【両親】



「なんてことを言っちまったんだ、メグ!」


「ひゃん!」


 車内に、凱の怒号が響く。

 後部座席で半泣きになっている恵は、頭を抱えてうずくまった。


「二人とも、完全にその気になっていたじゃないか!

 もし、叶えることが出来なかったら、どう責任を取るつもりなんだ」


「で、でもぉ……」


「メグの気持ちはわかる。 

 だがな、考えてもみろ。

 かなたちゃんをご両親に逢わせるってことは、パワージグラットに巻き込む必要があるってことだぞ?

 俺達の素性も明かさなきゃならないんだ」


「あ、あわわわ……」


「それに、ご両親に逢えたとしても、果たして信用してもらえるかどうか」


「お、お姉ちゃんまでぇ~。

 うえぇぇ……」


「――まあ、言ってしまったのは、もうしょうがない。

 こうなった以上、勇次達に相談して、出来るだけのことはしよう」


「私も協力します。

 メグちゃん、一緒に頑張りましょう」


「う、うん! ありがとうマイちゃん!」


「あ、もう、メグちゃんったら」


 後部座席から、助手席に座る舞衣を抱きしめる。

 そんな恵の態度に、凱はほくそ笑んだ。


(マイちゃん呼びってことは、相当堪えてるな。

 まあ――こうなったら、行けるとこまで行くしかないか)


 環七を走るナイトシェイドの車内で、その時、突然“腹の虫”が鳴った。

 それも、ステレオで。

 

「やん!」


「ふわぁ、お腹空いたね~。

 ねえお兄ちゃん、どこかでご飯食べて行こうよ」


「ああ、そうだな、もうこんな時間だし」


『舞衣様、恵様。

 先日ご登録されました、食べ放題のあるレストラン一覧を表示いたしますか?』


「「 はーい♪ 」」


 いきなり反応したナイトシェイドの呼びかけに、姉妹は笑顔で応えた。


「ちょっと待て! 何時の間にそんなの登録したんだ?!」





 美神戦隊アンナセイヴァー


 第39話 【両親】





  


 その後、相模姉妹を自宅に送った凱は、その足で地下迷宮(ダンジョン)に向かい、事の経緯を伝えた。

 アンナウィザードやミスティックの記録映像はナイトシェイドを通じて報告され、それを見た勇次と今川、そしていつの間にか常駐するようになったティノは、興味深そうに唸った。


「――なるほど、実に興味深い内容だ。

 時間の概念が異なる、か」


「驚いたね!

 まさか人が生活できる環境だったなんて。

 ガイ、向こうの環境はどうだったの? 体調悪くなってない?」


「……なんかアイツらにつられて、焼肉食い過ぎた……ううっ」


「アンタの劣化始まった胃袋の話なんか、どーでもいいのさ!」


「お、おま、言い方」


『ティノ様。

 環境測定結果を先程メインサーバの共有に転送しました。

 人体に有害な情報は検出されませんでしたが、詳細は後ほどご確認ください』


「おっ? ナイトシェイドありがとう♪」


 凱の腕時計(シェイドII)から聞こえて来た声に、ティノが反応する。


「なんにせよ、よく素のままで異世界の外に出られましたねー凱さん」


「いや、前からちょくちょく向こうで外に出てたぜ俺?

 この前の向坂の件でも出たし」


「あ、そーでしたっけ」


 今川の今更な話に適当な相槌を打つと、凱は勇次に本題を切り出すことにした。


「それで、かなたちゃんのご家族の件なんだが」


「相模恵も、とんでもない約束をしたものだな。

 まあ、連れて行っても身体的な問題はないだろうが、いったいどうやって事情を説明するつもりだ?」


「そこは考える。

 それより、この件で俺達が気付いてない問題点などはないか?

 科学的な見地で」


「うむ、それについてだが。

 先の報告で、少し気になった点がある」


 そう言うと、勇次は手元のキーボードを操作し、自席のモニタに何かを映し出した。

 表示されたのは、パワージグラットの実施回数と解除までの時間を表したグラフのようだ。


「それにしてもお前、いつまでこんな古臭い端末使ってんだよ。

 他の研究班の子達、みんな空間投影型のモニタとかキーボード使ってんじゃん」


「うるさい黙れ」


「あー、勇次さんもオレと同じ旧世代PCフェチだから、それは酷ですよ」


「お前も黙れ!」


「わかるわー、キーボードに指が沈む感覚がないと、打った気がしないのよね」


「とんだPC老人会だな、ここは。

 どうりで古い端末が多いわけだ」


「ゴホン!

