【別離】



 


 案の定、猪原夫妻による凱への連絡が頻発化した。

 午前中から二時間程度の間を置き、何度も連絡をしてくる。

 時には、ナイトシェイドにオペレーターを演じてもらい、対応を頼むほどだ。


 相模姉妹が下校するまでは、どうしてもパワージグラットを行使できない。

 それを何度も説明するのだが、こちらがぐずぐずしていると、どんどんタイムラグが開いていくのが我慢ならないのだろう。


 あの晩、帰りの車内で何度も説明したにも関わらず、猪原夫妻は、焦るあまりにその事を頭から飛ばしているようだった。

 気持ちは痛いほど理解出来るのだが、あくまで好意で動いている立場としては、やはり全ての要求をそのまま受け入れるわけには行かなかった。


「――わかりました、それでは、いつもの時間に」


『いえ、私達が直接、中野新橋に向かいますので、お迎えは結構です』


「ああ、なるほど。

 承知しました」


 猪原の妻が、感情を抑えたような声で伝える。

 確かに、その方が時間は遥かに短縮できる。

 聞けば、猪原は有給を取得してまで、かなたとの面会時間を稼ごうしているようだ。

 その想いに同情し、胸が張り裂けそうになるが、その気持ちを表には出さず、凱はあくまで平静な態度を装い続ける。

 だがそれは、夫妻の為でなく、愛する妹の為であった。






 美神戦隊アンナセイヴァー


 第41話 【別離】






「――以上が、千葉愛美からの報告になる」


「まっずいですね、やっぱり、あの並行世界はどんどん変化しているみたいな」


「しかも、この測定結果だと、あたし達が想定してるよりずっと早いね。

 ―ユウジ、ぶっちゃけ、あとどんくらいが限界なの?」


 今川とティノの言葉に、勇次は自分の端末に向き直る。



 アンナウィザードとミスティック、そして凱達がかなたや坂上と会っていた頃、アンナローグは単身で異世界(デュプリケイトエリア)を調査していた。

 以前、XENOと戦闘を行った場所を巡り、その様子を撮影してレポートする。

 加えて、都内各所の店舗やコンビニを定め、その店内の商品の一部をあえて動かし、それがどう変化を及ぼすかを観察するなど、地道な作業も並行していた。


 その結果、XENOとの戦闘箇所は全て元通りになっていた。

 また、商品を動かした店舗も、ほぼ全てが元に戻っていることを確認した。


 それはつまり、坂上やかなたが述べていた「一ヶ月間」で起きた変化が想定以上に著しかった事を示している。


 並行世界で変化が起きるという事は、どんどん別な世界に変わっているという事を意味する。

 たとえキャラメル一粒増えただけでも、それは違う世界に変わった証なのだ。


 かなた達の居る世界が、どのような理屈で変化を起こしているかは、今の“SAVE.”には知る由もない。

 そしてパワージグラットの効果も、今は非常に大雑把な移動を行っているので、多少の変化による世界のずれは無視できるようだ。


 だが、それがいつまで続くかは、予想するしかない。


 勇次がアンナローグに調査を指示したのは、それを指し計る目安を得るためだった。


「これまで、パワージグラットが使用された回数は十四回。

 そのうち、猪原かなたが発見されてからの施行回数は六回。

 渋谷のビルの変化は、十三回目で確認されている。

 いったいどの時点で変化したのかはわからないが、仮に十回の施行で以前に移動した世界にいけなくなるのだとしたら――」


「あと、四回?」


 ティノの呟きに、今川が首を振る。


「いや、もっと少ないですよ。

 だって前回と前々回の間で、急にタイムラグが増加したんですから」


「ああ、そうか。

 じゃあ、開きが今までより大きくなっていると仮定したら……えっと、ユウジ、結論出して!」


 ティノに応え、勇次は端末に表示した何かのデータを指し示した。


「何よコレ?」


「AIに作成させた、本件のシミュレーションプログラムだ。

 これに基いて今の回答を述べると」


 ゴクリ、と二人の喉が鳴る。

 勇次は、重い溜息を吐き出すと、苦々しそうに呟いた。



「恐らく、あと一回か二回が、限度だ」 


 




