第8話 はじめての目標



「まあ、おかえりなさい」


 聞き覚えのある声に、目を開く。

 ここは……小鳥遊くんの家のリビングだ。首を巡らすと、お母様がソファに座っておっとりと首を傾げている。


「ハルカさんも、いらっしゃい」

「あ、こんにちは……」


 にっこり笑顔につられて思わず間の抜けた返事をしてしまった。

 だけど次の瞬間、心臓が跳ねる。

 まずいまずい、お客様がいるじゃーん!!


「じゃなくて! ご来客中にすみません」


 お母様の向かいのソファには知らない男女が並んで座っていて、こちらを見ている。運良く帰還の瞬間を見られていなくても、私たち、明らかに急に部屋に現れちゃったよね?

 どうすればいいのかわからなくて隣の小鳥遊くんの顔を見上げると、彼はわずかに唇の端を上げた。あれ、もしかして何か面白がってるな?


 小鳥遊くんはすました顔で、二人に話しかけた。


「お久しぶりです、淩さん。遠野さんも」

「ええ、お邪魔しています。その説は淩さんがお世話になりました」

「感謝している、タイガ」


 女性はわざわざ立ち上がって頭を下げた。おそらく大学生くらいだろう。

 背の高い男性にはわずかに外国訛りがある。どう見ても女性のほうが年下なのに『お世話になりました』はちょっと違和感があるな……ってそれよりも!


「ごめんなさい、お客様がいらっしゃるとは思わなくて……、あの」


 何をどう言い訳すればいいんだ? しかも手、手を繋いだままだ! でも、このタイミングで振り払うのはちょっと意識しすぎじゃないか? どうしよう!


「大河くんたら、また召喚されたのね?」


 おっとりと、遠野と呼ばれた女性は笑った。

 え、召喚って言った?

 一体なにもの!?


 びっくりして何も言えずにいると、女性が私に視線を移す。


「はじめまして、貴女は異世界の方?」


 しかも普通に異世界とか言ってるし。

 貴女って、私のことだよね?

 このヨレヨレTシャツの私が異世界の住人だと思います?


「いえ、私は小鳥遊くんのオマケで召喚されてるだけで」


 息を吸って、吐いて、落ち着こう。

 たとえ着ているものがが部屋着でヨレヨレだろうと、借りたサンダルのままで土足であろうと、挨拶は人間関係の基本だもの、ちゃんとするのよ、ハルカ。


「小鳥遊くんのクラスメイトです」

「あら」


 遠野さんはまた小さく笑った。人懐こい、すごく可愛らしい笑い方だ。

 めちゃめちゃ美人というわけではないけど、これは好きになっちゃいそう。


「じゃあ貴女もお仲間なのね。私も、少し前に異世界から帰って来たの」

「えっ、じゃあ先輩ってこと、ですね」


 自分で言っててなんだけど、どんな先輩だよ。

 けれど遠野さんはくすぐったそうに頷いた。


「そうそう。だからいろいろと気にしないで。事情はわかるし、レイナさんにも大河くんにも本当にお世話になっているの。ええと、お名前を聞いてもいい?」

「あ、佐藤です。佐藤ハルカ」

「わたしは遠野千早っていいます。よろしくね、佐藤さん」


 そっか。

 お母様が『異世界から来た人を援助する仕事をしている』と言っていたのを思い出す。小鳥遊くんと私は今のところ短時間で行ったり来たりしているけど、普通はもっと長い間向こうで暮らしたりするんだろうか。となると、もしかして淩さんは異世界の人なんだろうか。


 うう、気になる!

 けど訊けない!


「おい佐藤、行くぞ」

「え、どこへ?」

「とりあえず俺の部屋。邪魔しちゃ悪いだろ」

「あっ、そう、そうだね。お邪魔しました!」


 慌ててサンダルを脱ぎ、浮足立ったままペコリと頭を下げると、遠野さんのみならず、淩さんも薄く笑みを浮かべた。


「あ、大河。お菓子と飲み物持っていきなさい」

「サンキュ」

「ハルカちゃん、ゆっくりしていってね。あとでお話を聞きたいわ」

「はい、ありがとうございます……」


 ごくごく普通の会話なのに、ははーありがたき幸せ、って頭を下げたくなる。ああ、お母様は今日もお姫様だ。

 ヨレヨレな自分が本当に恥ずかしいから、急な召喚だったんですって言い訳がしたーい!





 落ち着かん。

 いや、いいお部屋だしまあまあ片付いてるけど、落ち着かん。

 こういう時、何を話していいのかわからないの。

 いや、話すべきことはいっぱいあるか。

 ヨシ。


「あのさ、さっきの人たちってもしかして」


 切り出すと、小鳥遊くんは軽く頷いた。


「ああ、淩さんは異世界の人。つっても、俺たちが召喚されてるとことは全然別の世界だ。遠野さんは昔凌さんの世界に行って、帰ってきて、……今は普通の大学生」

「なるほどお」


 遠野さんが異世界転移して、戻ってくるとき淩さんがついてきた、と。

 異世界ものではあるけど女性向け、乙女ゲー的展開かな?