 そんなことより、先の話の続きだが――」


 勇次の話が始まると、凱・今川・ティノの三人は会話を止めて聞き入る。

 

「気になるのは、“いつの間にか入れ替わっている”という点だ」


「意外なとこに注目したもんだな。どういうことだ?」


 凱の質問に、勇次は落ち着いた口調で説明する。


 これまでの想定では、異世界(デュプリケイトエリア)はあくまで現実世界のコピーのようなものであり、パワージグラットを行った時点での環境がそのまま転移するものと考えられていた。

 すなわち、元々存在している世界にアクセスするというよりは、“新しい並行世界を、パワージグラットを使用する度に毎回生み出している”という認識だ。


「――しかし、坂上氏は“新聞や食料品、衣料品は気付くといつの間にか新しいものに変わっている”と言っている。

 ということは、あの世界には情報が更新される何かしらのシステムが機能している筈だ」


「すまん、ちょっとわからん。

 つまりどういうことだ?」


「あ~それって、こういう事っすか?

 並行世界で変化が起きるってことは、こっちの世界から何かの刺激みたいのが行ってる筈って?」


「ああ、その通りだ」


「ぬぬ、益々わからなくなったぞ?」


「意外と頭固いよね、ガイって」


「外部の世界からの情報更新がなければ、食料品は腐ったままだし、坂上氏がインターネットを覚えることもなかっただろうが」


「ああ、なんか少し判ってきたかも……」


 異世界(デュプリケイトエリア)が変化するということは、その“変化を促す情報”というものが、よその世界から送り込まれている必要がある。

 それがなければ、そもそも変化が生じる筈がないのだ。

 それはつまり、異世界(デュプリケイトエリア)は常にどこかしらで変化を続けているということになる。

 勇次は、そういった説明を補足した。


「で、結局のとこ、何が言いたいんだ?」


「あくまで想定でしかないが。

 常に変化を起こしているということは、その並行世界は、高頻度で“別な世界化”を果たしていることになる」


「お、おう」


「あ、これは理解してない顔だ」


「そしてパワージグラットには、そういった“変化”まで補正する性能はない。

 しかし、今回の件で並行世界へのアクセスを重ねるということは、それだけ向こうの世界に変化を促すことに繋がりかねない。

 ――要するに、動くなら早急に動けということだ」


「あん? ま、まあ、そうするよ」

(おかしいな、てっきり反対されて止められると思ったんだが)


「それと、言うまでもないとは思うが。

 この件、ちゃんとオーナーには話をつけておけ。

 俺の権限で勝手に了承することは出来んからな」


「ああ、それはぬかりない。

 明日アポを取ってる」


 それだけ言うと、凱は腹を抱えながら退席する。

 その後姿を見ながら、三人は複雑な表情を浮かべる。


「ねえユウジ、アッキー。

 本当に、あっちの世界に居る人を助けることって出来ないの?」


 ティノの呟きに、勇次と今川は揃って首を振る。


「並行世界から何かを持ち帰るには、そのものを、こちらの世界に合わせてフォーマットする必要が生じる」


「フォーマット?」


「要するに、その世界の法則に則った調整を行わないと、転移した際にどのような事故が起こるかわからないってことだ」


「向こうの世界に存在出来るように、坂上さんやはるかちゃんは、もうフォーマットされちゃってるわけです。

 だから、こちらの世界に戻るには、もう一回フォーマットし直す必要があるって事っす。

 って解釈でいいですよね? 勇次さん」 

 

「おおむねそういうことだ」


 頷く勇次に、ティノが数センチ手前まで顔を近づけて迫る。


「じゃあ、アンナセイヴァーはどうなんの?

 あの子達は平気じゃない! ガイだって」


「近すぎだっ!

 だから、そのルールを無理やり捻じ曲げてるのが、パワージグラットなんだ!」


「だったら、同じようになんとかすればいいじゃない。

 アンタ達、考えなさいよ」


「そんなのどうしろっていうんだ!

