【齟齬】



 美神戦隊アンナセイヴァー


 第40話 【齟齬】





  

「わかりました、では、かなたを連れて行きたいのですが――」




 あまりにも自然に飛び出した言葉に、凱は思わず面食らった。


「待ってください、猪原さん。

 残念ですが、それは出来ません」


「どうしてですか?

 こうしてやっとかなたと逢えたのに、また離れ離れになれと言うんですか?」


「それについては、先程何度も説明しましたが」


「ふええ、かなた、パパとママと離れたくないよ~!」


「北条さん、どうかお願いします!

 この子を、うちに連れて帰らせてください!」


 遂には、かなたと妻まで同じようなことを言い始める。

 突然の展開にうろたえる坂上に掌を向けると、凱は、一旦深呼吸して三人に伝えた。


「出来ることなら、私もそうして差し上げたいですが。

 かなたさんは、この世界に捕らわれている状態ですから、たとえあの車に乗せても時間が来れば消えてしまい、またこの世界に戻ってしまいます」


「そんな事を言って、かなたを帰らせないつもりなのか?!」


 いきなり、夫の口調が変わる。

 どうやら激昂すると態度が豹変するタイプのようで、凱は内心呆れたが、顔に出さないよう努めた。


「今の私達は、特別な技術で、無理やりこちらの世界に潜り込んでいる状態なのです。

 ですから、いつまでもここに居ることは出来ませんし、この世界にあるものを持ち帰ることも出来ません。

 それは、かなたさんや坂上さんであっても同じことなのです」


「そんなこと、やってみなければわからないじゃないですか!」


 妻の方も、だんだんヒートアップしてくる。

 凱は、やはりこの二人を連れて来たのは失敗だったかと、心底思った。

 長年離れ離れになっていた子供と再会し、気持ちが変わってしまったのは理解出来る。

 とはいえ、絶対のルールを捻じ曲げることは、不可能なのだ。

 だからこそ、事前説明をしておいたのに。


「あの、ちょっと宜しいでしょうか」


 申し訳なさそうに、坂上が手を挙げて会話に割り入って来る。


「以前、私も北条さんから詳しく伺い、元の世界に戻れないことを理解しました。

 お二人とも、お気持ちはお察ししますが、ここは一度お戻りになられてはいかがでしょう」


「……」


「北条さん、猪原さんご夫婦を、もう一度こちらにお連れ頂くことは可能でしょうか?」


 坂上の質問に、凱は一瞬戸惑った。


「ええ、可能です」


「どうでしょう、本日はここで一旦お開きにして、明日以降にでもまたお越しいただくというのは?」


「ええ~っ」


 不満そうな顔のかなたに、無言で佇む両親。

 何か言いたいが言葉に出来ない苦悩が感じられ、凱も言葉を失う。


「かなたちゃんは、私が責任を持ってお世話します。

 ですからどうか、お二人は安心して、本日はお戻りください。

 いつでもお待ちしておりますから、また是非いらしてください」


「……」

「……」


「さぁ、かなたちゃん、晩御飯のお手伝いをしてくれるかな?」


「う、うん」


「あ、そうだ、北条さん!

 あのお二人にお伝えくださいませんか。

 作って頂いた煮込みハンバーグ、とても美味しかったって」


「そうそう! とぉーっても! 美味しかったんだよ!

 かなたね、二つもぺろっと食べちゃったの!」


 そう言うと、かなたはVサインを翳して急に笑顔になった。

 凱はなんとも言えない表情でそれを受けると、静かに頷く。


 そして猪原の妻は、その言葉に再び涙ぐんだ。


「煮込みハンバーグ……かなちゃん、大好物だったもんね」


「ああ、二日か三日にいっぺんのペースで、いつもリクエストしてたからな」


 相槌を打つ猪原も、いつしか涙ぐみ始める。

 そんな二人の様子に、凱はただ目を閉じ、同情するしかなかった。


「ねえママ!

 今度来るとき、お弁当持って来てくれない?」


「えっ?」


「かなた、ママの作ったご飯、久しぶりに食べたいの!

