第9話 私のお父さん
私は、全身の血を吸い取られて「死」んだ。
それは紛れもない事実。
だけれど、入れ替わりに「彼」の血が私の中に入ってきた。
それは私に生命の炎を与える
死したる屍に非ず。
死せる生者。
死せる生者に私はなった。
木枠の、やわらかなベッドで私は目覚めた。
とてもお腹が空いている、我慢できない!我慢できない!
その時かぐわしい匂いをかいだ、今まで嗅いだことのない………いや、嗅いだことはあっても、こんなにいい匂いだとは思わなかった香り。
それは、ベッドしかない部屋で、部屋の真ん中に場違いに置いてあるもの。
木の樽だった。
これは食べ物だ!そう直感した後は、我慢が効かなかった。
樽のふたをむしり取り、樽に顔をうずめて私は嚥下する。
紅い、血を
一滴残さず飲み干した私は、ようやく周りが見えるようになった。
一体ここはどこなのか?
最期に聞こえたあの声が関係しているのだろうか。
(生きたいか?生ける屍となっても?)
(我が子になるか?生ける死者になっても?)
私はその声の主に、手を伸ばし言葉にならない言葉で縋った記憶がある。
生ける死者………私は生ける死者になったのか………。
だから血が必要なのか?
ふと自分の手を見つめてみる。
妙にか細くなってしまった手。そこから、病気の痕は綺麗に消えていた。
何故?困惑してベットにとさり、と腰を掛ける。
コンコン
ノックの音。
………どうぞ、と言うしかないではないか
「どうぞ」
かちゃり、と扉が開く。
そこに立っていたのは、穏やかな雰囲気をまとった30代ぐらいの男性だった。
「もう飢えはおさまったかい、我が子よ」
あの飢えは予想されていたものだったのだろう。
だから都合よく血の樽があったのだ。
「あなたは、誰」
「私の名はエレオス。ヴァンパイアとして、君の血親に当たる―—―君を殺して、そして蘇らせた者だ」
そういって、彼はベッドに座る私に近寄って来る
春の陽気のような穏やかな人、無条件に誠実だと思わせる人。
初対面でも(恋愛ではなく)好きになってしまう空気がこの人にはあった。
この人が私を助けてくれた?
―—―死者としてのとはいえ、父親になってくれる?私の?
「本当………?」
「君は私が選んだんだよ、もちろんだ」
「嫌わない………?」
「君がどんな娘でも、私は君を嫌わない。全ての神々に誓おう」
そう言って私の前で跪く。祈りの代わりだろう。
そうしてから、申し訳がなさそうに彼は言う
「病気はヴァンパイアの血が全て駆逐したようなんだ。………でも、容姿は全ては戻らなかったようだ、すまない。あとで、もう少し回復させられる人を呼ぶからね。それともう一つ、胸元を見てごらん」
「胸元………?」
私は素直にパジャマのボタンを外す。エレオスの視線は意識していない。エレオスがそうさせないというべきか。
自分は「おとうさん」だとエレオスが思っているからだろう。
はたして、ひどく薄くなった胸には包帯が巻いてあった。
血が少し滲んでいる―—―胸の中央に。
不吉な予感。包帯を急いで取り去る。
それはそこにあった。
胸の中央にある真っ赤な裂け目。今もじくじくと血が漏れ出している。
貫通していた背中側は、触った限り傷は閉じている。
あの時、騎士が突き刺した傷。
強く印象に残ったこの傷だけが、今も癒えずにそこにある。
「これは………?治らなかった?」
「私達ヴァンパイアは、ヴァンパイアになるときに恩恵や不利な特徴を授かることがある。君の容貌と傷は『癒えぬ傷』というものだ。これを取り除く方法は今のところない。研究は進められているんだけどね」
「私の容貌も癒えぬ傷っていうの?私、酷い顔?」
「アリケルの治療が終わってから見なさい。今見てもいいことはないよ」
「酷い顔なのね―—―」
落ち込む私にエレオスは困った顔になってしまった。
「鏡を見せるのは簡単だが―—―」
「見せて、治療前の顔も見ておきたい」
「分かったよ」
と、エレオスは入口に置いてあった鞄に向かい、銅の鏡を持って来る。
「気を強く持って」
わたしは意を決して鏡を覗き込む、そこにあったのは飢えた者の顔、酷いやつれ顔だ。
「思ったより普通ね」
「………意外と肝が太いね、我が娘よ」
何とも言えない表情のエレオス《おとうさん》を見て私は思わずクスリと笑う。
「笑ってくれたね、嬉しいよ」
と返されて、若干照れる私。
「こほん、では、傷の事なのだけど―—―処置の仕方を教えておくね」
治らない傷の処置なんて、神殿では習っていない。素直に聞くのがいいだろう。
「まず、傷に脱脂綿かガーゼを、できるだけ詰め込む。大丈夫、ずっと血が出て湿ってるから、くっつくことは無いんだよ。それで、今の処置と矛盾するようだけど、包帯ではなくサラシで、胸をきつく締める。出血量が減って、最初の処置が長持ちするからだ。おそらく、交換は1日に1回で十分だろう」
「わかりました………お父さん」
そういうとエレオスは本当に嬉しそうな顔をした。
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