第2話 ハンスと孤児院


 

 、、、パタンと読み終えた絵本を閉じると、すっかり寝静まった子供たちを見てハンスは静かに微笑んだ。


 子供たちが好きな『ナジャード創世記』というこの物語は、彼らが眠りにつく前にいつも読み聞かせている。


 いわば絵本の定番だ。


 この本は、タイトルの通り自分達が住むこの国の成り立ちを描いた物語で、神であるフェルディナスの偉大さを子供たちにも理解しやすいよう、神話をもとに描かれたものだ。


 この国ではこの物話を知らないものはいないと言っても過言ではない。


 なぜなら、魔女との戦いより生き残った民によって建国されたのが、この『ナジャード』という国であると言われているからだ。


 古今東西、古より神という存在はこの世界を創造した創造主であるとされている。


 その中でもハンスたちが住むこの国では、救世主である神子フェルディナスを神と定め、厚く信仰している。


 そしてその規模は、ナジャードの国内だけに留まらず世界中へと勢力を伸ばしていた。


 その中でも特に信仰心の厚い人々は“ディナン”と呼ばれ、彼らは至る所に教会を造り、毎夜執り行われる“アリー”と呼ばれる集会で神への祈りを捧げている。



 また、教会は奉仕活動にも積極的に取り組んでおり、その活動の一環として孤児院の運営も行っている。


 孤児院は各教会に併設して作られており、その内の一つであるレブの町にハンスたちが暮らしているそれはあった。


 そこには、まだ言葉すら話せない乳飲み子から孤児たちの面倒を見てくれるシスターまで含めると全部で15名の人間が身を寄せ合って生活している。


 その中でハンスは、他の孤児とは異なる、少し特殊な事情を抱えていた。


 ハンス以外の孤児たちは皆、齢が10にも満たない子供であり、その中で彼は唯一の14歳なのだ。


 この国では一般的に15歳以上を成人とみなしている。


 しかし、孤児たちに関しては10歳以上から働くことが正式に認められており、基本的に10歳の誕生日を迎えると皆〈大成の儀〉と呼ばれる成人の儀式を教会で受ける。


 その際大人と認められた証として、教会から認可証をもらい、それを持って新たな奉公先へと旅立つのが通例となっていた。


 そのような中で、ハンスは10歳をゆうに過ぎているにも関わらず、未だ孤児院で暮らしている。


 それは何故か。


 彼が孤児院へとやってきたのは今から約3年前。


 つまり、その時点で彼はすでに11歳であった。


 ゆえに、孤児院の子供たちが受けているはずの儀式を彼は受けていなかったのだ。


 11歳まで孤児院の外で育った彼が、その儀式を受けていないのは当然だが、儀式を受け認可証をもった者でないと奉公先には行くことが出来ない。


 ゆえに、ハンスにはどこへも行く当てがなかった。


 それに加え、孤児院の運営に欠かせない寄付金の額が年々減少していることも彼がここに留まっている大きな問題であった。


 ものを買うお金がなければ、これから厳しい冬の時期を迎えるのに、冬を越せるだけの薪と食料を蓄えておくこともできず、このままでは皆飢えと寒さを凌ぐことができず死んでしまうのはあきらかだった。


