【旅立】

 愛美は、矢印の指し示す方向に向かって低空飛行すると、独り言を呟いた。


「この、漁るとだがーっていう包丁の使い方を、教えてください!」




 



 開放された西棟からは、北棟へ渡る手段がないようだ。

 怪物は、袋小路に追い詰められた。

 胸の傷は既に塞がっている。


「ちっ!」


 凱は、再度怪物に銃口を向ける。

 モニタに「CAULKING SHOT」と表示され、赤い光線が放たれる。

 だがその時――


「なんだ、この匂い?!」


 どこからともなく、焦げ臭いような、木が燃えるような匂いが漂ってきた。

 一瞬、怪物から注意が逸れる。

 その隙を突くように、怪物は凱に踊りかかった。


 ブモオオオォォォォ!!


「な、しまっ――」


 怪物の両脚が床から離れ、飛び掛るような体勢になったその瞬間。

 何かが、物凄い勢いで飛来した。



「ヒャァァアアアアああああああ―――っ!!」



 ドップラー効果で抑揚のついた悲鳴が轟く。

 高速で飛来した愛美は、怪物の上半身に激突し、そのまま袋小路の壁を突き破った。

 途端に、猛烈な熱気が吹き込む。


「ぬうっ?!」


「えっ?! か、火事?!」


 愛美が空けた穴の向こう、北棟では、炎が燃え盛っていた。

 原因は分からないが、つい今しがた引火したような燃え方ではない。

 北棟の中は、既に一面紅蓮の炎に包まれている。


「が、凱さん?!」


「愛美ちゃん!」


 ブギャアァァァァァ――ッ!!


 怪物は、火達磨になって暴れている。

 西棟側に避難し、凱達のいる空間へ飛び込んできた。


「凱さん、危ない!」


 このままでは、燃え上がる怪物が凱に接近してしまう。

 躊躇う余裕は、もはやない。

 至近距離!


"Identified the location of CORE.

 It is the upper left chest."


 愛美の視界に、またも文字が浮かび上がった。

 と同時に、怪物の左胸にカーソルが集中し、照準マークが形成される。


"Locked the aim of the Assault Dagger."


 視界の端には、凱の銃から送信された映像情報のサムネイルが表示されている。


(この胸にある、目玉みたいな部分が、弱点?!)


 愛美はダガーを前方に構え、身悶えする怪物の左胸めがけて一直線に飛び込んだ。

 必死だった。

 ここで怪物を食い止めなければ、という想いだけが、彼女を突き動かしていた。


 「た、たぁ――っ!」


 気合一閃!

 ジェット機にも似た、耳をつんざくような噴射音が廊下内に響き渡る。

 愛美はそのまま、怪物ごと炎の中に突っ込んでいった。


「ま、愛美ちゃ――ん!!」


 アサルトダガーの赤い刀身は、豚面の怪物の左胸を的確に貫いていた。

 刺さった瞬間、ダガーの刀身は怪物の体内で展開し、強烈な光のエネルギーを放出する。

 それが、決定打だった。



 ブギャアァァァ………!!



 怪物が断末魔を上げ、身体が崩壊を始める。

 腐るように溶け始めた肉体に炎が燃え移り、あっという間に炭化した。

 それはまるで、先程まで生きて動いていたことが信じられないほどの呆気なさ。

 薄い紙が燃えて黒い灰になるように、怪物の巨体は消滅した。

 

「……」


 アサルトダガーを手に持ち、愛美は――否、今や「アンナローグ」と化した彼女は、呆然とその光景を見つめていた。

 燃え盛る炎の中で。




 炎は、あっという間に西棟に燃え広がっていく。

 これ以上ここに居ると、確実に巻き込まれてしまうだろう。

 遥か彼方で、怪物の断末魔のような叫び声が響いたが、今はそれどころではない。

 凱は、足首の機械を作動させ浮き上がると、大急ぎで南棟へ避難を開始した。


"マスター、館全体に火が回りつつあります。

 あと5分で、脱出困難になる見込みです。

 直ちに退避行動を取ってください"