 ねえ、おねがーい!」


「あ、う、うん、いいわよ」


「わぁい、やったぁ♪」


 かなたはゆびきりをせがみ、母と約束を交わす。

 その間に、凱は場の雰囲気を変えてくれた坂上に、無言で礼をした。

 時間は、もうない。


「もう時間です、ここを出ましょう。

 坂上さん、申し訳ありませんが、また寄せてください」


「はい、わかりました。

 いつでもお待ちしていますので、ご遠慮なくどうぞ!」


 

 その後、坂上とかなたに見送られ、凱と猪原夫妻はナイトシェイドに乗り込んだ。

 何度も振り返り、かなたに手を振る二人の姿に、凱はこみ上げるものを感じていた。

 車に乗り込んでものの一分も経たないうちに、リアウィンドウから見えていた二人の姿が消え、それと同時に周辺を歩く人達や行き交う車の姿が現れた。

 突然出現したナイトシェイドに驚いたのか、脇を通り過ぎる人々が、不思議そうにこちらを見つめている。


「車を、出しますね」


 それだけ呟くと、凱はステアリングを握り込む。

 二人の答えはなく、ただ、微かに嗚咽の声だけが聞こえた。







 地下迷宮(ダンジョン)にいつものメンバーが集合したのは、午後10時を回った頃だった。

 研究班エリアのいつもの場所に、いつもの面々が勢揃いしている。


 それぞれ思い思いの席に着き、一部はミーティングルームから椅子を借りて来て座る。

 

「こんな時間なので、手短に済ませたい。

 まず、向ヶ丘と石川のチームから報告を頼む」


「え? 未来ちゃんとありさちゃん、何かしてたの?」


「ひっどいなあメグ、あたしら休んでたわけじゃないぞ」


「ひーん、ごめんなさいー!

 だってぇ、最近あんまりお顔見てなかったからぁ」


「それを言ったら、あたしらだってメグ達見てないじゃん。

 あ、でもお疲れ。

 あれから色々大変だったのは聞いてるよ」


「うん☆ありさちゃん、ありがとー」


 いきなり仲良しトークに突入する二人を無視して、未来が咳払いをして報告を始める。


「例の件ですが、環状八号線の用賀付近、駒沢通りでの報告が多いです。

 残念ながら、本日の調査でも有力な情報は得られませんでした」


「肝心のXENOが、全然見当たらないんだわ。

 ニアミスすらもないんだよねー」


 未来の報告に、ありさが補足する。

 その発言に、舞衣と恵は驚きの声を上げた、


「な、なんですか、そのお話は?」

「ちょ、いきなり何? メグ達全然知らないんだけど?」


「お前達にはあえて話をしていなかったんだ。

 実は、この二日間でXENOによる新たな事件が発生した。

 それも、複数個所でな」


 勇次の言葉に、二人は目を剥いた。


「ど、どうしてそんな大事な話を、伝えてくださらないのですか?!」


「そうだよ! 第一、XENOと闘うことになったら、パワージグラットだって――」


「そのパワージグラットを使って、かなたちゃん達の世界にXENOを送り込んでしまったらまずいから、今回は別行動にしたのよ」


 恵の言葉を遮るように、未来が言い放つ。


「あう」


「で、でも、事情くらいは」


「まあ結局、それを伝えなきゃならない事態にまで発展しちゃったんだけどね」


「そんな……」


 勇次は、冷静な口調で概要の説明に入った。


 今回のXENOの情報を、“SAVE.”はまだ一切得ておらず、あくまでネット上に出回っていた「SNS投稿者による情報」からしか、概要が掴めていない状況だ。

 その情報の内容もまちまちで、大きな人型だの、四つんばいの中型動物だの、大きな腕だけが現れただの、統一性がまるでない。

 あまりの神出鬼没ぶりに、今川も含め様々な考察が行われたが、時間と資料が足りず概要すら掴めていない有様だ。


「あんだけ過疎ってるSNSが、この件でまた盛り上がってるってのが皮肉だね。

 でも、そのおかげでこっちは今回の事件を知ることが出来たんだけどさ」


 少し呆れたような口調で、今川がボヤく。

 