 勇次が分析した情報は、ティノによって即座にナイトシェイドに伝達される。

 そしてそれは、凱と相模姉妹のスマホにも送信された。

 たまたま休憩時間にそれを確認した恵と舞衣は、思わず目を剥いて席から立ち上がった。


 教室を飛び出した、恵は、隣のクラスから出て来た舞衣と会い、屋上への階段を駆け上った。


「ど、どうしよう、お姉ちゃん!」


「あと一回か二回だなんて……あまりにも唐突過ぎますね」


 舞衣は、早速凱に連絡を取った。


『――ああ、俺も驚いている。

 しかし、であれば尚更、迂闊な行動は出来ない』


「す、すぐにあのマンションに行った方がいいのかなあ?」


「私達は、どうすれば良いでしょう?」


『お前達は、最後まで授業を受けるんだ。

 いつものように、ナイトシェイドでアークプレイスに戻って、すぐにあの場所へ向かってくれ』


 凱は、猪原夫妻が直接現場に向かう事と、少しでも時間を短縮する旨を二人に伝える。

 恵も舞衣も納得出来ない表情だったが、兄の指示に背く意味も気持ちもない。

 会話を終了させると、授業開始のチャイムが鳴った。


「あ~あ、結局いつもと同じになっちゃうのかあ」


「確かに、今私達が慌てても、事態は変わらないですからね」


「うう、メグも、お姉ちゃんみたいに冷静になりたいよぉ」


 そう言って涙目になりかける恵を、舞衣は頭ナデナデでなだめる。


「じゃあ、いつものように校門の前で待ち合わせね、メグちゃん」


「うん! じゃあ放課後にねー!」


 約束を交わし、それぞれの教室に向かって走っていく。

 だが恵は、途中で足を止めた。

 廊下の窓から、青い空を眺める。



「どうしたの、相模君?」


 不意に、後ろから声をかけられる。

 担任教師の東条が、不思議そうな顔で見つめていた。


「あ、センセ! ごめんなさい、急ぎますから!」


「ああ、うん。

 なんかその、大丈夫?」


「ううん、メグ大丈夫でーす☆」


 そう言うと、ニカッと笑ってまた走り出す。

 その様子を見つめて、東条は優しく微笑んだ。




 放課後。

 約束通り、校門前で待ち合わせた相模姉妹は、目立ちにくい場所で停車していたナイトシェイドに飛び乗った。

 SVアークプレイスに向かう途中、地下迷宮(ダンジョン)からの通信が入る。


『マイ、メグ、聞こえてるかな?』


 声の主は、ティノだ。


「ティノさん! どうされたんですか?」

「今、アークプレイスに向かってるの!」


 二人の声を聞いて安堵の溜息を漏らすと、ティノは、改まって話し始めた。

 その声は、やや真剣味を帯びている。


『さっき、目黒の祐天寺付近で、XENOじゃないかなって思われる目撃情報があったの。

 ミキとアリサ、マナミがそっちに向かってくれてるわ』


「え、こんな時に?」


「そ、そんなぁ!」


『まだXENOだと決まったわけじゃないからね、アンタ達は予定通りに行動して。

 でも、もしかしたら――戻って来た早々、力を貸してもらうことになるかもね!』


「わ、わかりました! 勇次さんは?」


『今、研究班総出で、祐天寺の情報分析中!

 非常勤のスタッフも呼び出されて、てんやわんやだよ!』


「ふや~、わかりましたぁ」


 通信が途切れ、二人は、不安げな表情で見つめ合う。


「どうしよう、お姉ちゃん!

 もし、未来ちゃん達の方で、パワージグラットが必要になっちゃったら」


「そうならないことを、今は祈るしかありません。

 急ぎましょう」


 二人は祈るような気持ちで、SVアークプレイスへの帰路を急いだ。





 午後五時二十分、東京メトロ・中野新橋駅。

 ここから件のマンションまでは、徒歩でせいぜい数分程度の距離だ。

 複雑な路ではなく、細い路をただまっすぐ歩くだけで、とても判りやすい。

 猪原夫妻は、前より少し大きな荷物を持ち、マンションの方角へ向かって歩き出した。


 凱との約束の時間まで、あと僅か。

 

 夫妻は、例のマンションの前に辿り着くと、訪れた部屋の窓を見つめる。

 そこでは、見た事もない若い女性が洗濯物を取り込んでいた。


「やっぱり、本当にあそこは、異世界だったんだね」


 妻が、ぼそりと呟く。

 夫は、それに無言で頷いた。


「ちょっと、電話してみる」


 スマホを取り出そうとする夫の手を、妻が止める。


「待って、もう何回目よ!

 これ以上はご迷惑だって」


「だけど、こうしてる間にも、かなたは」


「そうだけど、あの人達は、何の得にもならないのに、私達の為に一生懸命やってくださってるのよ?

 私達は、そのご好意に甘えてるだけなんだから」


「……」


 それ以上、会話が続かなくなる。

 夫婦は、そのまま路地の端に立ち止まり、凱達が来るのをひたすら待ち続けた。





 駒沢通り・祐天寺前交差点。

 祐天寺の正門付近、その向かいにある駐車場に、二人の少女の姿があった。

 アンナパラディンと、ブレイザーだ。

 夕刻とはいえ、まだ周囲は明るく、周辺は行き交う人々も車も多い。

 だがそんな中、二人はそこへ降り立たざるを得ない状況に陥っていた。


 いったい、何処から現れたのか。

 駐車場には、車を何台も踏みつけながら蠢く、巨大なバケモノが居た。

 その姿は、まるでトカゲ。

 しかし、四肢が異様に長く、また体長も推定三メートルはあり、更に尾の長さも加わって、相当な巨体に思える。

 そのバケモノの姿は既に大勢の人々に見られており、その為、野次馬達もかなりの距離を置いてその様子を窺っているようだった。

 破砕したフロントガラスに前脚をかけ、そのトカゲ型のバケモノは、数メートル先に降り立った二つの光を凝視した。

 

 空から舞い降りたアンナパラディンとブレイザーの姿に、野次馬達がざわつき始める。

 アンナブレイザーは、軽く舌打ちした。


「どうすんだコレ、思いっ切り見られてるじゃねえか!」


「今更だけど、こうするわ」


 アンナパラディンの、右手首の宝珠が、閃光を放つ。


“Completeion of pilot's glottal certification.

I confirmed that it is not XENO.

Science Magic construction is ready.MAGIC-POD status is normal.

Execute science magic number C-014 "Hallucination" from UNIT-LIBRARY.”


「ハルシネーション!」


 アンナパラディンが、科学魔法の幻覚地形(ハルシネーション)を唱える。

 その途端、駐車場周辺に広範囲の光学スクリーンが、瞬時に形成される。


 駐車場の中に居た筈の三体の影は、その瞬間、消滅した―-ように見えた。


「ふぇ?! あ、あんたも、科学魔法使えたのかよ?!」


「あの二人に比べたら、ほんの少しだけね。

 さぁ、今のうちに」


「オッケー!」


 その声と同時に、トカゲ型のバケモノと二人は、同時に跳躍する。

 三つのシルエットが、空中で激しく激突した。





「祐天寺正門前で、アンナパラディンとアンナブレイザーが交戦開始」


「XENOの映像情報が届いています」


「周囲に大勢の人が集まっています。

 XENOの敏捷性を考慮すると、非常に危険な状態です!」


「パワージグラットによる現場隔離が求められます!」


 オペレーターの声が、慌しく響く。

 地下迷宮(ダンジョン)のオペレーティングエリアでは、勇次と今川が、空間投影型の巨大モニタを見つめ、苦々しい表情を浮かべていた。


「只今より、この度のXENOを“UC-12 リザードマン”と呼称する。

 ただちに、リザードマンの移動速度と運動性能を分析。

 情報を二人のAIに送信しろ」


 勇次の指示に、女性オペレーター達が行動を開始する。

 その脇で、今川は持ち込んだノートPCを叩きながら、大きく眉を顰めた。


「やっぱこれ、この前用賀で出て来た奴と同じっぽいですね」


「だろうな。

 しかし今回の奴といい、どうして突然、こんなところに現れたんだ?」


「結構、大きく東に移動してる感じですね。

 だって、あの後、用賀付近で同じようなのを見かけたって話ないですもん」


「まあ、所詮SNSだから、正確性に乏しい情報だろうが。

 それが本当だとすると、何故、そんな移動を?」


「それがわかりゃ、苦労はしないっすけどね」


「何かを――追っている、とか?」


 悩む二人の下に、ショートボブの金髪を振り乱しながら、ツナギ姿の女性が駆け寄ってきた。


「ユウジ、アッキー!

