第18話 はじめての約束



 時空を超える迷子は嫌だ!

 私の部屋、もといた時間、寝てたから正確にはわからないけど夜明け前でお願いします!


 ぎゅうっと目を閉じて祈ったのはほんの10秒くらいだったと思う。いつものように急に重力を感じて、私はおそるおそる目を開いた。


「……はあ」


 ほっと胸をなで下ろす。よかった、自分の部屋だ。カーテン越しでもまだ夜が明けていないとわかる。借りたサンダルを履いているのはそのままなので、まずはそれを脱いだ。シャツには案の定魔物の返り血が点々と染みている。身体も泥と汗にまみれているのでせめてシャワーを浴びたいけれど、今何時だろう。


 枕元で充電しているスマホを見ると、時刻は午前4時をまわったところだった。ベッドに入ったのが0過ぎだったから、おそらくほぼ元の時刻に戻れたということになる。

 今ならそっとシャワーを浴びても誰にも気付かれないだろう、と考えたとき、着信音が鳴って比喩ではなく飛び上がりそうになった。


 午前4時だぞ?

 心当たりは一人しかいない。


「はい、もしもし」

『佐藤、今どこだ!?』


 音割れしてる。

 スマホからちょっと耳を離して、でもほっとして一瞬言葉に詰まった。


「……大丈夫、自分の部屋。小鳥遊くんは?」

『こっちも無事……、はあ』


 ため息のあと、わずかに間があって声が優しくなる。


『マジで焦った』

「うん、ごめん」

『別にお前のせいじゃない、俺が勝手に焦っただけ』


 言い方はつっけんどんだけど、さすがに慣れてきたぞ。

 別にツンデレなわけでもただ愛想がないというわけでもなく、小鳥遊くんはただ思っていることを素直に言葉にしているだけだ。

 つまり、裏表無くこういう人なんだろう、ちょっと良いかも。


「ていうか、小鳥遊くんこそ大丈夫なの?」

『いや、血まみれで困ってる』

「電話してる場合!?」

『絶対母さんにどつかれるから、現実逃避してた』


 はーあ、と小鳥遊くんが投げやりな声を出した。いや、現実逃避するな。目、目は大丈夫なのか?


「いいからはやく洗って、お母様……じゃなかった、レイナさん起こしてなんとかしてもらったほうがいいよ」


 事情はわかってくれるだろうし、便利な浄化魔法を使えるお母様がいるんだもん、頼れるときは頼ったほうがいいに決まっている。


『そうだな』

「目は大丈夫?」

『一応洗った』

「川の水でしょ? とにかく一回切るから、浄化してもらって」

『わかった』


 わかったと言いつつ気乗りしていないのが丸わかりなんだけど?

 絶対放っておいたらお母様に隠し通すつもりじゃん。


「……あとで確認の電話するからね!」

『は?』

「私が心配だから」

『……わかった』


 お、今度の『わかった』は少し柔らかくなった気がする、たぶん大丈夫だろう。


「じゃ、切るね。寝て起きたら電話するから、ちゃんときれいにしてもらいなよ」

『……お前、ばあちゃんみたいだよな』

「は?」

『じゃ、またな』


 電話はぷつっと切れた。


 は?

 誰がばあちゃん?

 ばあちゃんって言った?


 なんだかどっと疲れが来たけれど、シャワーを浴びなきゃとても寝られない。

 疲れた身体を引き摺って、私はこっそりと部屋を出るとお風呂へと向かった。






「小鳥遊くん、こっち」

「おう」

「なんか久しぶりな感じがするね」

「昨日ずっと一緒にいただろ」

「いやー、現実で会うのがさ」


 こっちの世界で最後に会ったのは終業式だったから、なんだか新鮮だ。


「で、お父さんとの約束は何時だっけ?」

「仕事終わってからだから、6時くらいだな。お前、本当にいいのか?」

「うん、友達とご飯食べて帰るって書き置き残しておいたから平気」

「そうじゃなくて、親父に会うの」

「えっ、いいに決まってるじゃん。伝説の勇者様なんでしょ?」


 あれから寝て起きてちゃーんと確認の電話したら、何故か小鳥遊くんのお父さんに会うことになった。何を言っているのかわからないと思うけど、私にもよくわからない。しかし会いたいと言われたら、正直勇者様に興味はある。


「今は普通のおっさんだぞ」

「そりゃそうでしょ」


 こっちの世界でいつまでも勇者様だったら逆に怖いわ。


 駅前で待ち合わせたので、いったんファミレスに入った。最近落ち着いて話をできる環境になかったので、作戦会議だ。お昼時は過ぎで空いていたので、一番端っこの4人掛けのテーブルに落ちつく。