 本来ならこれは超自然現象の領域なんだぞ?! 冷静に考えろ!」


「このままチュウしてやろうか」


「するなっ!」


 離れ際、ティノは、勇次の鼻の頭にキスした。

 途端に、勇次の顔が真紅に染まる。


「ティノさん、そもそも異世界転移なんて、オレらの認識を超越した超常現象ですよ?

 そんなの、今の人間の科学でハイそうですか、なんて簡単に対応できるわきゃないっしょ」


「うぐ、でも、仙川ノートにもしかしたら何か記載があるかもしれないじゃない!」


「そんな都合のいいものはない!

 もしあったら、それを活用したもっと別な有効な発明が記述されている筈だ」


「まったく、これだから理系は! 融通が利かないんだから!」


「それ、理系の人全般Disってません?!」


「とにかく、今回は想定外の出来事が多すぎる。

 もしかしたら、あまり良い方向に転がらずに終わるかもしれんな」


 勇次が、その場を締めるように呟く。

 その言葉には、今川もティノも異論を唱えなかった。






 翌日、舞衣と恵は、学校が終わった後に校門前で待ち合わせると、急いでナイトシェイドを呼び出した。

 SVアークプレイスで実装を済ませると、大急ぎで中野新橋へ飛翔する。

 目的は、いわずともかな。


「ウィザード、付き合ってくれてありがとう!

 じゃあ行くね、パワージグラット!」


 滞空しながら、パワージグラットを施行する。

 街の喧騒が、一瞬にして完全に途絶え、静寂が訪れた。


「ミスティック、コンビニからノートを調達しましょう」


「あ、そうだね!」


 アンナウィザードの提案で、二人はマンション手前のコンビニに入り込んだ。

 以前約束した、かなたとの連絡用ノートだ。

 カウンター奥の事務所からマジックペンを拝借すると、アンナミスティックは、ノートの表紙にデカデカと


“かなたちゃん と メグ の連絡ノート☆”


と書いた。


「ミスティック、本名書いちゃってますよ?」


「え? あー! やっちゃった!

 ……でも、いいよね? どうせ他に誰も見ないんだし」


「それもそうですね」


「それに、かなたちゃんに名前教えちゃったし♪」


「ええーっ!」


「いいじゃんいいじゃん☆

 え~っと、ちょっと待ってね」


 そう言うと、アンナミスティックは、ノートの最後の一枚を破り、そこに何かを書いた。


「どうしたのですか?」


「ううん、ちょっとね」


 ノートの切れ端を折りたたみ、カウンターのレジの横に置く。

 そこには


“210円のノート一冊、使わせて頂きます。勝手にごめんなさい!

                                     メグぴょん”


 と、書かれていた。






「――というわけでね、かなたちゃん。

 パパとママに向けて、メッセージを伝えてくれるぅ?」


「うん! でも、録画するの? 道具は?」


「大丈夫だよ!

 お姉ちゃんの目で見たものは、全部自動的に録画されているから」


「えーそうなの?

 すごーい!」


「ということは、この前のも、全部録画されてたんですか?!」


「す、すみません!

 でも、そのおかげで、私達のスタッフも、坂上さん達のことを認識してくれました」



「そうなんですか、でも、そうなるとなんか照れるなあ~」


 坂上は、そう言いながら頭をぽりぽり掻いて照れた。



 いつものマンションにお邪魔したアンナウィザードとミスティックは、夕食準備前になんとか間に合った。

 今日は報告だけでなく、二人で夕飯作りを買って出た。

 坂上は恐縮したが、かなたは大喜びだ。

 

「わーい☆ ハンバーグ楽しみぃ!」


「なんかすみません、お手伝いまでお願いしちゃいまして」


「そんな、お気になさらないでください!

