さくらのもと

 過ぎ去れば名前すら忘れてしまうのに。

 そんな春はまだ青く若く、浅く微睡む、薄紅色の儚い花の散っていくさまを、ふとしたときに思い出してほしいと云った。

 先生はくちづけてそっと去っていく、夢を見た気がする。

 私が記憶する限り出会うことのなかった、そんな心の中だけで実らせた過日のひとつなのに。きっと真実ではないであろう、こんな混濁した薄墨にある、傍らに微笑んだような幽かな吐息を落した、それは。

 春の雪のようにやさしく一瞬で蕩けてしまうだけの脆いばかりの夢と強く願ったのか。

 彼も彼女も、どちらでもなんとでも、愛や恋に限らず皆々引き継がれるもの。出会いという幸運や偶然は必然とあったと、甘酸っぱく嫋やかな日差しだけを感じていたはずだ。

 今、沙羅にして気づき、振り返ってもうとうに姿はないのに、どうしてか追いかけるそのものが、過去に叶うことがなかった思いを手繰り寄せているに過ぎないと知っていても。

 ほら表門から続く並木道は遠くまでピンク色にに染まっているのではないか。

 出会いと別れの季節はこれ見よがしに乱される桜吹雪や花筏にのせられ、ぞんざいに連れ去られてしまいたいのです。記憶の片隅にある仄悲しい胸ふくらむばかりの、誰彼も待ち遠しい春色が、あり得なかった分岐点を引っ掻き舞わすだけのはなびらを詠んでいる。

 これはいつ、何処で誰に対しての視界とあるのだろうか。幻を魅せられているのだと信じて覆いたくなる程に一斉に花弁は散って、時に流されて行くのだとそういうことでも。

 永遠を感じていたい。そう願うほど、離れ難く寂しいものだ。

 これを例えるなら、あの日々を亡くしたものの墓参りであろう。殺した記憶を呼び返し底に礎として置き変えることは。カタチではなくリアルのかけらもない、自らの心の中にだけいまいまと抱き寄せ現存しては、桜の許に屠るような。

 きれいなおもいでとして。

 なぜだろうか桜が散るさまは恐ろしく感傷的にさせるものだからきっと。

 バーチャルメモリーに堕とされて今夜も、一斉に幕引きを終えた大団円として薄明に泣いた。この身に埋め込まれた血の記憶が、夢のような幸せも不運も、ぜんぶぜんぶ、真実味をなくしてしまえればとでも、いうのだろうこれは。

 ただ涙が溢れてとまらないような、洗い流すこともできずに感傷に浸るだけの。誰に教わるでもなく、刻まれた記憶が私を導いていくだけの。

 桜の系譜、誰彼構わず呑まれてしまう、幸運にも不幸に濁濁と染まり往くだけの、春の散り際の、夢のいツと。

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