 腕時計から、女性のナビゲーションボイスが聞こえる。

 凱は、真っ直ぐ南棟に向かい、先程愛美が開けた大穴の前まで辿り着く。

 だが、その時。


「――!!」


 凄まじい殺気が、今来た西棟の奥から感じられた。

 懸命に退避行動を取る彼の動きを止めてしまう程に、それは強烈なものだった。


「な……?!」


 本能的に、身体が逃走を求める。

 だが凱は、そこまで感じていながらも、その場から動くことが出来なかった。

 凱は、心の中で鳴り響く警鐘を自覚しながらも、何も出来ずにいた。



 炎が更に勢いを増し、煙が周囲に満ち溢れる。

 火の手は、もうすぐそこまで迫っていた。


「くそっ! ナイトシェイドっ!」


 凱の叫びに反応し、漆黒のボディの車が、南棟の廊下を疾走してくる。

 開かれたドアに飛び込むように乗り込むと、凱はマスクとゴーグルを引き剥がした。


"安全圏に退避します"


「愛美ちゃんは?」


"アンナローグは、西棟二階に移動しています"


「まだ、脱出しないのか……

 って、そうだ! 夢乃、夢乃はどうだ?!」


 必死の叫びに、車の中のナビゲートボイスは、冷酷な一言を告げた。


"――先程から、反応がありません"






(熱くない……こんなに燃えてるのに?

 私、やっぱり――人間じゃない、別な何かになっちゃったんだ)


 目の前に広がる真紅の炎も、その熱を愛美に伝えることはない。

 否、体感だけではない。

 身に着けている衣服や、髪から伸びているリボンにも、火が点く様子が全くない。

 めくるめく非日常な展開に呆気に取られていた愛美は、火がメイド達の宿舎や井村婦人のを兼ねていることを、ここに来て改めて意識した。


(はっ?! そうだ、火事!!

 奥様! 皆さん!! 助けなければ!)


 今の私なら、皆を助けられるかもしれない!

 そんな思いが、愛美の脳裏を掠める。

 手の中でアサルトダガーをクルリと回転させると、それは一瞬光を放ち、元の腕輪に戻った。


「奥様ぁ! 梓さん!

 理沙さん、夢乃さん、もえぎさん!!

 ご無事ですか?! もし居たら返事をしてくださーい!」


 大声で呼びかけながら、愛美は西棟の二階を飛び回った。

 しかし、何処からも反応が一切ない。

 上手く、脱出することに成功したのだろうか?

 ここには誰も居ないと判断した愛美は、井村婦人の寝室に向かうことにした。

 

「ご、ごめんなさいっ!」


 そう呟くと、愛美は、二階の床を蹴破った。

 そのまま飛び降り、ショートカットを強行する。

 しかし時既に遅く、西棟の一階は完全な火の海になっていた。

 黒煙が充満し、視界が完全に殺されている。

 しかし、彼女の視界はベクタースキャンのような線画表示に切り替わっている。

 これで、状況の判断はだいたい可能だった。


(スゴイ、この姿だと、どんなことでも出来そう!)


 高熱と炎が渦巻く中、愛美は高速で飛行した。

 仮に全く見えなくても、目的地のだいたいの位置はわかる自信がある。

 明かりを点けることすら禁じられ、廊下を延々と掃除させられた経験が、こんな形で活きるとは思わなかった。

 一分もかからないくらいの時間で、愛美は婦人の寝室に辿り着く。

 本来であれば、今頃全員ここに集まっていた筈なのだ。


 ドアは、しっかりと閉じられている。

 一瞬躊躇いを覚えたが、意を決してノブに手をかける。


 鈍い音を立て、開くドア。

 だが、そこには――


「きゃあっ?!」


 開かれた寝室のドア。

 その向こうから、とてつもない勢いで、爆炎が噴き出して来た!