 私達の方こそ、連絡もなくいきなり押しかけておりますので」


「あのねー、味見は出来ないけど、ちゃんとAIで調味料とか成分とか計算するから、心配しないでね!」


「うん、楽しみにしてるねー!」


 本日は、かなたのリクエストで煮込みハンバーグとなった。

 しかし、滞在時間の都合最後まで作れないので、仕込みだけに留めることにする。

 二人は、慣れた手つきで玉ねぎとにんじんを刻み、炒め、合挽肉と卵、牛乳に浸したパン粉と混ぜる。

 勿論、ちゃんと使い捨ての薄ビニール手袋を着けてだ。

 香辛料や塩を振り混ぜながら、アンナウィザードとミスティックは、見事な連携で調理を進めていく。

 アンナミスティックが肉をお手玉のようにポンポンと丸め、かなたがそれを見て大はしゃぎしている。

 アンナウィザードは、デミグラスソースやりんご、中農ソースやケチャップでソースを作り始めた。


 一通りの準備を済ませたところで、二人は素晴らしく慣れた手順で片付けを終えた。


「後は、もう四十分くらい寝かせてから、オーブンで焼いてください。

 その後で、ソースに浸して軽く温めれば召し上がっていただけます」


「煮込まなくてもいいのですか?」


「耐熱容器に入れて、レンジで温めるくらいでいいですよ。

 その方が型崩れしなくて、美味しく頂けます」 


「わぁい♪美味しそう!

 ねえ、お姉ちゃん達も一緒に食べようよー」


「ごめんね、かなたちゃん。

 私達、この世界のご飯食べられないのー」


「あっ、そっか!

 うう、残念だなあ~」


「それに、今回はもう時間がないので、そろそろおいとましなければ」


「誠に残念です。

 滞在時間を延長する方法などは、ないのでしょうか?」


 坂上の質問に、アンナウィザードはおおまかな事情を説明した。

 今の“SAVE.”の技術では、それは困難なのだと。


「もし、かなたちゃんのご家族をこちらにお招き出来た場合も、一時間がリミットになります。

 ですので、申し訳ありませんが、それはご了承ください」


「ええ~、そんなちょっとなのぉ?」


「うん、でも心配しないで!

 何回でも連れて来てあげるからね」


「うん♪」


 かなたを抱き上げながら、アンナミスティックは笑顔で約束する。

 それを横目に、ウィザードはいささか心配そうな表情を浮かべた。



 最後にかなたのメッセージを撮影したところで、リミットが近づいた。

 このまま部屋の中で戻ってしまうと、本来のこの部屋の住人を驚かせてしまうため、マンションの外に出る必要がある。

 二人は、またこの時間くらいに来るかもしれないとだけ伝え、ベランダから外に飛び出した。


「ばいばーい、お姉ちゃん達、またねー♪」


 かなたが、元気に両手を振って見送る。

 それに手を振り返しながら、アンナミスティック達は夜空に姿を消した。




 SVアークプレイスに着き、実装を解除した途端、恵が舞衣に話しかけてきた。


「お姉ちゃん、ごめんね」


「どうしたんですか、急に?」


「だってぇ、いつも付き合わせちゃって悪いしぃ」


「仕方ないですよ、二人揃わないと実装出来ないんだから」


「うん、それはそうなんだけど……」


 申し訳なさそうに頭を垂れる恵に、舞衣は笑顔を向ける。


「私達は、いつも一緒の姉妹じゃないですか。

 そんなこと気にしないで、メグちゃん」


「お姉ちゃん……マイちゃん……」


 少し涙目になっている恵の頭を優しく撫でると、舞衣はそっと抱き締めた。


「あの時のこと、また思い出したのですか?」


「――うん」


「やっぱり。

 だから、今回は特に一生懸命なんですね?」


「……」


「私も、あのお二人のことが気になって仕方ないですから、いつでも付き合います。

 だから、メグちゃんは本当に気にしちゃいけませんよ」


「マイ……ちゃん。

 うん、ありがとう」


 胸の中で、嗚咽が聞こえる。

 舞衣は、さらにぎゅっと抱き締めると、恵の頭を撫で続けた。




 SVアークプレイスから退出し、再びナイトシェイドに乗り帰宅しようとする二人に、誰かが遠くから声をかけてきた。


「はぁはぁ、よ、良かった、間に合いましたぁ」


「えっ、ま、愛美さん?!」


「どうしたの、愛美ちゃん?」


 息を切らしながら駆け寄ってきた愛美は、膝に手を当てて呼吸を整えると、申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「あの実は、明日から私も、パワージグラットの調査に加えて頂きたいんです」