 もうすぐ、パワージグラットの時間でしょ?

 どうなってるのこれ?!」


「こっちも困惑しとるわい!」


 ティノは、馴れ馴れしく勇次の肩に手を載せると、モニタに向かって身を乗り出した。


「あのさ、ミスティックに連絡して、パワージグラットの範囲を広げてもらったら?」


「それで、どうしろというんだ」


「だからさー、中野新橋から祐天寺まで、一気にパワージグラットで包み込んじゃうのさ。

 範囲設定拡張するだけだから、余裕でしょ?

 そうすれば、XENOは隔離出来るしミスティック達は目的果たせるしで、一石二鳥じゃないの?」


 暢気な提案に、今川が首を振る。


「あ~ティノさん、それ無理っす」


「なんでよ!」


「パワージグラットのユーティリティは、あくまでアンナミスティックの有視界範囲内でしか転送対象を設定出来ないんですよ」


「は? どゆこと?!」


「つまりだ!

 アンナミスティックは、祐天寺と中野新橋の両方とも、その場に居なければならなくなる!」


「え、ちょっと待って!

 じゃあ、もしかして――」


 青ざめるティノに、今川は、やむなく冷酷な結論を述べざるを得なかった。


「そう、結局どっちか一方にしか、パワージグラットは使えないってことっす」







 午後五時半。

 いつもよりかなり早い時間帯に、凱とアンナウィザード、ミスティックは中野新橋に到着した。

 青梅街道から中野新橋方面へ左折しようと、ナイトシェイドがウィンカーを出そうとしたその瞬間、地下迷宮(ダンジョン)の女性オペレーターから通信が入った。


『北条リーダー、蛭田リーダーからの連絡です。

 只今、アンナパラディンとブレイザーが、目黒区祐天寺正門前にてXENOと交戦中です。

 現場状況から、パワージグラットの要請が出ております。

 大至急、アンナミスティックに、祐天寺方面へ向かうよう指示をお願いします』


「なに?!」


『アンナローグも、現場へ向かっておりますが、市街地での戦闘の為、現場隔離が必要となります』


「ぐ……」


 恐らくこの通信は、恵にも届いているだろう。

 一瞬悩んだが、引き続き、中野新橋へ向かう。

 凱は、眉間に皺を寄せた。


(よりによって、こんな時に!)


 




「そ、そんな! む、無理だよぉ!!」


 とあるビルの屋上で待機していたアンナミスティックは、悲痛な声を上げる。

 今まさにパワージグラットを施行しようという時点で、止められたのだ。


『気持ちは、わかる。

 だが、今回のXENOは図体がデカイ割に移動速度が速い。

 ブレイザーでも捕まえ切れない上に、周辺環境に障害物や野次馬が多すぎる。

 パワージグラットを使わなければ、確実に被害が拡がるぞ』


「で、でも!

 猪原さん、もうここに来てるんだよ!

 今ここで、あっちに行っちゃったら……」


「勇次さん、私が加勢に向かいます!

 ですから、どうか!」


 そう言うが早いか、アンナウィザードは目配せをして、飛び立った。

 アンナミスティックが、声をかける間もなく。


『聞け、ミスティック』


 勇次の通信は、まだ続く。


『お前の気持ちもわかるが、優先度を考慮しろ。

 今回の人的被害は報告されていないが、用賀や駒沢通りの事件では、多数の犠牲者が出た』


「ぎ、犠牲者?! たくさん?」


『そうだ、それもたった二日間でだ。

 もしかしたら、複数の個体が同時に活動しているのかもしれん。

 であれば、早急に各個撃破が必要になる』


「で、でも……」


『猪原家のことは、いわばボランティアだ。

 本来、我々がやるべきことではない。

 だが、今回は――』

『そこから先は、俺から話す』


 勇次の通信に、凱が割り込んできた。


『メグ、聞こえてるか?』


「う、うん、お兄ちゃん……」


 凱の声は優しく、それでいてどこか厳しさも含んでいる。

 子供に説くような丁寧な口調で、凱は話し出した。


『もうすぐ、猪原夫妻の所に着く。

 俺の方から、お二人には説明をしておく』


「でも、それじゃあ」


『メグ、お前も行け。

 そして、とっとと片付けて、急いでここに戻って来い』


「――あ!」


『それまで、猪原さん達は俺が引き止める。

 ここからは、スピード勝負だぞ』


「う、うん! わかった!

 じゃあ、すぐ行って来るね! お兄ちゃん!!」


『ああ、だがくれぐれも油断するなよ!』


「わかった!」


 そう言い終えるよりも早く、アンナミスティックは空高く飛び立った。



『凱。

 判ってると思うが、下手したら――』


「判ってる。

 それ以上、今は言うな」


 勇次との通信を切る。

 本郷通りの交差点を通り抜け、例のマンションの向かいにあるコンビニから、夫妻が姿を現したのが見える。

 凱は重い溜息を吐き出すと、サングラスをかけた。





 アンナウィザードが到着した時点で、戦況は大きく変化していた。

 なんと、XENO「リザードマン」はいつしか二体に増え、更には祐天寺の敷地内にまでバトルフィールドを移していた。

 

「くっそ! なんて逃げ足速いんだよ!」


 アンナユニットの高速移動は、背面部と腰部に設定されたブースター「アクティブ・バインダー」と「ヴォル・シューター」によって行われる。

 しかし大空ならともかく、障害物の多い地上での加速調整は非常に難しく、ここで訓練の差が生じる。

 アンナパラディンは善戦するものの、近隣の建物を損壊しないように広範囲で立ち回るのは、アンナブレイザーには荷が重い。

 だが、その欠点を突くように、リザードマンはヒットアンドアウェイを繰り返し、ブレイザーを翻弄していた。

 まるで、弄ぶかのように。


 一方のアンナパラディンも、その巨体からは想像もつかないようなXENOの素早さに、悪戦苦闘を強いられていた。

 まるで小刻みにテレポートするかのように、消えては出現し、虚を突いてくる。

 攻撃を当て、腕や脚を切断しても、即座に回復する。

 その為、双方共に致命的なダメージこそ受けないものの、何時まで経っても戦闘が終わらないという悪循環に陥っていた。


(ここでは、必殺技(パワースライド)や風力兵器(ウォールウィンド)は使えない。

 それを狙ってここに?