 視界が、真っ赤に染まる。

 アンナローグになっていなければ、間違いなく愛美は即死していたことだろう。

 だが爆風の勢いでも、愛美の身体は吹き飛ばされることはなかった。


「あ……」


 寝室は、既に火の海だった。

 何処から燃え移ったのか、そこは西棟一階の廊下以上に炎上が進んでいるように思えた。

 この部屋からの脱出口は、このドアしかない。

 それは、つまり――


「あ、ああ……」


 へなへなと、その場に座り込む。

 ズン、という鈍い音がして、またも床がひしゃげた。


『愛美ちゃん、聞こえるか?!』


 突然、凱の声が聞こえてくる。

 

『火の手の周りが、異常に早い!

 とにかく、そこから脱出するんだ!』


「が、凱さん!

 奥様や、皆さんが!」


『大丈夫!

 夢乃を信じろ!

 きっと、上手く脱出させている筈だから!』


「そ、そうでしょうか」


『今は、希望を持つしかない!

 外に出たら、こちらから誘導する。

 合流するんだ!』


「――わかりました」


 視界の端に、またも何かの文字が表示され、誘導を促す矢印が映り込む。

 だがまだ衝撃が抜けない愛美は、炎の中、うずくまったままだった。










 いつしか、雨は止んでいた。

 燃え行く館、天を焦がす炎。

 愛美の暮らしていた思い出の館は、完全に火に包まれ、既に崩壊も始まっていた。

 それを遠目に眺めていた凱は、小さな光が飛翔してくるのを見つけた。


「愛美ちゃん! こっちだ!」


 手を振る凱に反応し、光が降り立つ。

 弾けるように光が霧散すると、その中には、疲れ果てた表情の愛美が立ち尽くしていた。


「お疲れ、愛美ちゃん」


「凱さん……私は、これからどうしたら……」


 今にも泣きそうな愛美を、凱は抱き寄せようとした。

 だが、彼女の体表にまだ残留している熱がジリジリと感じられ、手を引く。

 愛美は無言で振り返り、燃え続ける館を見つめていた。


 

「梓さぁ―ん! 理沙さぁ―ん! 夢乃さぁ―ん! もえぎさぁ―ん!!」


 愛美は、ありったけの声で、何度も呼びかけた。


「奥様ぁ――!! 奥様ぁ――!!」


 だが、誰も、答えを返しはしない。




 崩壊し始めた館の二階。

 炎渦巻く一室の窓。


 四体の影が、こちらを見つめている事に、二人は最後まで気付かなかった――








 

 時計は、午前6時になろうとしている。


 車は、ようやく東京に入った。

 既に夜は明け、眩しい朝日がビルの谷間から差し込んでくる。


 ハンドルを握る凱と、ただ窓の外を眺めている愛美は、あれからずっと無言のままだった。

 大雨でずぶ濡れになったメイド服は後部座席の足元に置かれ、今の愛美は、毛布に全身を包んでいた。


「寝なくてもいいのかい?」


「大丈夫です」


「そ、そうか」


 これで、五回目のやりとり。

 間が持たず、凱は物凄い居心地の悪さを感じていた。


"千葉愛美様、宜しいでしょうか"


 その時、車内に女性の声が響いた。

 さすがの愛美も、これには反応する。


「だ、誰か他に乗っておられる……のですか?」


「ああ、これはね。

 この車が喋ってるんだ」


「えっ?!」


"初めまして、千葉愛美様。

 ご挨拶が遅れてしまいまして、申し訳ございません。

 私は、ナイトシェイドと申します"


「え、あ、はい、は、初めまして!」


 空気が、ようやく変わる。

 ナイトシェイド――凱達の乗る黒いスポーツカーの絶妙な間の取り持ち加減で、二人はようやく話しやすくなったようだ。


"愛美様を、これより都内の宿舎へお連れいたします。

 本日はそこでお身体をお休めください"


「あ、ありがとうございます!