「ど、どうしてですか?」


「うん、それはいいんだけど、どうして急に?」


「ええ、実は勇次さんからの依頼でして。

 あ、違いました。

 “オーナー”という方からの、だそうです」


 愛美のその言葉に、舞衣と恵は思わず顔を見合わせた。


「パパが?!」

「お父様が?!」


「――へ?」





 更に翌日の午後二時。

 凱は、ナイトシェイドに乗って単身とある場所へ向かっていた。


 江東区枝川二丁目。

 工場や中小企業と住宅が入り混じった、とても落ち着いた海に近いエリア。

 枝川橋東交差点を抜け、住宅街に入ったナイトシェイドは、とある白い壁の家に辿り着いた。


 表札に記された名前は、「猪原(いのはら)」。


 車から降りた凱は、サングラスを外すと、躊躇うことなくインターホンを押した。

 しばらく後、通話が繋がった音を確認すると、凱は相手より先に呼びかけた。


「恐れ入ります。先日連絡いたしました、北条と申します」


 インターホンからは、何の返答もない。

 だが、しばらくしてドアの鍵が外される音が聞こえて来た。

 顔を覗かせたのは、顔色の悪い細面の中年男性だった。


「お待ちしていました、どうぞ」


「はい、失礼いたします」


 想定以上に、スムーズに招き入れられる。

 玄関のドアが閉じたのを合図に、ナイトシェイドは、ひとりでに走り出した。



 猪原家では、リビングにもう一人、女性が待っていた。

 それが中年の妻であり、かなたの母親だろうことは直ぐに見当が付く。

 彼女もまた生気のない表情で、やや疲れた顔を向けてくる。

 軽く会釈をして、勧められた椅子に腰掛けると、凱は名刺を取り出し、二人に差し出した。


 そこには「株式会社LOADRING」営業二課課長・北条凱、と記されている。


「あの、娘のかなたについて、情報をお持ちと伺ったのですが」


「どのような情報でしょうか、襲えていただけないでしょうか」


 挨拶を交わすよりも早く、夫妻は本題を切り出して来る。

 凱は、リビングの端にいまだに置かれている「子供用の本棚」やかばんなどを視界の端に見止めると、軽く頷いた。


「その前に、一つお約束をして頂きたいことがございます」


 凱は、そう言いながら一枚の書類を取り出す。

 そこには、表題に「誓約書」と書かれている。


「誓約書……これはいったい?」


「守秘契約書です。

 これからお話することは、弊社の企業秘密に大きく抵触する内容となりまして。

 大変申し訳ありませんが、まずはこれからお伝えする件について、決して口外されないように、とお約束願いしたいのです」


 書類の説明を聞いて、夫妻は少々退き気味だ。

 そんな二人に、凱は話を続ける。


「私共は、とある事情から、かなたさんご本人との接触に成功いたしました」


「えっ?!」

「かなたに、会われたんですか?!」


「はい、証拠もお持ちしています。

 事情を説明する前に、まずは――」


 そう言ってタブレットを取り出そうとした時、突然、夫が立ち上がり凱の胸倉を掴んで来た。


「お前……! お前が、かなたをさらったのか!」


「あなた、止めて!」


 今にも殴りかかりそうな態度だが、夫の拳が振り上げられることはない。

 それを察した凱は、無抵抗かつ冷静なまま、更に話を続ける。


「落ち着いてください。

 娘さんのご要望で、お二人を直接お連れしたいと思ったので、今回訪問させて頂いたんです」


「えっ」


「まず、これを見てください」


 そう言うと、凱はタブレットでとある映像を映し出す。

 先日、アンナミスティックが保存した動画だ。


 やや見上げるような角度で、一人の少女が、こちらを向いている。





『このまま喋ればいいの? お姉ちゃん』


『うん♪ そうだよー!』


『じゃあ、喋るね!

 えーと、パパ、ママ、見てますかぁ?

 かなたでーす!

 元気にしてるよー♪』





 タブレットの映像に、夫婦は目を剥いて見入る。

 そして顔を上げると、信じられないといった面持ちで、凱の顔を見た。






『えっとぉ、かなたはぁ、パパとママと、早く逢いたいです!

 逢いに来てください、待ってまーす!

 きっと来てね、待ってるからね~!』



『もういいの、かなたちゃん?』


『うん、なんか照れくさくって♪』





「か、かなただ……本当に、かなただ!」


「こ、これは! いったい、何時何処で撮影されたのですか?!」


「かなたは、今はもう高校生くらいの筈だ!

