鏡越しの指先
ぺんぎん
鏡越しの指先
長い髪が指先から滑り落ちていく。
今にも折れそうな、繊細な指先。
多分、折れる音すら響かないのではないか。それぐらい細い指先を、なんとなく見つめていると、
「どうしたの?」
視線に気づいたのか、髪を撫でる仕草が止まった。首を傾げる姿は無垢とも言えて、その目で見つめられると、なんとなく居心地が悪かった。
「別にどうもしない」
「そう?」
素っ気ない言葉に、けれど彼女は気分を害した様子もなく、ふわりと笑う。
鏡台の前に座らされている俺は、鏡越しでその微笑を見た。
彼女は俺の主人だった。両親がいない、孤児の俺をたまたま見つけたのが、彼女だった。
彼女は一目で気に入った。俺の見た目を。
『ねえ、あなた。私の人形にならない?』
まるで欲しい玩具を見つけた子供のような顔をして。彼女は俺に手を差し伸べた。
名家の令嬢だった彼女は、俺を側に置き従者と言う身分を与えた。以来、俺はずっと彼女の側に置かれている。
ただ、名家の令嬢がどこの馬の骨とも知れない男を侍らせるなど、いかにも外聞が悪い。
周囲は俺を追い出そうとするか、でなければ彼女に相応しい従者としての立ち居振る舞いを求めた。だが、周囲の俺に対する期待は、他でもない彼女が撥ね付けた。
『気持ちが悪い』
『彼は私の人形よ』
『人形にそんなの、求めていないわ』
酷い言われようだった。周囲は令嬢の反応に戸惑ったものの、彼女の俺に対する扱いが本当に『人形』に対するそれだと気付くと、徐々に何も言わなくなっていった。
以来、俺に与えられた一室に、未婚の令嬢が一人で出入りしようが誰も気にも留めない。
「どうしたの?」
考え事に耽っていると、また彼女が声をかけてきた。
「気に入らない?」
振り向きもせず、鏡越しから彼女の顔を見た。
「別に」
気に入ったことなど、ただの一度もない。
「そう?」
嬉しそうな声がすぐ側で聞こえた。
鏡の中の彼女はきっと幸せそうに笑っているに違いない。
「はい、できた」
自信に満ちた目が、鏡の中の俺を見た。
「今日もとても綺麗よ」
鏡の中の俺は、女の格好をしていた。
長い髪を鮮やかな髪飾りで結い上げて、令嬢のようなドレスを身に纏った、紛れもない女の姿をしていた。
「······」
彼女に拾われてから、男の格好をしたことがない。この格好は彼女の命令によるものだった。拾われた時、何が彼女の琴線に触れたのか分からない。ただ、彼女は薄汚れた俺の長い髪に触れて、
『綺麗な髪ね、あなた』
そんな言葉を投げかけて、俺を拾い、女装を強要し続けている。髪飾りやドレスは俺の髪と体格に合わせた特注品だった。
「······」
女装に甘んじているのは、衣食住が保障されているからだ。こんな格好、本当はしたくない。
けれど、あんな餓死寸前の環境には戻りたくない。ーー何より、
「相変わらず、綺麗な髪ね」
見惚れる彼女の様子を、鏡越しからじっと見つめていた。
「どうしたの?」
視線に気づいた彼女が、こちらを見る。
「気に入らないなら、別の用意しようか?」
「······別に」
他と言ったところで、どうせ全て女物だ。
なら、今日彼女が選んだものを身につける。
俺は彼女の命令を拒絶しない。
何故なら、俺は彼女の、
「全部あんたの好きにしたらいい」
着せ替え人形なのだから。
鏡越しの指先 ぺんぎん @penguins_going_home
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