 いや、まさか……)



“Execute science magic number M-001 "Magical-shot" from UNIT-LIBRARY.”


「マジカルショット!」


 突然、上空から叫び声と共に、無数の光の矢が降り注ぐ。

 それは一つひとつが微妙に角度を変え、リザードマンに命中した。

 巨大な風船が破裂するような音を立て、アンナパラディンやブレイザーと対峙していたリザードマンの身体が爆ぜる。

 蒼色の魔女が降り立ったのは、その直後だった。


「お待たせしました!」


「こちらもですっ!」


 もう一体、桃色の閃光が降臨する。

 アンナローグだ。

 右手でクルクルとアサルトダガーを回転させると、徐にそれを正門の方向に投げつけた。


 ギャッ! という短い悲鳴と共に、唐突に出現した“三体目”のリザードマンが破裂する。

 アサルトダガーは、胸の中心部を撃ち抜いたようだった。


「げっ! さ、三体目?!」


「何時の間に?!」


「まだ沢山居るみたいです! 呻き声が聞こえます!」


 アンナローグは、そう言うと高感度集音センサーで集めた情報を転送する。

 その結果を見たアンナパラディン達は、愕然とした。


「き、九体?!」


「そ、そんなに居たのかよ?!」


「どうりで神出鬼没が過ぎると思ったわ。

 単純に数で圧してたってことね」


「くそ! 二体敷地の外に出た! 追うわ!!」


 そう叫ぶと、アンナブレイザーは祐天寺の敷地外に飛び出す。

 そこは、もうハルシネーションの範囲外だ。

 少し離れたところで、叫び声がする。

 リザードマンが、姿を現して人々に襲い掛かろうとしているようだ。


「こンの野郎ぉ!」


 自転車に乗った女性に襲い掛かろうとする直前で、アンナブレイザーが後ろから担ぎ上げ、上昇する。

 だが、もう一体が――


「くそっ! 間に合わねぇ!!

 こうなったらぁっ!」


 グギャアアァァァ!!


 暴れ狂うリザードマンを上空に放り投げ、特大の炎をまとったアッパーカットで爆砕すると、アンナブレイザーは即座に地上に戻ろうとした。

 その時――



“Power ziggurat, success.  

Areas within a radius of 1,000 meters have been isolated in Phase-shifted dimensions.”


「パワージグラットぉ!!」


 一瞬、周囲が青白い光に包まれる。

 と同時に、行き交う人々や車の姿が、忽然を消え失せた。

 アンナブレイザーの眼下には、途方に暮れているもう一体のリザードマンの姿があった。


 一瞬ギョッとするが、すぐに技のモーションに移る。


「ファイヤー・キィ――ック!!」


 右脚に炎をまとわせ、上空から一気に落下する。

 そのまま、アスファルトもろともリザードマンを、真上から叩き潰す。

 巨大な爆発が起き、直径五メートル程の陥没孔が発生した。

 リザードマンの残骸は、欠片も残っていない。


「こっち、来ちゃったの?」


 見上げた空に、エメラルド色の閃光が軌跡を描く。

 まだブスブスと燃え続ける炎をよそに、アンナブレイザーは、心配そうな表情で見上げた。



 

 アンナローグによる、リザードマンの位置情報は、アンナミスティックにも送信されていた。

 残り七体も全て並行世界に移転され、ようやく本格的な戦闘が行えるようになった。


 地響きを立て、地面をめくり上げ、アンナミスティックが豪快に着地する。

 と同時に、マジカルロッドを取り出した。


「みんな、遅くなってごめんね!」


「ミスティック! いいの?」


「う、うん。

 でも、急いで戻らなきゃならないの!」


「わかりました! 急ぎましょう!」


「わ、私も、頑張りますっ!!」


 四人の気持ちが、一つになる。

 そして、遅れてやって来たアンナブレイザーも、そこに加わる。

 逃げ場を失ったと判断したのか、リザードマンは全員その姿を現した。


 残り、あと七体。


「す、すごい数ですね……」


「明らかに、何かがおかしいわ。

 これだけ大量の、しかも同型のXENOが一箇所に出現するなんて」


「今は、それよりも!」


「そうだぜ! とっとと片付けて、ミスティックを帰さなきゃな!」


 各人が、それぞれの武器を構え、対峙する。


「ごめんねみんな! 力を貸してねっ!

 タイプII・スティック!」


 マジカルロッドを棒状に伸ばし、姿勢を落として構える。

 メグらしからぬ鋭い視線が、XENOを射抜く。



 激戦が、始まった。



「トリャアァ――っ!!」


 二メートル近い長さの棍型のマジカルロッドを軽快に振り回し、アンナミスティックがXENO・リザードマンの一体に飛び掛る。

 ほんの数メートルの距離、咄嗟に横に身を避けたリザードマンだったが、ミスティックはその避けた先に向かって突っ込んできた。


「てやぁっ!!」


 虚を突かれた形となったリザードマンは、マジカルロッドの先端の直撃を受け、腹部にダメージを受ける。

 表皮と肉、筋肉が弾け飛び、その向こうから、真っ白い何かが覗いた。

 即座にAIが、その部分にマーキングを施す。


「核(コア)! あそこねっ!!」


 即座に距離を縮め、リザードマンが体勢を立て直すよりも素早く、棍を構え直す。

 腰と背中から、光の粒子が猛烈な勢いで噴き出した。


「てぇいっ!!」


 超至近距離からの、ブースターダッシュ。

 アンナミスティックは、マジカルロッドで核(コア)を突き刺したまま、寺の敷地内を一直線に疾走した。

 その途中、もう一体のリザードマンが進行方向に出たので、そのまま巻き込む。

 突然背後から突進して来た仲間の身体に反応し切れず、二体目も、同じように身体を貫かれた。

 そのまま、外壁をぶち抜き、道路を横切る。


 グエェェェェ……!!