 どうして子供の頃の動画など――」


「それについて、詳しく説明します。

 ですが、まずは先程の書類にサインを。

 これが、唯一の条件となりますので」


「……」


 夫は、渋々書類を取ると、内容を読み込む。

 続けて妻も目を通し、目配せした後、ペンを取った。


「念のため、金銭目的での契約などでは一切ありませんので、ご安心ください」


「サインはした。

 それじゃあ、娘のことについて教えてくれ」


 突然態度が豹変した夫と、申し訳なさそうな顔でそれを見つめる妻。

 その態度に何のリアクションも示さず、凱はビジネスライクに淡々と語り出した。


 動画は、つい先日撮影されたものであること。

 かなたは、行方不明当時の姿のままであること。

 こことは異なる並行世界に迷い込んでしまい、脱出することも、させることも困難なこと。

 今は男性と一緒に、平和かつ健康に生活していること。


 そして、自分達はその世界に渡ることが出来ることを、説明した。


「――おおまかな説明は、以上です。

 私自身、かなたさん達と会ってお話しましたが、お二人にとても逢いたがっております。

 どうか、私達と共に並行世界に渡って、かなたさんに逢ってあげて欲しいのです」


「かなたが、まだ、子供のまま……?」


「どうして、どうしてそんな?!」


「それについては、私達も詳細はわかりません。

 かなたさんとの出会いは、本当に偶然だったのです。

 ただ、その出会うきっかけに、弊社の企業秘密が関わっておりますので、今回このようなお願いもする必要がありました」


「……」


 まだいくらか疑問が残っているといった雰囲気だが、おおむね凱の言う事を受け入れようとしているようだ。

 タブレットを二人に預けると、夫婦は何度も動画をリピートし、やがて涙を浮かべ始めた。


「尚、かなたさんの居る世界の滞在限界時間は、一時間だけとなります」


「い、一時間?! そんな少しなのですか?」


「連れて帰ることは出来ないのか?!」


 二人の言葉に凱は首を振り、その理由を説明した。

 まだ納得が行かない様子だったが、それでも、それ以上大きな反論はして来ない。


「もうまもなく、私達は再度、向こうの世界へ転移します。

 宜しければ、お二人とも、ご一緒にどうでしょうか」


「え、今からですか?!」


 突然の申し出に、夫婦は戸惑う。

 この急な話には、凱なりの考えがあった。

 もし、考慮する時間を与えてしまった場合、夫婦は凱に対する猜疑心を高め、警察や第三者に通報してしまうかもしれない。

 そうなってしまうと、もはやかなたの願いを叶えてやることは不可能だ。

 だからこそ、彼らが決断をする前に引っ張り出す必要がある。


(これ、完全に詐欺師の手口まんまなんだが……そんな事、言ってられねぇからな)


「ここからは、もう信じて頂くしかありません。

 かなたちゃんは、ご両親に逢いたいと泣いていました。

 ご不安な点があることは、重々承知です。

 ですが――お願いします」


 

「――わかりました」


 しばしの沈黙を破り、返事を返したのは、妻だった。

 

「待てよ、こんな話、絶対におかしいよ!

 だって、もう十年も経ったんだぞ?! それなのに――」


「だったら、私一人だけでも行くわよ!

 それなら問題ないでしょう?」


「何言ってんだ、一人で行かせるなんて、出来るわけないだろう!」


 言い争いを始める二人に、凱が無理やり割り込む。


「お二人の安全は、必ず保障いたします。

 その点は、どうかご安心を」


「う……うう……」



 五分ほどの長い沈黙の後、夫の方も、やむなしといった態度で同行を決意した。





「――というわけだ。

 これから、猪原さんご夫婦を連れて中野新橋方面へ向かう。

 ANX-06Rは実装後に待機、02Wや03Mと合流次第、向かってくれ。

 以上だ」


『わ、わかりました!』


 愛美との通信を終えると、凱はサングラスをかけ、ステアリングを握る。

 後部座席には、猪原夫婦が座っている。

 枝川東交差点を横切り、ナイトシェイドは、新宿方面を目指して走り出した。


 二人は、ナイトシェイドの狭い車内で身を寄せ合い、不安そうにしている。

 途中での休憩を提案したが、拒否してきた。

 