「お世話になりましたって言ってたけど」

「仕事半分、プライベート半分だな。身元の引き受けとか、保証人とか、仕事の世話とかが必要だし」

「マジで異世界から来ちゃった人を援助してるんだ、お母様」

「ま、こっちに来たら最初は苦労するからな」


 そうだよねえ。

 愛と勢いはあっても、現代日本、現代社会に適応するのは大変だろう。連れて帰ってきちゃったのが普通の学生さんならなおさらだ。


「ホントにいっぱいいるんだね、異世界の人」

「いや、言うほどじゃない。うちに持ち込まれるのは年に数件だし」


 年に数件あれば充分だと思う。


「それにあの人はしばらく家に居候してたから、ちょい特殊ではある」

「あの人って、淩さん?」

「そう。遠野さんの家はマンションだし、一緒に住むことが難しくてさ」


 確かに。

 娘がしばらく行方不明になって、あのでっかい人を連れて帰ってきたらそりゃまあ一緒に住むなんて簡単じゃないだろう。そう考えると、女の子の異世界転移ってさらにハードル高いかも。


「それは、遠野さんも大変だっただろうねえ」

「……つーか、お前もな」

「え?」


 意外なセリフだったので、ちょっと驚いた。首を傾げてみせると小鳥遊くんは口をへの字にする。


「結局また一緒に召喚されただろ……悪い」


 うっそ、謝られた!

 確かに異世界に行きたくはなかったし今もできることなら遠慮したいけど、別に小鳥遊くんのせいではない。もちろんエリシャちゃんのせいでもないぞ。


「小鳥遊くんのせいじゃないし、謝られる筋合いはないよ」

「でもお前、あんなに行きたくないって言ってただろ」

「小鳥遊くんは?」

「俺は仕方ない」

「じゃ、私も仕方ないってことでいいじゃん」

「……」

「それに今日は子供を助けることができたし、ちょっと感動したんだ」


 所詮オマケはオマケだけど、少しだけでも役にたてたのは嬉しい。

 小鳥遊くんはわずかに唇の端を上げた。


「じゃ、これから一緒に勇者やるか?」

「それは無理、あ、ずっとやるのは無理って意味ね。やっぱ基本的に怖いし、召喚が突然過ぎて困っちゃうもん」

「ま、その通りだな」


 二回目でこうなんだから、小鳥遊くんはもっとひどい目にあっているかもしれない。お母様が元異世界人だからといって、お父様が勇者だったからといって、息子が当たり前みたいに呼び出されるのは理不尽だ。それでもやらなければならないと言うのなら、根本的に問題を解決するべきじゃないだろうか。


「このままじゃ小鳥遊くんだって大変でしょ。根本的に、異世界に呼ばれないようにする方法はないの?」

「あー、ミステア王国が平和になったら、かな」

「怪獣がいなくなればいいってこと?」

「隣の国とも揉めてるから、そっちも」

「ええ~、やることが多くない?」

「そもそも国王が満足しないと、エリシャは召喚をやめられない」

「国王?」


 いきなり王様の話が出た!

 だけど考えてみれば、召喚ができるエリシャが仕えているのは王様のはずだ。まだ影も形も見たことないけど、どんな人なんだろう。


「そういえば王様ってどんな人なの?」

「悪いやつじゃないけど、ちょっと面倒な奴。基本、俺をあっちに引き留めておくことばっか考えてるし」

「異世界永住エンドを目指してるってこと?」

「便利だからな、俺。まあ、国王の望みはそれ」


 ひょいと肩をすくめる。

 軽く言っているけど、困っているのはマジっぽい。なんとなくだけど。


「でも、小鳥遊くんって向こうじゃ勇者でしょ。お母様は元王女様だし、ちやほやしてもらえるんじゃない?」


 オマケの私だって拝まれてしまったのだ。小鳥遊くんは向こうでは完全に英雄扱いだろう。

 だけど小鳥遊くんはペットボトルの炭酸を一口飲んでため息をついた。


「向こうにはテレビもないしゲームもネットもスマホもない」

「うん」

「それどころかシャワーも水洗トイレも電子レンジも無いんだぞ」

「そりゃそうだよね」

「今のところ、向こうで生活できる気がしない」

「まあ、そうなるよねえ」


 現実は厳しい。

 いや、厳しいのは異世界か。

 現代日本に生まれたら、そりゃ異世界暮らしは不便でしかないだろう。


「じゃあ、魔物が出なくなって隣の国と仲直りしてミステア王国が平和になって、王様が小鳥遊くんのことをあきらめてくれれば、召喚は止まるってこと?」

「そううまくいけばな。望みは薄いけど」

「え、うまくいくように頑張ろうよ。諦めたらそこで試合終了だよ!」

「……そもそもお前、召喚されるの嫌なんだろ?」

「嬉しくはないけど、どうせオマケで呼ばれるなら目標があったほうが良いでしょ?」


 小鳥遊くんはひとつ瞬きをしてから、珍獣を見るような顔をしてじっと私を見た。いや、負けないぞー。こういう時は目を逸らしたら負けな気がするので、私もじっと小鳥遊くんを見つめる。


「急にスイッチが入るじゃん」

「スロースターターなの。どうせここまで関わったら、気になっちゃうしね」


 逃げていてもどうせ気になるんだから、問題解決に努力するほうが前向きでしょ?





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