「ちょっとアレな表現で悪いけど、事件現場の様子がぐっちゃぐちゃの酷いことになってるって状況がなかったら、XENOとは違う事件かなって思っちゃうくらいだよ!」


 今度は、ティノが困り顔で首を傾げる。

 そんな事態が発生していた事に全く気付けなかった姉妹は、思わず青ざめながら顔を見合わせた。


「そんな状況でしたら、私達にも……」


「いや、お前達は引き続き、並行世界の調査を続けて欲しい」


「でも、そんなこと言ってたら! 被害者が増えちゃうじゃない!」


「気持ちはわかるが、今後もパワージグラットを使用していけるかどうかを見極める為の調査だ。

 ここは分担作業だと割り切って、お前達は今の任務に集中してくれ」


「う……」


 物凄く辛そうな顔をして黙り込む恵を、舞衣が優しく抱きしめる。

 そんな彼女も、複雑な表情だ。

 舞衣の視線が、先程から黙っている凱に向けられる。


「お兄様は、このことを――」


「おおまかな話だけは聞いていた。

 だが、そこまで厄介なことになってるとは知らなかった」


「そうですか……」


「ひとまず、XENOの調査は続けるわ。

 でも舞衣、メグ。

 もしかしたら、あなた達の力も借りなければならない事態が発生する可能性もあるわ。

 その時は、悪いけど――こっちの手助けを頼むわね」


 未来の言葉に、舞衣はかろうじて頷きを返す。

 だが、相当なショックを受けたのか、メグだけは無反応だ。



「あの~、そろそろ、私も報告して宜しいでしょうか?」


 同じく、今までずっと黙ってやりとりを聴いていた愛美が、手を挙げる。

 

「そうそう、愛美も単独調査お疲れ様。

 それで、どうだった?」


「ええ、例の雑居ビルなんですが。

 勇次さんの予想通り、全く壊れていませんでした!」


 愛美のその報告に、舞衣と恵が揃って顔を上げた。


「愛美ちゃん! そのビルって、もしかしてあの時の?!」


「あ、ハイ! お二人と行ったあのビルのことです。

 科学魔法で、舞衣さんが壊しちゃった、あの」


「……!」


 一瞬、舞衣の顔が険しくなる。

 初めて見るその形相に、愛美は、思わずゾクリとした。


「では、私達が今通っている、かなたさんたちの居るあの世界は……」


 舞衣の声が、震えている。

 その質問には、誰も反応しようとしない。

 もう、答えは出ているのだから。


 舞衣を引き剥がし、恵がいつもと違う大きな声で吼えた。


「ちょっと待って!

 それじゃあパワージグラットは、使えば使うほど違う世界に移動しちゃうってことなの?!」


 しばしの沈黙の後、勇次が、重苦しい声で答えた。


「その通りだ。

 愛美の報告で、それがはっきりした。

 パワージグラットを使い続けることで、お前達はまた別な並行世界へ飛ばされていくだろう」


「それじゃあ、それじゃあ……かなたちゃん達は、どうなるの?!

 せっかく、パパやママと逢えたのに!

 また逢おうって約束もしてたのに!」


 今にも泣き出しそうな顔で、恵が叫ぶ。

 彼女のそんな態度を見たことがなかった面々は、驚いて顔を上げた。

 そして舞衣と凱だけは、逆に顔を伏せる。


「酷いよ……どうして、どうしてそんなことになっちゃうの?