 そこでハンスは、少しでも生活費の足しになればと、自分にもできる仕事を探して孤児院の子供たちのために金を稼いぐことにした。


 だが、認可証を持たない彼に対して世間の風当たりは強く、まともな仕事先を得られることはない。


 認可証が要らない仕事となると日雇いの仕事くらいしか無く、しかしそこでは粗雑な扱いを受けることが当たり前で、ハンスは毎日歯を食いしばり働いていた。



 *****


 ドンドン、カンカン、ドンカンドン――――・・・・


 辺りには木や石を金槌で打ち付ける音が鳴り響き渡っている。


 ここは、レブの町を流れる一番大きなスメール川。


 その中流に位置する場所がハンスにとって今日の仕事現場であった。


「おい坊主、ちょっとこっちへ来い。」


 時刻は夕方。


 本日の作業が無事終了し、ハンスも撤収作業に取り掛かろうとしていたところで、雇主からそう声を掛けられた。


「はいっ、すぐ行きます!」


 屈強な肉体を持ち、力自慢が得意の作業員たちばかりが肩を並べる現場で坊主と呼ばれる対象はハンスしかいない。


 故に彼は、その声かけに対してすぐに返事をすると素早く雇主の元へと走りよった。


「お呼びでしょうか。」


「ああ、渡すのをすっかり忘れちまっててな。ほいよ、今日のお前さんの稼ぎだ。」


 そう言って、フッと鼻で笑いながら彼はハンスに金の入った小包を投げ渡した。


 ハンスはその小包を受け取るや否やすぐに中身を確認する。


 本日の彼に対する労働の価値はたった450ディールであった。  


 パン一斤の値段が50ディールであることを鑑みるに、自分の稼ぎがいかにわずかなものであるかがうかがえる。


「いえ全然大丈夫です、ありがとうございます。」


 しかしそれに文句を言ったところで、万が一にも雇主の機嫌を損なえば今日の稼ぎが没収されるだけだ。


 まだ金がもらえるだけありがたい。


 ハンスは、口角を上げいつもの様に口上を述べた。



 ハンスの仕事は、その日によって内容が異なるため、ゆえにもらえる金は仕事内容というよりもその日の雇主によって左右されるのだ。


 ちなみに今日の仕事は、大雨によって氾濫した川の濁流により壊れた橋の修繕作業だった。


 秋桜の花が咲きはじめているこの時期に、一日中体を水に浸けた状態での肉体労働はかなり堪えたが、その分雇主も早めに仕事を切り上げたかったようで、今日はまだ日が沈む前に解散となった。


 全身が鉛の様に重たい。


 よろよろと足を引きずりながらもハンスは何とか帰路についた。


 孤児院に近づくにつれ、段々とにぎやかな声が聞こえてくる。


 その声を聴きながら徐々に庭で遊んでいる子供たちの姿が見えてくると、自然と顔に表情が戻っていた。


「「ハンスおにいちゃん、おかえりなさい!」」


 扉を開ければ、そこには彼の帰りを待ちわびていた子供たちが笑顔で彼を出迎えてくれた。


「おう、ただいま。超腹減ったんだけど、ヨルム今日の晩飯が何かわかる?」


 ハンスはこの家一番の食いしん坊であるヨルムという名の男の子にそう尋ねた。


「えっと、えっと、今日のご飯はお芋のぐつぐつ煮込みってリズがいってた!」


「えぇ、また?最近おんなじものばっかじゃん。」


「あとあと、ソーセージもあったよ!」


「ソーセージは毎日あるでしょ。そうじゃなくて、たまにはなんかこう、もっとがっつりとした肉とか食いたいんだよなー。」


「おんなじ献立ばっかりで悪かったわね。お肉なんて、そんな贅沢なもの買えるわけないじゃない。文句があるなら、ハンスお兄ちゃんの分、ソーセージ抜きにしてあげるんだから!」


 ハンスが、ヨルムの答えた今晩の献立について、文句を言っているとその会話を聞きつけたリズという名の少女が、そう言って2人の会話に割り込んできた。


「え、リズ!?ちょ、待ってゴメン冗談!冗談だから、俺ほんとは超ソーセージ好きなの!だからソーセージ抜かないで、すみませんお願いします!俺、超腹ぺこなんだ!」


 最悪なことにヨルムとの会話を、いつもご飯を作ってくれているリズという名の女の子に聞かれてしまったハンスは、全力で彼女に謝った。


「ふんっ、今度同じこと言ったら、その時は絶対ご飯抜きにしてやるわ!一先ず、今日のところは許してあげる。もうすぐご飯もできるし、早く体の汚れを落としてくれば?」


「イェッサア!」


 ハンスの必死の謝罪は何とかリズの元へと届いたようで、どうにか窮地を免れた彼は、彼女の機嫌をこれ以上損なわぬよう一目散に風呂場へと消えていった。


 その後、素早く体についた汚れを濡らしたタオルで拭きとり風呂を済ませると、ハンスは急いでダイニングへと向かった。


「遅くなってごめんなー、みんなもうご飯食べてる?」


「お兄ちゃんお風呂遅いから、待ちきれなくてもうみんな食べちゃってるよ。」


 部屋に入るなり声を掛けると、彼のすぐ手前の席にいたカイトがそう答えた。


 彼の言葉のとおり、ハンスを待ちきれなかった子供たちは、すでに皆が食事を取り始めていた。


 ハンスも手早く自分の食事をよそうと、カイトの隣席に腰を下ろし黙々とご飯を食べ始める。


 そうして、晩ご飯を食べてしまえば、使った食器の後片付けを皆で分担して行う。

 その後、子供たちは素早く寝支度を済ませると、


「「お兄ちゃん、絵本読んで!」」


 そう言って、いつもの様にハンスへ絵本の読み聞かせをねだるのだ。


「ああ、いいぞ。今日もいつもと同じやつでいいよな。」


「「うん!」」


 そうして始まった読み聞かせは、彼が絵本を読み終えると、しっかりと子供たちを夢の世界へと導いてくれていた。


 それを確認したハンスは自身も布団の中へと潜り、彼の長い一日は今日も無事終わりを迎えるのであった。










   

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