泡沫世界

 これよりエラルス時流計を基準として日付を記入するとする。


 帝積歴六十七年七月


 とうとう調査船団の認可が降りた。今日は記念すべき日になるだろう。我々にとっても、世界にとってもだ。

 あの原始の波線、『時の日記』を発見してからじきに十年となる。超超長距離位相転移ゲートを使っても片道二年はかかる。座標についてしまえば本国とのやり取りもそう簡単ではない。しっかりと準備をしていかねば。


 帝積歴六十八年九月


 準備に思いのほか時間をかけてしまったがようやく明日この地を飛び立つ。それも波動観測機の納品が遅れたせいだ。その分要求スペックを満たした完璧なものに仕上がっているのでよしとしたい。では人類の新たな一歩を踏み出すとしよう。


 帝積歴七十年十二月


 運航は順調。ただゲート移動中コールドスリーブ明けの身体が硬い。あれは絶対に安物だ、くそっ。


 帝積歴七十一年二月


 体重が増えている。しっかりと規定量の運動はしているはずなのに。スポンサーの肝いりで設置させられた食糧プラントのせいだろう。船医からは運動量の増加とそれに合わせた食事の変更を指示された。あぁ貴重な時間がどんどんと取られていく。


 帝積歴七十一年五月


 当初の目標座標に到着。ただ目的の物はなかった。観測機によるとまだ離れたところにあるようだ。どうやら恒星振動による干渉で遠距離ほどずれが顕著に出るらしい。想定内ではあるので目的地の再設定を急がせる。


 帝積歴七十一年七月


 『時の日記』はなかなかシャイなようだ。時折強く波長を出したと思ったらしばらくすると全く別の場所に出現する。幸いなことに予兆の観測には成功しているため近くに現れるのを気長に待つとしよう。


 帝積歴七十一年八月


 重力断層により今日の船内はよく揺れる。機器にもノイズが混じり観測どころではないため全員休息日となった。久々の休息だが船酔いが酷く一日中寝て過ごすことになりそうだ。早く収まることを願う。


 帝積歴七十一年十二月


 可能性存在領域が広すぎてなかなか捕まらないため定着器を準備することとなった。船内のエネルギーだけで足りるのだろうか、不安だ。


 帝積歴七十二年八月


 やったぞ! ついに『時の日記』の存在を確認できた。


 帝積歴七十二年十月


 虚数空間による干渉を試みる。


 帝積歴七十二年九月


 分かっていたが実験はなかなか進まない。存在領域を狭めたため不安定な過重力粒子が滞留して空間が自体が不安定化している。定着器は使わない方が良かったかもしれない。


 帝積歴七十年二月


 実数域実験は失敗に終わった。一隻の調査船と二千のクルーを失うこととなった。理論は間違っていないはずなのに。観測機の精度を上げる必要がある。これ以上失敗は許されない。


 帝積歴六十五年二十三月


 時流計が狂っている。あれからどれだけだったか分からないが実験は順調に進んでいる。まもなく『時の日記』の正体が分かるだろう。


 帝積歴九十九年九十九月


 人類にはまだ『時の日記』に触れるのは早かったようだ。すまない、これが後世の利益になることを願う。




「これが最後の通信になります」


 教壇に立つ男性がそう言う。聞いているのはただ一人であった。


「……そもそも、『時の日記』ってなんなんですか?」


「『時の日記』とは世界のはじまりの場所を示している」


 そう言って男性は黒板に大きく円を書いた。そしてその円の中に四つの円を横並びに書いて、


「まずこの大きな円を『絶対空間』とした際に中の小さな円が第一概念となる」


 そのまま四つの円の縁を塗りつぶし始めた。


「時、空間、物質、差など世界を構成しているのが第一概念でそこから劣化解釈されたものが第二概念、更に第三概念となっていく」


 男性は円の縁と縁が重なるところに雫のようなものを書いていく。


「そして概念同士が接触した際に零れ落ちたのが世界と考えられている」


 雫の先、尖ったところに『時の日記』と記載する。


「それのどこが日記なんですか?」


「話の流れが早いなぁ。理解していないうちに次に進むと後悔するぞ」


 男性は小言を言いながらたくさんの雫を書いていく。


「出来る世界はひとつではなく数多に及ぶ。ただしそのほとんどがそのまま弾けて消えてしまう。その残滓のことを原始の波線、世界の始まりに生まれる波として当時は考えていたみたいだ」


 『時の日記』と記した雫の先にたくさんの点々が入るように矢印を書いていく。


「正確には世界の終わりなんですね」


「そうだな。中には少しの間安定化するものもあるからそうすると波線の形状も変わってくる。観測者からすれば原始からある時点までの情報が伝わってくるわけだからそれを日記と捉えられなくもない、かなぁ?」


 大きく唸る波と小さな波を書きつつも男性は曖昧に濁した。


「で、その原始の波線ってなにが重要なんですか?」


「まずは『絶対空間』と概念があることがわかった。『絶対空間』は理論上次元を持たないため行き来すれば時間と距離を無視できる」


 次元ワープ、と黒板に付け足す。


「更に原始の波線には大きくわけて二種類あり、高次元素子と低次元素子による波線なんだが、当時の技術では低次元素子しか観測できなかった。なので実数域実験の時に高次元素子のエネルギーが暴走して事故に繋がるわけなんだが……ついてこれているか?」


 白旗が上がっていた。


 男性は呆れるようにため息をついて、


「まだ基礎の基礎なんだけどなぁ」


 男性は教本を閉じて窓に目を向けた。


 真っ暗な中点々と星々が光るさまが横に見える。


 ビースター級絶対空間専用観測船団旗艦、通称アブソリュートシップ。全長八キロにも及ぶ宇宙船は『時の日記』を目指して進んでいく。

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