 かなたちゃんも、坂上さんも、好きであの世界に行っちゃったわけじゃないのに……」


 雫が、床にポタポタと落ちる。

 恵の頬を、涙が伝う。

 手が震え、肩も大きく揺れている。

 愛美は、初めて見る恵のそんな態度に、ただ呆然とするしかなかった。


「相模、残酷なことを言うようだが――」


「勇次、もういい」


 話し始めた勇次を止め、凱は恵の肩を抱いた。


「そこから先は、俺から話す。

 すまないが、俺達は今夜はこれで失礼する」


「うむ」


「そ、それでは皆様、おやすみなさい」


 舞衣も、慌てて席を立つ。

 凱は恵と舞衣を伴い、そのまま静かにエレベーターの方へ向かって行った。 

 その後姿を見送った一同は、どう間を繋げばいいのか、戸惑った。


「なんか、あったの? メグ」


 沈黙を破り、ありさがひそひそ声で未来に話しかける。


「私も話を聴いただけだけどね。

 昔ちょっと色々あって、あの子、トラウマを抱えてしまってるの」


「トラウマ……」


「今回のかなたちゃんの件も、それがあるから、あんなに一生懸命なんだと思う」


「そっか」


 それ以上、言葉が続かない。

 打ち合わせの流れが途切れてしまった為、これ以上は無意味だと感じた勇次は、解散指示を出す。


 全ては明日に持ち越しになった。





 十年前。

 相模姉妹が、まだ小学一年生だった頃。


 恵の同級生に、いつも一人ぼっちの女の子が居た。

 特に苛められているわけではなく、また自分から話しかけないわけでもないのだが、上手く友達が作れないようだった。


 その子は、恵にも何度も懸命に話しかけ、その都度恵も対応した。

 しかし、恵はそこまで親しさは感じておらず、誘われても家に遊びに行くことなどはなかった。

 まだ幼かった彼女は、兄と姉の方を大事に思っていたので、彼らと共に居る方を望んだ。

 決して嫌いではなく、学校では仲良く遊んだりもしたが、ある程度以上踏む込むことはなかったし、本人もそこまでは思っていなかった。


 そんなある日、突然、その子が転校することになった。

 一緒に遊んでくれた数少ない友達ということで、その子は恵にお礼を言い、ずっと忘れないでねとお願いをして来た。

 そして恵も、その願いに頷いた。

 特に、深く考えることもなく。

 きっといつか、また逢える日が来ると信じて。



 だが、後日。

 恵は、あの同級生は転校したのではなかったことを知らされた。

 

 生徒達達には知らされていなかったが、彼女は不治の病に冒されていた。

 余命もあと僅かと診断されており、本人と家族も、既に覚悟は出来ていたようだった。

 本人の希望で、出来る限り学校生活を楽しんでいたが、それも限界が近づいたことで、最後の手術を受けるために、長期入院を余儀なくされたのだ。


 だが――僅か三ヶ月後。


 もしかしたら、恵を一番の友達と思っていたかもしれない彼女は、もう二度と逢えない存在となってしまった。



 恵は大きなショックを受け、それから数日の間、ひたすら泣き続けた。


 もっと、仲良くしてあげれば良かった。

 おうちに遊びに行って、楽しい時間を過ごせば良かった。

 自分も、大事なお友達だと思ってあげるべきだった。


 子供を失ったご両親は、どれだけ悲しんだだろうか。


 何度も後悔し、詫びた。

 拙いコミュニケーション能力を精一杯に駆使して、勇気を振り絞って誘ってくれた彼女の気持ちを、踏みにじった自分が憎かった。

 どうして彼女を友達と認めてあげなかったのか、己の我が侭、傲慢さが許せなかった。


 別な意味で、彼女は、恵にとって忘れられない存在となった。



 ――恵が、積極的に友達を作るようになったのは、それからしばらく経ってからだった。


 友達を作り、それぞれに精一杯の大好きを伝え、そしてありったけの気持ちをぶつけて仲良くなる。

 絶対に、妥協はしない。

 妥協をしたら、それは、あの子との約束を破ることに繋がる。

 想いは形を変えて、恵の決意となった。


 恵は、もう二度と戻らない「友達」への想いを、胸に深く刻み込んでいく。


 もう、こんな悲しい想いをしないため、させないため。

 

 それは、彼女が“SAVE.”に入り、アンナセイヴァーの搭乗者(パイロット)になる動機にも繋がっている。



 恵は猪原かなたに、あの同級生のイメージを重ねていた。






 ナイトシェイドに、猪原夫妻からの電話連絡が入ったのは、その日の午後二時頃だった。

 先日渡した名刺の電話番号にかけて来たのだろう。

 ナイトシェイドが転送してくれた通信を受け、凱は、二度目の訪問の約束を交わした。


「――ふう」


 スマホを切り、足を止めた凱は、手近な壁にもたれかかり、空を見上げる。


(やっぱ、昨日のこと……言わなきゃダメなんだろうなあ)


