第16話 はじめての「おはよう」
異世界のベッドは少し硬かった。
だけど疲れていたからかな、ぐっすり眠れました。寝不足は身体に良くないからね!
部屋で身支度を調えると、召使いの女の子が食卓まで案内してくれた。
「おはようございます、サトー様」
「おはよーエリシャちゃん、小鳥遊くん」
「おう」
異世界で『おはよう』なんてヘンな感じ。あんまり馴染みたくはないけれど、エリシャちゃんは可愛いしすっごく良い匂いがする。小鳥遊くんは……まあ、いつも通りだ。
「よくお休みになれましたか?」
「うん、おかげさまで朝までぐっすり」
「……お前案外図太いよな」
小鳥遊くんが半ば呆れた顔でそう呟いたけど、眠れてしまったものは仕方ないのでは?
「小鳥遊くんは眠れなかったの?」
「いや、俺は慣れてる」
平然と言ってのけた小鳥遊くんに、向かいの席のエリシャが小さく笑った。
「タイガ様がはじめてこちらに来たときは、食事も喉を通らなかったのですよ」
「え、そうなの?」
うっそ、見かけによらず繊細さん?
小鳥遊くんは私を見て、ちょっと不満そうに口をへの字にした。
「異世界のモノを食べるとか、もとの世界に帰れないフラグかって思うだろ」
「神話じゃん」
黄泉比良坂かな?
私はテーブルの上のお皿を眺めた。別に危なそうなものは何も無い。お腹が空きすぎていたので、いただきますと手を合わせてさっそく果物をいただく。うん、桃に似ているな?
「でも、帰れないのは困っちゃうよね」
現時点の心配は捜索願い、その一点だ。親兄弟に私の不在がバレないうちに戻れれば、このさい文句は言わない。昨日思いついたとおり、鳥の魔物を何匹か倒して帰れるといいんだけど。どうかお願いします無事に帰れますように!
「小鳥遊くんはさ、あとどのくらい余裕があるかわかる?」
「わからん。そもそもこっちとあっちじゃ時間の流れが違う」
何だかわからない甘いソースのかかったお肉らしきものをつつきながら、小鳥遊くんは首を振った。
「ただ、こっちに一ヶ月居たとき向こうじゃ数日だったこともあるから、まだ大丈夫だろ、たぶん」
「たぶん?」
「断言はできん」
「小鳥遊くんちだって、やっぱりあんまり長くなったら心配するんじゃない?」
危険があることはわかっているのだから、口に出さなくてもレイナさんだって心配してると思う。
「俺の家は平気だよ。けど、お前の家じゃ大問題だもんな……もしもお前に捜索願いが出てたらさ、俺も謝りに行くから」
「それ、余計にめんどくさい誤解を生みそうじゃない?」
私が行方不明で捜索願が出ちゃって、無事に帰れて、小鳥遊くんが一緒に謝る。
うん、絶対まずい気がするぞ。火に油だ。小鳥遊くんが、お父さんとお兄ちゃんに一発ずつくらいは殴られるかもしれない……軽く返り討ちにあいそうだけど。
「あのう」
食事を終えたエリシャちゃんが控えめに口を開いたので、不毛な相談をいったん止めた。
「わたくしはこれから、王と魔物退治の相談をして参ります」
「エリシャちゃんが?」
てか、この国には他に戦える人はいないのか?
こんなうら若い可憐な女の子が魔物退治の陣頭指揮っておかしくない?
