっぱいに吸い込むと、久しぶりすぎて肺が受け付けず盛大に咳き込む。喉が痛んで煙くて涙が止まらない。

それでも潰し消す気にならなくて、一息一息、今度はゆっくりと肺に煙を送る。


咳き込んだ時に力んだ拍子にじわりと出血量が増えたせいで、変えたばかりの包帯がもう赤黒く染まっている。


でも、もう良い。


隠れ家にしていたタワマンの床に寝転び、割れた窓から空を見上げる。

一生かかっても住めないと思い見上げたあの最上階に、何日も風呂にも入っていない小汚ねぇボロ服きた死にかけのおっさんが寝転んでいるのが、何だか無性に可笑しかった。


この国は、世界は…いつの間にここまで変になっちまっていた。


人間ではない人型大の『何か』が闊歩し、アスファルトを破りコンクリートさえ突き破る植物が蔓延り、異形異質な何かが闊歩し…それら全てが人を喰らう。


今、1番弱い生き物は確実に『人間』だ。


親指大の『何か』も確認されたらしいが、虫食いになった人間が量産されるようになっただけだった。そんなチビこい奴にすら勝てない脆弱な存在に成り下がってしまったのだ。


昼の太陽の下すらまともに歩けない。


夜なんかもっと最悪だ。灯りをつければ、それを目指して集まってくる。

目の前の手のひらすら見えない暗闇をひたすらに耐えるしかない。


目が覚めても生きていますように。

太陽が登ってきた時、自分の四肢は存在していますように。


そうやって祈っても、死は誰にも突然に訪れる。

今の俺のように。




先月の初めだ。

生き残った人間が集まるコミュニティで、街をめぐってかき集めた資材と食料を交換してもらっていた時。


トラップもバリケードも押し倒し『何か』が雪崩れ込んできた。

形容し難い、獣のような姿だが見知っている生き物の何にも分類できないような異形の『何か』


すぐにポケットに忍ばせるガメツイおっさんも、ぼろぼろの人形を大事そうに抱えたあの子も、母親を見捨てたと泣いてばかりのあのにいちゃんも…みんな、みんなボロ切れみたいにグチャグチャにされてった。


命からがら隠れ家に逃げ込んだが、だいぶ痕跡を残してきちまったから…ここがバレて俺がボロキレにされるのも時間の問題だ。

いや、それよりも早く死ぬかもな。傷口が閉じずに、ずっと出血が続いている。


爪に毒があったのかもしれない。

世界がもっと平和だったら、アイツがたった1匹の化け物だったら…

寄ってたかってバラされ研究され、爪に毒だの唾液が酸だの、解明できたかもしれないが…あれはそんな分かりやすい生き物じゃない。


あれは、人間が作り出した存在じゃない。俺だけが知っている事実。

物資を探して方々、漁っている時に見つけた日記に書いてあった。


あれは、異界から召喚されたものだ。




俺は昔から、他人様ひとさまの『日記』を見つけるのが得意だった。


探そうと思って見つけたことはない。

いつも偶然に、何気なく手に取ったそれが『日記』だっただけだ。


媒体は何でも良い。紙でなくとも、SNSのたった一行の投稿でも。

本人が『日記』のつもりでしるしていなくとも、

その日あった出来事って投稿が数日分でもあれば、日記とみなされるらしい。


人は、隠しておきたい事ほど、隠してはおけない生き物なのかもしれない。


例えば、そう。

こんな世界になるきっかけのゾンビパニックは、とある研究者が成果を横取りされた腹いせに起こしたことだった。

ただちょっと痒くなる程度だったはずなのに、ゾンビになるなんて知らなかったって書いてあったぜ。


なんでそんな日記を見たのかって?そいつ日本の研究者だったんだよ。

たまたま同じ避難所にいたんだ。


避難所だった学校でブツブツ煩いのがいるって噂になってて、怖いもの見たさで見に行ったんだ。

壁を乗り越えることもできないゾンビ相手に、きっちりバリケード組んでた学校は安全すぎて…壁の向こうはラ◯ーンシティーだってのを忘れちまうくらい平和だったから…刺激を求めて、1人肝試し気分で行ってみたんだ。