 パワージグラットを使用すればするほど、かなたの居る並行世界は遠ざかる。

 そして、やがてはパワージグラットを使っても、逢いに行けなくなってしまう。

 それは今回が最後になるかもしれないし、更に次の機会かもしれない。

 誰にも、「その時」を見極めることは出来ない。


 夕べ恵は、泣きじゃくった。

 十年前、友達を失った時のように。

 あの時は事後だったが、今回は、これから確実に起きること。

 だが、それを防ぐ手立てはない。

 恵は、悲しい別れを、避けることも出来ずに再び受け入れなければならないのだ。


(辛ぇなあ……)


 ただ見守ることしか出来ないという、何度目かになる苦悩。

 大切な妹が、自分の子供も同然の妹が、大きな悲しみを抱えるだろう事態に、何も出来ない無力感。

 凱は、彼なりの絶望感の中に居た。


(だが、きちんと事実は、伝えてやらないと)


 そっと目を閉じ、頭を掻く。

 凱は、近くにあった自動販売機でコーヒーを一本買うと、とぼとぼと路を歩き始めた。




 もうすぐ夕方という頃。

 学校を飛び出した恵は、舞衣と合流してナイトシェイドに乗り、SVアークプレイスを目指す。

 日中に凱から入ったメール連絡で、また中野新橋のマンションに向かうためだ。

 だが、


「えっ、今回は顔を出していいの?」


『ああ、かなたちゃん達とあと何回逢えるかわからないからな。

 逢える時に、少しでも逢っておくんだ』


「うん、でも……」


『お前達のことは、俺からフォローを入れておく。

 だから、猪原さん達のことは気にするな』


「うん、ありがとう、お兄ちゃん」


 車内で通信を終えると、助手席に座る恵は、悲しげな瞳で舞衣を見つめる。

 運転席の舞衣は、そんな彼女の頭を優しく撫でた。


「大丈夫、きっと、まだまだ沢山逢えますよ」


「うん……そうだといいね」



 

 先日のように、枝川まで迎えに行った凱は、昨日とは全く違う猪原夫妻の態度に驚いた。


「かなたの好きな料理を、お弁当に詰めて持ってきたんです!」


「すみません、ちょっと匂いがもれるかもしれないですが……」


「ああ、大丈夫ですよ。気にしないでください」


 昨日とは違い、どこか明るく謙虚な二人。

 やはり、自分達の子供が元気で生きているという確証を得たことが、気持ちに張りを与えたのだろうか。

 二人は、まるでどこかにデートに行くかのような、嬉しそうな様子だ。


(おいおい……こんな状況で、俺は昨日の話をしなきゃならねーのか?)