 アンナミスティックが止まるよりも早く、二体のリザードマンは、奇声を上げて灰化する。

 粉々に砕け散ったリザードマンの残骸を振り払うと、アンナミスティックは、気迫のこもった視線を祐天寺の方へ向けた。


「あと、五体! 急がないと!!

 ――タイプIII・ソード!」


 マジカルロッドを剣の形に変形させると、アンナミスティックは、即座に科学魔法を唱えた。


“Completeion of pilot's glottal certification.

I confirmed that it is not XENO.

Science Magic construction is ready.MAGIC-POD status is normal.

Execute science magic number C-016 "Accelerate " from UNIT-LIBRARY.”


「アクセレートっ!!」


 詠唱と共に、アンナミスティックの袖とスカート、エプロンが、まるで風に煽られているようになびき出す。

 全身の色が明るくなり、瞳の色が、エメラルドから黄金に変化する。

 ジェットエンジンの稼動音のようなものが響き渡り、アンナミスティックの周囲に乱気流のようなものが発生した。


“Confirmed the execution instruction of ACCELERATE.

 From this, switch to HIGH-SPEED MODE.

 Changed the arithmetic processing function to 100 multiply.

 Connect the adapter for heavy acceleration to GRACE-RING.

 Forced cooling and forced exhaust heat of each joint are performed in parallel.”


 ドン! という破裂音と共に、アンナミスティックは、凄まじい速度で走り出した。

 まさに、目にも止まらない速度で。

 

 一陣の疾風が、戦場を駆け抜ける。


「ひえっ?!」

「わっ?!」

「えっ!?」

「きゃあっ!」


 他のアンナセイヴァーも、唐突に発生した超高速移動物体に翻弄される。

 アンナユニットのカメラでも補足出来ない程の超高速で、アンナミスティックは、皆が闘っているリザードマンに襲い掛かった。


 次々に腹部を貫き、或いは横一文字に切り裂く。

 加速の影響なのか、マジカルロッドの破壊力は常軌を逸したレベルに高まっている。

 棍が触れた端から、みるみる肉体が裂け、破裂していく。

 猛烈な砂塵と石粒を巻き上げ、あっという間に、四体のリザードマンを破壊していく。

 核(コア)をあっさりと破壊され、XENO達はその身を崩壊させていった。


 シュウゥゥ……という排気音を立てながら、アンナウィザードの背後で止まる。

 

「これで――あと一体!」


「み、ミスティック」


「め、メグ……?」

「メグさん……ですか?」


 アンナブレイザーとローグは、思わず息を呑む。

 目の前に立っているのは、彼女達が知るアンナミスティック――メグではない。

 鋭い眼光に、全身から漲る殺気。

 背後から炎のように燃え立つ、闘志。


 それは、他の四人の背筋をぞくりとさせるほどの迫力を秘めていた。


 目の色が元に戻り、たなびく袖やスカートがふわりと降りる。

 それと同時に、寺の本堂の方から、バキバキという激しい破壊音が聞こえて来た。


「あれは?!」


「な、なんだありゃ?!」


「この、巨体は――」


 本堂の天井を突き破り、見上げるような巨体が姿を現す。

 

 ギャオォォォォ――!!


 まるで怪獣のような雄叫びを上げ、周辺の空気を振るわせる。

 それは、先程まで闘っていた者達よりも、三倍近い高さに膨れ上がったリザードマンだった。


「XENOが巨大化?!」


「チィッ! この前のクマ野郎みたいなパターンかよ!」


「こ、こんな大きなXENO、どうすればいいんですか?!」


「皆さん、散開してください!」


 アンナウィザードの指示で、他の三人が周囲に散らばる。

 だが、アンナミスティックだけは、その場を動かない。

 巨大(ガルガンチュア)リザードマンは、本堂の残骸を踏み潰しながら、意外にも素早い動きでこちらに迫ってくる。

 威嚇するように、耳障りな鳴き声を立てる。


「もぉっ! 時間がないのにぃ!」


 バン! と大きな音を立て、アンナミスティックはマジカルロッドで地面を叩く。

 石畳が割れ砕け、傍にいたアンナローグはギョッとした。


「急ぎましょう! 皆さん、ご協力をお願いします!」


 アンナウィザードが呼びかけ、ミスティック以外の三人が深く頷く。

 そしてミスティックは、射抜くような怒りのまなざしを、巨大リザードマンに向け続けていた。

 マジカルロッドを握る手に、力がこもる。


(待っててね、かなたちゃん!

 絶対に、絶対に、パパとママを連れてそこに行くから!!)


 グオオォォォォ――!!


 巨大リザードマンが、雄叫びを上げる。

 それを合図にするように、五人は同時に地面を蹴り、飛翔した。






 時計は、もうすぐ午後八時を回る。

 いつもより、二時間も遅い時刻だ。


 猪原夫は、ナイトシェイドの中で激しく苛立っている。

 妻の方も、凱からの説明を受け納得はしてくれたものの、やはり気が気ではないようで、しきりにスマホの時計を確認している。

 そして凱自身も、今まで以上に時間がかかっている戦闘を気にかけていた。

 しかし、今の状況で通信を繋ぐ訳にはいかない。


「あの、まだですか?」


 もう何度目になるかわからない、猪原夫からの質問。

 うんざりしながらも、凱はできるだけ感情を込めないように応える。 


「もうしばらくお待ちください。

 終わり次第、連絡が入るはずです」


「そんな事いって、もう一時間以上経つじゃないですか。

 これじゃあ、かなた達の世界では、どれだけの時間が流れたことか――」


「あなた、お願いだから止めて!」


「……」


「わかりました、こちらから連絡を取って状況を確認してみます」


 そう言うと、凱は車を降り、腕時計(シェイドII)を連携させてからスマホを使った。


「勇次、状況はどうだ?