「はー、涼しい」


 炎天下の外に比べ、店内は天国である。

 小鳥遊くんはオレンジジュースを頼み、私はトーストサンドとアイスティーを注文した。出かける寸前まで寝ていたので朝も昼も何も食べてない。腹ぺこなのだ。


「そういえば、この前遠野さんと凌さんに会ったよ」

「へえ、どこで?」

「市営プールで」

「プール? 何してたんだ?」

「そりゃ泳いだのでは? ていうか、デートだと思うよ、普通に」

「なるほど」


 小鳥遊くんは口をへの字ににして頷いた。


「凌さんもこっちに馴染んできてよかった」

「うん。そのときさ、しつこいナンパ男から助けてくれて、助かっちゃった」

「あー、凌さん迫力あるからな」

「うん、見るからに強そうだよね」

「お前は?」

「私は強くないよ」

「そうじゃなくて、プールには一人で行ったのか?」

「ああ、そっちね。中学の時からの友達と3人で。昔からよく行くんだ」

「ふーん」


 そこでオーダーしたものが運ばれてきて、私たちはしばらく黙った。小鳥遊くんはほとんど無表情のままオレンジジュースを早速一口飲んでいる。食べ物は私のサンドウィッチだけなので、私はほんのちょっぴり仏心を出した。


「ひとつ食べる?」

「食べる」


 一瞬の遠慮もないのがいっそすがすがしい。


「どれでもどうぞ」


 どれでもって言っても、タマゴサンドとハムサンドの二種類だけどさ。


「サンキュ」


 小鳥遊くんはハムサンドをひとつつまんで口の中に放り込んだ。飲み込むまで10秒もかからない。それからオレンジジュース飲んで、くるりとグラスをかき混ぜた。カランと小さな音が鳴るのをきいてから、口を開く。


「近いのか?」


 近い?

 近いって何がだろう。

 小鳥遊くんは主語を省くクセがあるなあ。


「何が?」

「プール」

「……」


 あ、まだプールの話でしたか。やけこだわるじゃん。


「もしかして、小鳥遊くんも泳ぎに行きたいの?」

「わりと」

「じゃ、今度一緒に行く? 咲良たちも誘って」

「そうだな」

「えっ」


 ホントに? と、訊き返そうとしたとき、右斜め前方から知っている声が聞こえてきた。


「あれ、佐藤?」

「あ」


 有村じゃん!

 どうして駅前で、中途半端なこの時間に、同じクラスで隣の席の男子に会ってしまうのか。しかも小鳥遊くんと二人だよ、また邪推されてしまう。


「……と、小鳥遊も」

「ああ、奇遇だな」


 奇遇だなとか言ってる場合か!


「なに、お前らやっぱ付き合ってんの?」

「付き合ってはいない」

「付き合ってないよ」


 ほぼ同時にそう答えると、有村は奇妙な顔をして私たちの顔を交互に眺めた。今日はにやけ具合が少ないあたり、本格的に疑われてるよね、これ。


「それじゃ、ここで何の相談だよ」


 うっ。

 それを聴かれるとすぐに答えられない。異世界の話――、は論外として、これからお父様に会うとかいう情報も絶対駄目。駄目だよ、小鳥遊くん。

 そう念を込めて目配せすると、小鳥遊くんは微かに頷いて有村を見上げた。


「今度一緒にプールに行こうって話」

「デートじゃん」


 馬鹿!

 よりにもよってそれを言っちゃう? もういっそ誤解されておいたほうがラクなのか? でもなあ、有村、お喋りだから噂が広まったら面倒だ。


「いや、デートではない……よかったら有村、お前も一緒に行くか?」

「はあ?」


 あ、そういうこと?

 小鳥遊くんはただプールに行きたいだけだ、これ。でもまあ、せっかくの夏休みだし、異世界ばっかりじゃなくて少しは高校生らしく楽しみたいという気持ちはわかる。


「いいんじゃない? 咲良と文佳も誘ってみるから、一緒に行く?」

「マジで? 行く行く、おー、なんか上がってきた!」


 有村も同じ中学出身だから咲良たちとも話が合うし、小鳥遊くんだって男子1人はきまずいだろうし。


「じゃ、咲良たちの予定きいておくね」

「オッケー……で、お前らやっぱ付き合ってんの?」

「付き合ってはいない」

「付き合ってないよ」



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