 運転しながら散々悩んだ結果、ひとまず、行きではパワージグラット関連の話はしないことにする。

 凱は、アンナミスティックとウィザードの説明だけを簡潔に行い、軽く理解を促すだけに留め、首都高を目指した。


 夜の帳が折り始める頃、ナイトシェイドはようやく中野新橋に到着する。

 先日と同じ段取りで、パワージグラットの施行を待つ。

 もう流れを把握しているのか、猪原夫妻は、周囲に人や車が居なくなった瞬間、すぐに車を降りた。

 早足でマンションに向かおうとする時、背後に、二人の少女が舞い降りた。


「こ、こんにちは!」

「あ、あの、初めまして……」


 振り返った夫妻は、アンナウィザードとミスティックの姿を見て、一瞬凝固した。


「先程話した、うちのエージェントです。

 彼女達の協力で、私達はこの並行世界に来られるようになっています。

 格好は……その、気にしないでください」


「そ、そうですか……ありがとうございます!」

「いつも、かなたがお世話になっております」


 いささか戸惑いつつも、二人はアンナミスティック達に深々と頭を下げる。

 凱は、少しでも時間を稼ぐため、四人に移動を急かした。


 マンションの入り口に入った時、アンナミスティックは、管理人室の窓際に置いておいたノートが少し膨らんでいることに気付いた。

 見てみると、いつの間にか、沢山の書き込みがされている。

 かなたが、自分に向けて色々と書き込んでくれているようだ。


「かなたちゃん、一生懸命、いっぱい書いてくれたんだー♪」


 嬉しそうに内容を眺め、映像に記録しようとするが、ふと、ある記述を見止め、手が止まる。

 次の瞬間、アンナミスティックの顔色が変わった。




 インターホンを押し、声が返って来てから、どたどたと足音が響いてくる。

 ドアを開けた途端、涙目のかなたが飛び出してきた。


「うえぇ~ん、ママぁ、パパぁ! 逢いたかったよぉ!」


「ごめんね、かなちゃん! でも、また逢いに来たよ」


「おうちに入ってもいいかい?」


 優しく尋ねる夫妻に、かなたは泣きながら頷く。

 続けて玄関にやって来る坂上に頭を下げた凱は、何故かいささかの違和感を覚えた。


 青ざめた顔のアンナミスティックが遅れてやってきたのは、その直後だった。





「――えっ、一ヶ月?」


 凱と猪原夫妻、そしてアンナウィザードとミスティックは、思わず大きな声を上げた。


「ええ、皆さんが前回来られてから、こちらでは一ヶ月経っています。

 かなたちゃんは、毎日この時間になると、チャイムが鳴るのを待ってソワソワしていたんですよ」


 苦笑いを浮かべながら、坂上が報告する。

 だがその言葉に、五人は押し黙ってしまった。


 先程、アンナミスティックが見たノートには、一か月分のかなたの想いが綴られていた。

 翌日すぐ来てくれると信じていたかなたは、いつまで経っても姿を現さない両親に寂しさと苛立ちを覚えていたようで、書かれた文からひしひしと伝わってくる。

 そんな書き込みが十数ページにも及び、最後の方は、もう逢えないのかもしれないというせつない諦めの言葉が書かれていた。

 アンナミスティックは、それを見て思わず涙ぐんだ。


「私達は、あれからすぐ、次の日にここへ来たつもりですが」


「あの、もしかして北条さんのところの機械が、故障でもしたのでは?」


「いえ、そういうわけでは」


「と、とりあえず、今日は――あの、お母様」


 場を取り繕うと、アンナウィザードが話を切り替える。

 猪原の妻は、ハッとして荷物を取り出した。


「あのね、かなちゃん。

 晩御飯まだ?」


「うん、まだだよ?」


「ママね、昨日……この前の約束通り、お弁当を持って来たの。

 良かったら食べる?」


 そう言って、持ち込んだ弁当箱を取り出した。


「わぁ♪ ママ、作ってくれたの? ありがとう!」


「いっぱい食べていいよ、かなた」


「うん、パパもありがとう!

 かなた、とっても嬉しい!」


 喜びながら、弁当箱を開けるかなたを見て、エプロン姿の坂上も微笑む。

 そんな彼の肩を叩き、凱は、彼を別室へと促した。


「坂上さん、夕飯の準備をされておられたのに、申し訳ありません」


「あ、いえいえ。大丈夫です。

 かなたちゃん、お母さんのお弁当が来るのをあれからずっと待ってたので、夕飯の時間もずらしていたんですよ」


「そうなんですか。

 でも、どうかこのまま、夕飯のご準備を進めてくださいませんか」


「えっ? どうしてですか?」


 凱は、坂上にこの先の予想を伝える。

 かなたの食べようとしている弁当は、この世界には本来ないものだ。

 その為、パワージグラットの制限時間が切れた瞬間、かなたの体内から消滅してしまう筈だ。

 そうすれば、せっかく食べたのにまた空腹になってしまう。

 かなたには黙っていた方がいい、と付け加えるが、坂上はすぐに察してくれたようだ。


「わかりました、そういうことでしたら」


「本当に申し訳ありません。

 いつもいつもお願いばかりで」


「いえ、それよりも、こちらに来られるペースが急に開いたことが気になるのですが」


「それなんですが、実は――」


 坂上なら、恐らく全てを話してもいいだろうと、判断する。

 凱は、自分達の本当の素性と、現実世界で起きている事象、それに対するパワージグラットの使用について概要を説明した。

 荒唐無稽すぎる内容に、さすがの坂上も理解が及ばないだろうと思っていたが、彼は予想外にあっさり受け入れた。


「ああ、それで以前、おかしなバケモノみたいなのと皆さんが闘っておられたのですね」


「そうか! それをご覧になられていたのですね?」


「ええ、その後、駐車場の火を消しに行きました」


「えっ?! そ、それは申し訳ありませんでした! 大変なご迷惑を」


「いえいえ、しょうがないですよ。

 皆さん、ここには誰もいないと思われていたんですから」


 凱は、坂上の理解力の高さと懐の広さに、心から救われたような気がした。





「ごちそうさまー☆ 美味しかったぁ!