ちょうど発狂して喚いて、フッと静かになったと思ったらクスクス笑いながら出て行ったんだ。


『死ぬからあげる』って言って、自分の荷物寄越よこして出てった。

それ以来見なかったから、本当に死んだんだと思う。


んで、その中にあったんだ。『日記』が。

その中に書いてあった日々の愚痴。無能な上司や先輩への罵詈雑言。

そして、研究成果を横取りされ、腹いせの自作薬を塗った奴の肉が徐々に腐って死んで、ゾンビとして蘇ったこと。

それがこんな騒ぎになってしまい、自責の念と『それでも俺は悪くねぇ。成果を横取りしたやつの、認めなかった世間が悪い』と言う責任転嫁がてんこ盛りの『日記』だった。


俺は、『日記』と食料だけを抜いて、他の荷物は放置した。

翌日、誰の物ともしれない荷物として、欲しい人間に平等に分けられていた。



次に見つけたのは、ゾンビ溢れる世界を洗い流すために宇宙的な『何か』を召喚しようとしていたやつの『日記』


溢れかえったバケモノを駆逐するための生物を召喚しようとしたやつの『日記』


徐々に、そして確実に悪い方向に舵を切られていく世界の…その舵をきった奴らの『日記』を次々に見つけて行った。


見つけたくて見つけたんじゃなくて、生きてくための物資を探して方々歩き回る過程で見つけるんだ。


日本の地方都市でもこんだけ頭のおかしい奴が、頭のおかしい『日記』を残してるんだから

世界中ではもっと沢山の頭のおかしいやつで溢れてんだろう。

だから、世界が急加速でわけわかんねぇ事になってんだろうな。


俺は、そんなやつらの『日記』を見つけては全て回収してきた。


今までの俺だったら、そっと戻しただろう。見ないふりして通り過ぎただろう。

そんな俺の気持ちを変えたのは、確実におかしくなったこの世界のせいだ。




回収していた日記を重ねて火を付ける。ついでに吸い終わったタバコもそこにべていく。

『日記』を燃やしても、この世界は元には戻らない。

ただ、頭のおかしい連中がいた証拠が消えるだけだ。


助けてやってるんじゃない。哀れに思っての行動ではない。

やつらの存在意義を、確かに存在していた証拠を消しているのだ。


世界中の誰もが、こんなことになった原因を探している。

世界中の誰もが、こんなことをしたやつらを求めている。


責任を追求するために、それまで存在をないがしろにされてきた頭のおかしい連中の、確かに居た証の『日記』を燃やすことで消し去る、ただの意趣返し。


些細な復讐を、浄化のための行動を、殲滅のための暴挙を…そんなことをしでかしたと自白する『日記』を消し去ることで、その成果ごと消し去ってやる。


これで、世界中の人間は『何事かを引き起こしたどこかの馬鹿野郎が!!』と呪いながら滅んでいくのだ。


ざまぁ見ろ、クソッタレ!!









廃墟の中から発見された旧時代の遺物『スマホ』から読み出した音声データは以上。

現状の電子データに変換。保存、送信も同時に完了。


彼(一人称が『俺』だったので便宜上、彼と呼称する)の言うノートを焼いた後も今では焼け跡すら見つけられず、彼自身もわずかな骨の欠片と衣服の端切れのみが残っていた。

旧人類のDNAサンプルとして回収完了。

ただし、正確にDNAを検出するには不純物の除去は念入りにやる必要がある。


以上、敵性存在に発見される前に速やかに帰投します。オーバー。



通信機のスイッチを切る。

こうやって、砂に塗れた旧人類の痕跡を回収するのが調査隊の俺の仕事だ。


かつて人類を襲った数々の悲劇により、劇的に数を減らしはしたが

それでも細々と人類は存続していた。

荒廃し生物の生きる環境ではなくなりつつあるのに、いまだに生き残っている。


それこそ、

『その負の功績の証を残さぬことで復讐してやる』と吐き捨て息を引き取った音声データで残した彼の『日記』によって

かつて人類を襲った数々の悲劇の原因が、何かが、確かに存在していたと証明してしまったように…。


消し去ったつもりで、握りつぶしたつもりで、滅したつもりで

それでも何かしらの形で、しぶとく残るのが…世界一弱い『人類』と言う種族の強みなのかもしれない。


砂漠に飲まれかけ『タワマン』とは言えないほど地表面に近くなった元最上階を後にし、窓から飛び立ちながらフと空を仰いだ。


かつては青かったと資料に残る空は、今やその色をかえ

『平和な街並みだった』と過去形で形容していた光景も、そも『街並み』すら消えて久しい。


タバコと言う吸い込む煙に咳き込んでいたが、それでは今の地表の空気では生きていられないかもしれない。


人類は生き残るために異形を取り込むことで強くなることに決めた。

この骨の欠片となった彼から見たら、きっと自分たちもバケモノと言われてしまうのだろう。


それでも、自分たちは『人類』だと自覚し、こうして旧人類あなたたちのいた痕跡を…『日記』を回収して、語り継いでいきます。


上空で待機する母艦ベースに帰投すべく、背中の翼を一際強く羽ばたかせ高く舞い上がり今日のポイントを後にする。

名前も知らない、骨のかけらと音声だけのアナタよ…ようこそ、新しき夜明けの世界へ。安らかに眠ってください。

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