 ――ああ、今は外だ」




 凱は、祈るような気持ちで、アンナセイヴァー達の戦果報告を待った。






 パワージグラットの制限時間まで、あと僅か。

 とうとう、リザードマン全匹を倒すことは適わなかった。

 すっかり暗くなってしまった空を見て、アンナミスティックは焦りの表情を浮かべる。


 五人全員の攻撃を受け続けても、驚異的な回復力で復元される巨大リザードマンは、挑みかかるアンナセイヴァーを次々に弾き飛ばし、致命傷を与えさせない。


「もう時間がない! どうすればいいの?!」


 悲しみと悔しさに表情を歪めるアンナミスティック。

 そんな彼女に、アンナブレイザーが肩越しに声をかけた。


「早く行きな! ミスティック!」


「そうです、ここは、私達がなんとかします!」


 続けて、アサルトダガーを構え直しながら、アンナローグも応える。


「で、でも……」


「後は、私達で食い止めるから!

 ウィザードも一緒に、早くあの場所へ!」


 アンナパラディンが、ホイールブレードに電光をまとわせながら叫ぶ。

 三人の気遣いに、アンナミスティックは思わず泣きそうな顔つきになる。


「みんな、ありがとう!」


「す、すみません、皆さん!」


 皆の言葉を受けて深く頷くと、アンナミスティックとウィザードは、夜空へ飛翔した。


(待ってて、みんな! かなたちゃん!!)


「行きましょう、ミスティック!」 


 二人の身体は鋭い錐状の形のバリアに包まれ、その周囲に光の粒子をまとって超高速飛行に移行する。

 青と緑の光の筋が、雲ひとつない夜空を切り裂くように、駆け抜けていった。


「みんな、ありったけの力をぶつけるわよ!

 これが最後のチャンスだから!!」


「おっしゃあ! 最大火力で、ぶっ飛ばしてやるぜ!」


「了解しました!」


 三人が、それぞれの技のモーションに入る。

 両腕を振り上げ、奇声を上げながら突進してくる巨大リザードマンに、三人は全身全霊の力を叩き付けんと、思い切りブーストをかけた。


 轟音が、並行世界と現実世界の両方に響き渡った。







『お待たせ! パワージグラット行きまーす!』


 ナイトシェイドにミスティックの通信が飛び込んだ瞬間、後部座席から二人の安堵の声が漏れる。

 だが凱は、ステアリングに手をかけながら、静かに目を閉じた。


 周囲が、一瞬だけ青白い光に包まれる。

 と同時に、喧騒がぴたりと途絶えた。


「やった、来た!」


 喜ぶ猪原夫妻を降ろすと、凱は、空から降りてくる二筋の閃光を見上げる。

 その様子に夫妻は驚くが、今はそれどころではない。


「さぁ、早くマンションへ!」


 凱が促し、夫妻と、駆けつけたアンナミスティック、ウィザードが走り出す。

 だが道路を横切った瞬間、凱は、二階のベランダを見て目を剥いた。



(明かりが――点いてない?)





 二階の、かなた達が住む部屋。

 猪原夫妻は、顔を火照らせながら、インターホンのスイッチを押す。

 僅かに響く、チャイムの音。


 ――だが、反応がない。


「おかしいな」


「もう、寝てしまったのかしら」


 夫妻が、もう一度スイッチを押す。

 だが、あのドタドタという賑やかな音が、聞こえてくることはない。


「ど、どうなっているんでしょう?」


「いないんですか? かなた、いないんですか?」


「落ち着いてください、お二人とも」


「おに……北条さん、マスターキーを使えば」


「そ、そうか、管理人室!

 猪原さん、手伝ってもらえませんか?」


「わかりました!」


 凱は、猪原夫と二人で一階に戻り、管理人室を目指す。

 他の三人も、ここでぼぅっとしているわけにも行かず、後からついて行くことにした。


 鍵のかかった管理人室のドアは、やむを得ず、アンナウィザードが力ずくで引き抜く。

 とんでもないパワーに驚きはしたものの、猪原夫妻は、凱よりも早く管理人室に飛び込んだ。


「お、お姉ちゃん、何があったんだろう?

 かなたちゃん達、どうなったのかな」


 不安そうに尋ねるアンナミスティックの頭を撫でながらも、ウィザードも同じ気持ちだった。


『あと一回か、二回が限度――』


 勇次に言われた言葉が、二人の頭の中でリフレインする。

 幸い、マスターキーらしきものは直ぐに見つかり、五人は二階へと駆け戻った。


「お願いだ、居てくれ、かなた!」


 部屋番号を確認しながら、猪原夫は必死で鍵束の中から該当の鍵を探す。

 ようやく見つかった鍵をシリンダーに差込み、カチャリと回す。

 しかし相変わらず、中からの反応は、なかった。


 静かに開かれるドアと、その向こうに広がる暗がり。

 玄関近くになる室内灯のスイッチを押した瞬間、猪原夫は絶望の声を上げた。



 そこに広がっている光景は、見知ったものとは明らかに違っていた。

 リビングへ伸びる廊下の壁には、見知らぬアーティストのポスターらしきものが無数に貼られ、更には生活ゴミをまとめた袋が玄関脇に転がっている。

 坂上が居た時には、決してありえなかった様相だ。。


「中を! 部屋の中を確認しましょう!」


 凱の呼びかけで、猪原夫妻と姉妹はリビングに向かう。

 廊下とリビングを仕切るドアを開くと、そこには――


「あ、ああ……」




 五人の表情が、絶望に染まる。


 そこはもう、坂上とかなたが暮らしている部屋では、なくなってしまっていた。






 限界時間まで、あと二十分。

 だが、もうマンションに居る意味はない。

 かなたと坂上は、もうここには居ない。

 あの黄色いSV車も駐車場にはなく、アンナブレイザーが破壊した近所の車も、痕跡すら消え失せていた。


 最後のチャンスだったパワージグラットは、XENOの出現のために使い切ってしまった。

 その為、かなた達の居る並行世界は、遠ざかってしまった。

 そう、結論付けるしかない。


 見渡す風景、マンションの外観、そして少しひんやりした空気。

 何もかも変わらないのに、そこはもう、皆が初めて訪れる世界に変わってしまったのだ。


「か、かなたぁ~~!」


 路上で泣き崩れる猪原妻。

 そして夫は、怒りの形相で、凱の胸倉を掴み上げた。

 今にも殴りつけんと、右拳が構えられる。

 だが凱は、一切抵抗はしなかった。


「き、貴様が! 貴様がぁ!! ぐずぐずしていたせいでぇっ!」


「やめてぇ!」


 アンナミスティックの叫び声が響く。

 四人は、思わず動きを止めた。


「もう……やめてよぉ……

 かなたちゃあん……かな、た……ちゃあん……

 ふぇ……ええぇぇぇぇええん」


 大粒の涙を流し、ミスティックは大声を上げて泣き出した。

 跪いた勢いで、膝がアスファルトの表面を砕く。

 

「うわあぁぁぁぁ~~~ん!!