 ママのご飯、久しぶりに食べられてウレシー!!」


「良かったねー、かなたちゃん!

 お腹いっぱいになった?」


「うん! なったよお姉ちゃん!

 あのねママ、パパ!

 このお姉ちゃん達、かなたとお友達になってくれたんだよー!」


「まあ、そうなの!」


「それはありがとうございます! いつもかなたがお世話になって」


「い、いえいえ、それほどのものでは!」

「こちらこそ、かなたちゃんと仲良くさせて頂いてまーす!」


 猪原夫妻の言葉に、姉妹が恐縮する。


 楽しいひとときは、あっという間に過ぎ去っていく。

 残り時間があと十分に迫った時、凱は、思い切って皆に報告することにした。


「とても言いにくいことなのですが。

 今後、こちらにお邪魔するペースが、どんどん開いていくかもしれません」


「えっ?」


 真っ先に、猪原夫妻が反応する。

 凱は、出来るだけ丁寧に、かつ判りやすく、状況を説明することにした。


 この世界は、少しずつ、現実世界から遊離しつつあること。

 パワージグラットを使えば使うほど、離れ具合が広がって行くこと。

 それが、時間軸のずれという形で表面化しつうあること、等。


 その説明に、猪原一家は呆然とするしかなかった。


「でも、もう二度と逢えないってわけじゃないよね?」


 かなたが、両親にすがりながら、頼るような視線をミスティックに向ける。

 一瞬困惑するが、アンナミスティックは、すっくと立ち上がった。


「大丈夫だよ! きっとまt」

「残念ですが、確約は出来ません」


 アンナミスティックの言葉を遮って、凱が告げる。

 一瞬、空気が凍りついた。


 タイムリミットまで、あと五分を切った。


「詳しい話は、帰りの車の中で。

 それでは坂上さん、本日もありがとうございました」


「はい、どうかまた、お越しください。

 二人で、いつまでも待っていますからね」


 そう言いながら、坂上は笑顔を向ける。

 そしてかなたは、両親にぴったりくっついたまま、玄関へ向かっていく。


 その様子を、アンナミスティックは、ただ無言で見つめるしかなかった。



「お姉ちゃん!」


 マンションを出る直前、不意に、かなたがアンナミスティックを呼び止めた。


「なぁに? かなたちゃん」


「このノートね、かなた、いっぱい書いておくからね!」


「え? う、うん」


「だからね、もし、かなた達に会えなくなっても、このノートを見つけたら、絶対に読んでね!

 約束してくれる?」


「も、勿論だよー♪

 じゃあ、指きりしようか」


「うん☆

 ゆーびきーりげーんまーん、ウソついたらハリセンボンのーます!」


 屈んでかなたと目線を合わせたミスティックは、小指を絡めて約束をした。

 今にも泣き出したい気持ちを、必死で抑えて。


 一瞬、かなたに、同級生の姿が重なって見えた。



(こずえちゃん……ごめんね、私、また……)



「お姉ちゃん、泣いてるの?」


「え?」


「涙、出てるよ?」


「え? あ、ウソ……ご、ごめん!」


「ううん、泣かないで! きっとまた逢おうよ!

 んで、今度はお外で一緒にあそぼ!」


「いいよー! じゃあ、また来るからね!」


「バイバーイ☆」


 ハイタッチを交わし、ミスティックはマンションを離れる。

 坂上と共に、笑顔で手を振るかなたと、それに手を振り返す猪原夫妻。

 

 その様子に、凱とアンナウィザードは、たとえようもない程の胸騒ぎを覚えた。


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