「あの、本当に、かなたに会えるのでしょうか?」


「大丈夫です、それは約束いたします。

 このまま、中野区のとある場所に移動します。

 そこでとある手順を踏みますが、その時点から一時間だけ、この車は並行世界へ移動します。

 かなたさんは、そこでお二人を待っています」


「か、かなた……」


「異世界なんて、そんな映画みたいな話が本当にありうるんですか?」


「それについては、私も完全な知識を持っているわけではないので――」


 凱は、夫に聞きかじりの知識を伝える。

 ただ自分達がそういった知識を持つ理由については、「行方不明者捜索目的」と「異世界調査」であると嘘をついている。

 さすがに、今ここでXENOの存在と実態を伝えることは出来ないからだ。


「猪原かなたさんの事件については、私も後から調べて知りました。

 失礼ながら十年も前の事件とは思ってなかったもので、かなたさんのご年齢の事も、後から知って驚いたのです」


「そうですか……」


 それ以上、夫婦は殆ど喋らなくなった。

 凱は、限られた時間内で出来るだけ無駄を省くため、坂上のことも軽く説明をした。

 彼が誘拐犯的な見方をされないようにという配慮だったが、リアクションがないので、どう解釈したかまではわからない。



 首都高速を抜け四十五分程、ナイトシェイドは山の手通りから本郷通りを突き抜けて弥生町二丁目交差点を左折する。

 洋食屋のある交差点から少し進んだ辺りで路上駐車すると、凱は通信を繋げた。


「ANX-02W、03M、06R。

 NS1目的地に到着。施策を頼む。指定範囲は半径10キロ。

 今から三分後に実行」


『了解!』


 猪原夫婦に配慮し、出来るだけコードネームを使わず最小限の連絡に留める。

 凱は、三分後に異世界に突入する為、決して車外には出ないようにと忠告した。


 しばらく後、一瞬窓の外が青白く変色した。


「さぁ、降りましょう。

 並行世界に到着しました」


「え、何時の間に?」

「本当に、かなたのいる世界に来たのですか?」


 うろたえる夫妻に、凱は力強く頷く。

 車外に出た三人は、全くの無音と化した世界に降り立つ。

 夫妻は、車も人も居なくなってしまった世界に戸惑い、辺りをきょろきょろ見回した。


「すごい、あんなに居た人や車が、全部消えた」


「本当に、異世界ってあるんですね」


「さあ、時間がありません。

 目的地は、すぐそこのマンションの二階です。

 急ぎましょう」


 三人は、小走りで道路を横断する。


 その様子を、三つの影が静かに見下ろしていた。


「あれが、かなたさんのご両親なんですね」


「うん! ちゃんと逢えるといいねー」


「二階の部屋に明かりが点いています。大丈夫ですよ」


「そっか、やったぁ!」


 微笑む二人に向かって、アンナローグはシュタッと右手を挙げた。


「あの、それでは私は、調査活動に向かいます!」


「お願いしますね、ローグ」


「ところで、調査って、いったい何処で何をするの?」


「はい、まずば渋谷に向かいます」


「渋谷? そんなとこで何をするの?」


「ええ、まあ色々。

 後でまとめて報告しますね。

 それでは、時間がないのでまた! シュワッチ!」


 謎の言葉を残して、アンナローグはあっという間に南東の方角へ飛んでいってしまう。

 それを見送ると、残された二人は思わず顔を見合わせた。


「何処で覚えたんでしょうね、あれ」


「ねえお姉ちゃん、メグ達はこれからどうする?