 かなたちゃあぁぁぁぁん!!

 かなたちゃあぁぁぁぁ~~ん!!

 あぁ~~ん!」


 まるで子供のように、なりふり構わず、涙で顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくる。

 やがてアンナミスティックは、路面に両手をつき、まるで土下座でもするように身体を伏せた。

 身体を震わせながら、泣き声を止めようともしない。


「う、うう……か、かなちゃん……」


 猪原妻も、やがて路上に跪き、泣き始める。

 そんな彼女達の様子を見て、やがて夫は、凱から手を離した。

 彼の目にも、大量の涙が溢れている。

 その肩を、凱は優しく抱いた。


「申し訳ありません、我々が行き届かなかったばかりに。

 深くお詫びします」


「あの時、あの時に……やっぱり、連れ帰っていれば……」


 ずるずると崩れ落ちると、夫は、とうとう声を上げて泣き出してしまった。

 


 ミスティック達の悲しげな泣き声は、誰も居ない中野新橋の街に響き続けた。



「そんな……本当に、本当に、これでおしまいなんでしょうか?

 お兄様! もう本当に、かなたさんや坂上さんと逢えないのですか?!」


「……それは」


 アンナウィザードも、涙を流しながら訴える。

 すがるように凱に迫り、その胸板に顔を寄せた。


「残念だが、もう俺達には、どうしようも――」


 そこまで言った途端、凱は、視覚の端に何かを見止めた。


「あれは?!」


 そう言いながら、マンションの入り口の方を指差す。

 一斉に顔を向ける一同の中で、アンナミスティックだけが、その意図を即座に理解した。


「――あった!」


 震える手で、カウンターの上に置かれていた“それ”を取る。




“かなたちゃん と メグ の連絡ノート☆”




 もうかなりくたびれてしまい、汚れて全体的に黒ずんでしまったノートの表紙には、はっきりとそう書かれていた。

 ノートは、最後の方に少し白紙が残ってはいたが、そこまでびっしりと書き込まれている。

 あれから相当な年月が経っているようで、ページの上に書かれた日付は、年単位で広がっていた。


「どうして、このノートだけが?」


「わかりませんが、恐らく。

 少しずつ変化を遂げたこの世界の中で、このノートだけが、最後まで残留し続けたのかもしれません」


「そんな奇跡的なことが、あるのか」


 ノートは回収され、猪原夫妻にも開示される。



 そこにはかなたの、両親への想いが、沢山綴られていた。

 久しぶりに逢えた時の感動、美味しいお弁当を食べた時の感想、そして、ずっと待ち続ける生活をしなければならなかった悲しみ。

 ――だけど、それを乗り越えて強く生きようとする意志。


 拙い文字と文章から、それがひしひしと伝わってくる。


 日付を確認すると。この世界では、あれから三年近い時間が過ぎていたようだ。

 

 最後の方には、かなたからの、両親に対するメッセージが記述されていた。





“だいすきなパパとママへ

 このノートをみてくれるように かみさまにおいのりしました


 パパ

 かなたのこと おぼえていてくれてありがとう

 あいにきてくれて うれしかったの

 またおはなしできて たのしかったよ

 ちっちゃいときから いっぱいあそんでくれてありがとうね

 


 ママ

 かなたのおせわをしてくれて ありがとう

 おいしいごはんをいっぱいつくってくれて ありがとう

 おべんとう またたべたかったけど しかたないよね

 おっきくなったら ママみたいな すてきなおとなに なりたいです


 パパとママにあいたいです

 おうちにも かえりたいです

 だから とってもかなしいです


 でも がまんして がんばるからね


 パパとママも ずっとげんきで ながいきしてね  


 バイバイ


 かなた”


 


 ノートに、水滴が落ちる。

 猪原夫妻の顔は、もう涙でぐしゃぐしゃになっていた。

 ノートを掴む手が震え、もう声も出せない。

 その姿に、凱は目頭を押さえ、姉妹も涙を流していた。


「このノートも、置いていかなければならないんですか……」


 猪原妻の震える呟きに凱は頷きかけたが、すぐにハッと顔を上げた。


「そうか!

 ミスティック!」


「う、うん」


「このノートのページを、全部目に焼き付けろ!」


「えっ?」


「映像記録だ!

 それなら、俺達の世界に持って帰れる!」


「あ!」


 凱のアイデアに、アンナミスティックは、夫妻から慌ててノートを受け取った。

 戸惑う二人に、アンナウィザードが説明する。

 二人の目で見たものは、映像記録として保存されるようになっているのだ。

 そしてその情報は、世界を移動しても保存出来る。

 

「――なので、そのデータを持ち帰って、お二人に譲渡することが可能です!」


「ほ、ほんとにそんなことが」


「お、お願いします! お願いします!」


 懇願する夫妻に、アンナウィザードは深く頷く。

 そしてミスティックも、真剣なまなざしで、ノートの全てのページを目に焼き付けていった。


 読み残すことがないよう、しっかりと、確かめて。






 翌日。


 アンナミスティックの記録したノートの映像は凱の手によって編集され、静止画像データに置き換えられたものが用意された。

 それをメディアに記録し、猪原夫妻に届ける。

 その際、殴った事や、数々の無礼に対する詫びの言葉を受けたが、凱にはもう、そんなことはどうでも良かった。


(いくら娘に逢えたからといって、このままでは、猪原夫妻にとって何のメリットもないまま終わるところだった。

 だがこれで、守秘義務を遵守する理由になる「報酬」が渡せた。

 ――今は、それだけでいいさ)