人材不足ってレベルじゃないと思うんだ。
「あのさ、この国って偉い人いないの? エリシャちゃんと小鳥遊くんに頼らない、強い軍隊とか無いの?」
「軍のほとんどは、国境と王都の警備に就いております。そもそも魔物相手では、あまり戦力にはなりませんし」
エリシャちゃんはほんの少し困ったように笑う。
「これも巫女の役目ですから。それに」
「それに?」
「カシュー王とは従姉弟同士ですが、お互いの立場上近しく、本当の姉弟のように育ちました。ですからわたくしもあの子の力になりたいのです」
「エリシャちゃん……」
やっぱりめっちゃ良い子じゃん。
綺麗で可愛くて性格も良くて王族で巫女様って存在自体がチートレベルじゃない? 人としてのステージが違いすぎてここに自分がいて良いのか不安になってくる。
「もう一度魔物を迎え撃つ準備を整えて、夕方までには戻ります。お二人はどうぞゆっくりなさって下さいね」
花のような微笑を置いてエリシャちゃんが出て行くと、部屋には私と小鳥遊くんが残された。
「……それにしたって、やっぱり大変過ぎじゃない?」
「何が?」
「エリシャちゃん。私たちと歳も変わらないし、女の子なのに」
「王族で巫女だからな。そのぶん権力もあるし尊敬されている。それにこの世界のことは俺たちの価値観じゃ計れない」
「鎖国してる隣の国に兵力を割くくらいなら、少しはエリシャちゃんを助けてくれても良くない?」
「魔物はいいんだよ。俺が全部引き受けてるから」
「うわ、すごい自信」
「自信とかじゃなくて、人を斬るよりは幾分気が楽だってこと」
意外な台詞だったので、思わず黙って小鳥遊くんを見詰めてしまった。
考えてみればその通りだ、隣の国と争うってことは本当に戦争で、罪にはならないかもしれないけど人に怪我をさせたり、殺しちゃったりする事態も考えられるのだ。
「……それは怖いね」
「だろ。けど、この世界では普通にありえる話だぞ」
うん、やっぱ私に異世界は無理。
なるはやでやることやって、速攻で帰りたーい!!
「ふたつほど報告がございます」
目的地へ向かう馬車に落ち着くと、エリシャちゃんがおもむろに口を開いた。
城でどんな話し合いがあったのか知らないけど、ほんの数時間で作戦がまとまるスピード感は見習いたいものがある。
「国境沿いの部隊からの報告により、あの鳥の魔物はガラテアの魔法障壁の内側からやってきたことが確認できました」
「魔法障壁の……内側?」
「えっと、出入りできないとか言ってなかった?」
「はい」
エリシャちゃんは小さく頷いて話を続ける。
「魔法障壁は外側からも内側からも固く閉じていて、通過することはできません。ですがあれは、城壁のようにガラテアをぐるりと囲っているもの。つまり、空高くからなら出入りが可能なのです」
「蓋がないってこと?」
「はい。ただ、壁と言ってもとても高いので、小鳥などでは超えることはできませんが」
「あの魔物なら自在に超えられるってことか」
えっと、待ってね。
あの魔物はこの国と敵対するガラテアからやってきて、ミステア王国を荒らしているってこと? それって国際問題じゃない?
「正式に抗議とかできないの?」
だけどエリシャちゃんは左右に首を振った。
「前にも言いましたが、ガラテアは完全に他国との国交を絶っているのです。ここ10年ほど、あの国で何が起こっているのか誰も知りません」
マジで?
それじゃガラテア王国って、完全に自給自足で成り立っているってこと?
ていうか、魔法障壁とやらを王様が作っているなら、ものすごい魔法使いなんじゃない?
「魔法の壁って、ずっと保っていられるものなの?」
「いえ、普通は無理ですわ。桁外れの魔力を広範囲に、長期間放出し続けているわけですから、常人の魔力ではありません」
「だからこそ、ガラテアを攻撃しようって国は無いんだよ」
小鳥遊くんの声はちょっとだけ不満げだ。
「閉じこもってるだけなら害は無いからな。ただ、今回の鳥の魔物が本当にガラテアから来たなら、ちょいとまずい」
「まずいって?」
「そりゃそうだろ。魔物の出所がガラテアだと確定すれば、明確な攻撃だ。ミステアだって黙っているわけにはいかなくなる。そうでなくても10年鎖国してた国から出てきたのがあの魔物だぞ」
そっか。
例えばあんな魔物が、魔法障壁の内側にはたくさんいるとしたら、それが一斉に出てきて攻撃してきたら、被害は家畜くらいでは済まないだろう。そもそも、障壁の中の人たちは無事なんだろうか。
「タイガ様の仰る通りです。実際、大臣たちはガラテアが我が国へ一斉攻撃を仕掛けてくるのではないかと警戒しておりますわ」
「えっ」
「ガラテアとミステアはもともと敵対してるんだ、警戒もするだろ」
「でも、10年も鎖国しておいていきなり攻撃っていうのはちょっと……」
せめて理由とかきっかけとか、普通あるものじゃない?
そう思いながらエリシャを見ると、巫女姫様は小さくかぶりを振った。
「わかりません……ですが今、あの障壁の内側で何かが起こっているのは間違いないと思います」
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