 愛美ちゃんと合流するまで」


「アンナローグは、このまま合流しないで帰還するそうです。

 さあ、私達はどうするべきでしょう」


「そうだねえ、このカッコであのお二人の前に出て行くのもなんだしぃ」


「……ですもんね」


 仕方ないので、二人は自主的に周辺の調査を行うことに決める。

 凱の腕時計(シェイドII)を通じて、会話は常に届くようになっている。

 何かあったらすぐに駆けつけられる範囲で、アンナウィザードとミスティックは早速行動を開始した。





「こんばんは、北条です」


 インターホン越しに名乗ると、ドアの向こうからドタドタと足音が響いてくる。

 カチャリ、と開いたドアの隙間から、小さな女の子の顔が少し覗く。

 屈んで視線を下げた凱は、軽く挨拶をすると、背後に立つ二人を見るよう促した。


 しばしの、沈黙。


「パパ……ママ……?」


「か、かなた……?」


「かなちゃん? ほ、ホントに、かなちゃんなの?」


「パパ? ママ? 本当にパパとママなの?!」


「本当に居た……本当に逢えた!!」


「うえぇ~ん、パパぁ、ママぁ!!」


「かなたぁ!」

「かなちゃぁん!」


 三人の泣き声と嗚咽が、静かなマンション内に響き渡る。

 ドアから飛び出したかなたを、夫妻はしっかりと抱きしめた。

 少し遅れて、坂上が何事かと顔を出すが、凱が目配せした事で、即座に理解したようだ。


 坂上に招き入れられるまでの数分間、三人は、十年ぶりの再会を喜び合った。




 鼻をすする音と、小さな嗚咽が室内に響く。

 リビングに通された猪原夫妻は、かなたと三人揃ってソファに座った。

 父の膝に乗り、母に頭を撫でられる。

 その仲睦まじい様子から、相当愛されていただろうことが窺える。

 いつしか坂上も涙ぐみ、そして凱も、目頭が熱くなるのを感じていた。


「ありがとうございます、北条さん。それに、坂上さん。

 あの、特に北条さんには、大変失礼なことをしてしまって」


「お気になさらないでください。

 こちらこそ、ここへ来てくださって感謝しています」


「坂上さん、今までかなたを保護してくださって、本当にありがとうございました!

 なんとお礼を申し上げたらいいのか……」


「いえ、そんな奥さん、もったいない」


「パパ、ママ!

 かなたね、このマンションに住んでるんだよ!」


「そうなの、でもお友達もいないし、寂しくない?」


「大丈夫! おじちゃんもいるし、お姉ちゃん達も遊びに来てくれるからー」


「お姉ちゃん達?」


「あ、うちのエージェントです」


 コホン、と咳払いをして、凱がフォローを入れる。

 茶も出せず申し訳ない、と詫びを入れた後、坂上は、かなたとの出会いの話を始めた。


 当時、坂上は息子と二人で都内各地を車で巡り、自分達以外の人間が居ないかを捜索していた。

 そして江東区を巡っていた時、枝川の小さな公園で泣いているところを偶然発見出来たのだという。


「――失礼ながら、その際、猪原さんのお宅に勝手にお邪魔させて頂きました。

 もしかしたら、私達家族と同じように、お二人も転移しているのではないかと思いまして。

 申し訳ありません」


「いえ、そんな! 私達のためにしてくださった事なのですから」


「坂上さんのような良い方に助けて頂けて、本当にありがたいです」


 どうやら、猪原夫妻は坂上にとても好意的な様子だ。

 坂上はそこから、かなたとの普段の様子や、いつもやっている事などを紹介した。

 最近では、かなたも家事を手伝っているとの事で、夫妻は驚いていた。

 得意げなかなたに、彼女を褒める両親。

 とても微笑ましい光景に、凱は静かにほくそ笑んだ。


 腕時計を見ると、凱は軽く手を挙げて、四人の会話に割り込んだ。


「申し訳ありませんが、あと二十分程でこの世界から出なければなりません」


「えっ、もうそんなに?!」


「はい、しかも、この部屋は現実世界だと全く別の人が生活していますので、車まで戻って頂く必要があります。

 リミットになったら声をかけますので、その際はご退席をお願いします」


「で、でも……」


「わかりました、では、かなたを連れて行きたいのですが――」


 猪原父が、突然、場の雰囲気を変えるような言葉を放った。





 ここは、渋谷ランプリングストリート。

 きらびやかな街の明かりに照らされながら、静かに降り立ったアンナローグは、眉間に皺を寄せてとある建物を見上げた。


 ゴールデンウィーク中に、相模姉妹に連れられてやって来た、パンケーキ屋の入っている雑居ビル。

 そこに潜んでいたXENO・ジャイアントスパイダーの襲撃を受け、酷い目に遭わされたのだ。

 正直二度と来たくない場所だったが、勇次の指示で渋々やって来たこの場所で、アンナローグは呆然とした。




「……元に、戻ってる……」



 彼女の目の前には、あの雑居ビルが、そのままの姿で残っていた。



 ジャイアントスパイダーとの対戦でパワージグラットで転移した際、アンナウィザードの科学魔法で吹き飛ばされた筈なのに。

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