 そう考えながらも、凱は、嬉しそうな夫妻の笑顔を、何度も思い返した。



 その後、あのノートは再び同じ場所に戻された。

 いつか、再びかなたの手に戻ることを祈って。


 ノートには、他にも非常に貴重な情報が書き込まれていた事が、後に判明した。

 坂上は、あの後約三年に及びアンナミスティック達を待ち続けたが、もしかしたらもう逢えないかもしれないと考え、万が一の時のために、記録を残しておいてくれたのだ。


 ある日、二人の許に、坂上の息子が戻って来た。

 彼は一人で各地を巡り、同じように迷い込んだ人を捜索していたのだが、なんと更に三人の人間と出会うことに成功したという。

 彼らは坂上達に共同生活を持ちかけ、今後も、迷い込んだ人達を救って行けるようにと、活動を始めることになったようだ。

 坂上は、凱達との出会いを経ることで、息子達の活動に理解を示すことが出来たとして、彼らに厚い感謝の気持ちをまとめていた。


 その画像を見つけた時、凱は、何故だかとても報われた気になった。




「東条センセ、さようなら~!」


「はーい、さよならー」


 元気良く校門に向かって走っていく恵を見送る東条。

 相変わらず元気な様子に、少しホッとした表情を浮かべる。



「お姉ちゃん、お待たせ!」


「ううん、それじゃあ、行きましょうか」


「うん! ナイトシェイドー!」


 恵の呼びかけに、待ってましたとばかりに、ナイトシェイドが姿を現す。

 二人は素早く乗り込むと、シートベルトをしっかり締め、ふぅと息を吐いた。


『お二人とも、またあの場所へ向かわれるのですか?』


「うん、そうだよ?」


『マスターから、この度の探索は終了したと伺いましたが』


「いいのです、それはわかっています」


『承知しました。

 それでは、いつもの通りに』


 ナイトシェイドは、SVアークプレイスに向かう。

 いつものように。





 夜の帳が下り、薄暗くなり始めた街並み。

 そこに、蒼色と緑色の光が降り立った。


“Power ziggurat, success.  

Areas within a radius of 100 meters have been isolated in Phase-shifted dimensions.”


「パワージグラットっ!」


 左手の人差し指と薬指を折り曲げ、それ以外の指を伸ばし“印”を形づくる。

 左前腕に装着された、金色の装飾具が展開し、手首の宝珠が青白い閃光を放つ。

 その光が、伸ばした指を通じて広範囲に放射された。

 相模恵の脳波を感知したサポートAIが、パワージグラットの効果範囲を定め、アンナミスティックの左腕を介して「フェイズチェンジフレーム」を生成、磁場を発生させる。


“Checking the moving body reaction in the specified range.

--done.

Motion response outside the utility specification was not detected.”



「お姉ちゃん、大丈夫だよ。

 誰もいないよ」


「わかりました、それでは」


 ビルの上から飛び降りると、二人は、あのマンションの入り口に着地した。

 管理人室のカウンターには、まだあのノートが置かれている。

 それを確かめると、アンナミスティックはコンビニからペンを拝借してきた。


「本当に書くのですか、ミスティック?」


「うん☆ 読んでもらえる充てはないけどねー」


 恵は、あれから考えた。

 並行世界が無限に存在し、それぞれの世界がまた別の世界に影響を与えるのなら、今ここでした行動も、どこかにある別世界に影響を及ぼすかもしれない。

 それならと、一縷の望みを託して、彼女もこのノートにメッセージを書き込むことにしたのだ。



“かなたちゃんへ


 メグおねーちゃんです!

 さいごにあえなくて、ほんとうにごめんね!

 でも、かなたちゃんのメッセージは、ちゃんとパパとママにつたえました。


 だから、あんしんしてね!


 いつか、きっとまたあえるきがします。

 だから、そのひまで、かなたちゃんもげんきでいてくださいね!


 メグおねえちゃんも、マイおねえちゃんも、ガイおにいちゃんもげんきです!


 じゃあね、またあおうね!

 

 メグぴょん”



「これで、気が済みましたか?」


「うん、ありがとう、お姉ちゃん」


「いいんですよ、私達は、いつも一緒の姉妹じゃないですか」


「うん! そう言ってくれると――」


 ふと、今書き込んだところの一つ前のページを見る。

 そこには、かなたの字で新しいメッセージが書かれていた。


 昨日あれだけしっかり確認したのに、その時には書かれて居なかった筈だ。

 顔を見合わせ、二人はそのメッセージに目を通した。






“メグおねーちゃん、マイおねーちゃん


 おねえちゃんたちにあえて とってもうれしかったよ!


 おいしいごはんつくってくれて ありがとう


 いっしょにあそんでくれて ありがとう


 パパとママにもあわせてくれて ありがとう!


 かなたは メグおねえちゃんと マイおねえちゃんが いつまでもだいすきです


 かなた”






「こんなメッセージ、昨日はなかったはずなのに……」


 またも、瞳が潤んでくる。

 かなたからの、熱いメッセージは、二人の心に深く刻み込まれた。


「かなた……ちゃん……」


 ラストメッセージを、しっかりと映像に記録する。

 涙を拭きながら、何度も、メッセージを読み返す。



 誰もいない――いなくなったこの世界に、二人の戦士の嗚咽が響いた。















 どのくらい走っただろうか。

 雨に濡れた路面に何度も足をとられそうになりながらも、男は懸命に走り続けていた。


 商店街通りに辿り着いた男は、周囲を窺うと、手近な路地に飛び込む。

 息を整えながら、日頃の運動不足を今更ながら呪った。


 午前五時十三分。

 行き交う人の姿は全くなく、開いている店もまだない。

 

 男は舌打ちすると、再び走り出そうと路地を飛び出した。



 あと数百メートルも走れば、駅に辿り着く。

 そこまで行ければ、当面は追って来ない筈だ。

 そう考えた男は、痛む脇腹を手で押さえながら、必死の形相で駆け出した。




 そしてその様子を、麦藁帽子の少女が、静かに見つめていた。




「発見したわ。

 ――桐沢大」








次回より、第四章「XENO編」を開始します。

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