 ……って、本当に、この車サン、お話出来るんですか?」


 きょとんとした顔で、尋ねてくる。

 その表情が、初めて出会った時に戻った気がして、凱はようやく安堵した。


「ああ、こいつは車に見えるけど、ホントは車じゃないんだ」


「え?」


「超装甲機動要塞ナイトシェイド。

 手っ取り早く言えば、こいつぁ車の姿をしたロボットなんだ」


「ろ、ロボット?! ロボットって、あの……こういうのですか?」


 そう言うと、愛美は突然角ばった表情になり、ぎこちなく腕を動かしてみせる。

 

「な、なんだよそれ?!」


「ロボットって、人型でこういう動きをするもの、じゃないのですか?」


 真面目な顔でロボットムーブを繰り返す愛美に、凱は思わず吹き出した。


「どっからそんなの知ったんだよ!

 まあとにかく、コイツは俺のパートナーで、頼りになる奴なんだ。

 これから付き合いも長くなると思うから、よろしく頼むよ」


"愛美様、どうぞよろしくお願いいたします"


「は、はい! こちらこそ、どうぞよろしくお願いします!」


 助手席に座ったまま、ぺこぺこと頭を下げる。

 その仕草に、凱はまたも吹き出してしまった。



「凱さん、お尋ねしてもいいですか?」


 しばらくの間を置き、愛美が話しかけてくる。

 その反応に、凱は少しだけ気持ちが高ぶった。


「凱さんは――いえ、凱さんだけじゃなくて、夢乃さんも、先程私に話しかけてくれた男の人も。

 皆さんは、いったい何者なんですか?

 どうして、私のことを知っているのですか?

 どうして、私を東京に連れて来たのですか?

 そもそも、私はなんで、空を飛べたり、火事の中で動けるようになったんですか?」


「ま、待った、待った!

 一気に質問しないでくれ!」


「は、はい! すみません!」


「え~と、どこから話せばいいやら……あ、そだ」


 凱は、懐からスマホを取り出すと、ぺぺぺと操作し、何かを表示させて愛美に見せ付けた。

 画面には写真が表示され、そこには、二人の少女が写っている。


 一人は、長い髪と切れ長の目が特徴的な美少女。

 そしてもう一人は、長髪をポニーテールでまとめた、同じく切れ長な吊り目の美少女。

 寄り添うようなポーズの二人はとても美しく、そして瓜二つだ。

 愛美よりも年上のようで、とても大人びた雰囲気を漂わせている。

 しかし、その二人の顔を見た愛美は、表情を強張らせた。


「こ、この方々は?」


「ああ、俺の"妹達"だ」


「い、い、もうと、さん、たち?」


「コイツら、双子なんだよ。

 明日、この二人が君に色々教えてくれることになってる。

 俺達のことは、この娘達から聞いて欲しい」


「へ? あ、は、はぁ」


 愛美は、凱から手渡されたスマホの画面を見て、青ざめていた。


(この、お二人――めちゃくちゃ、キツそうなタイプに見える!)


 双子の姉妹の顔を見て、愛美は、真っ先に「青山理沙」のことを思い出した。

 もっとも苦手意識を抱いていた、二番目に古参の先輩メイド。

 いつも自分に冷たく当たり、今回も、冷酷な解雇通達を突きつけた人物。

 そんな理沙と、この写真の二人は、どことなく顔つきや雰囲気が似ているのだ。


(ど、ど、ど、どうしよう!

 こ、この、少し上目遣いな表情、綺麗なんだけど鋭い目線……ひぃ!)


「まあ、こんなナリだけど本人達は結構ほわほわした感じだから、気軽に話せると思うんだ」


(ウソだっ! ぜ、絶対にウソだっ!

 きっと、また私は、このお二人に厳しくされて、大変な毎日を送るに違いないんだわ!)


「わ、わかりました」


「おお、わかってくれた?」


「誠心誠意、お勤めさせて頂きたいと思います。

 精一杯尽力いたしますので、何卒、よろしくお願いいたします」


「ま、愛美ちゃん?」


 愛美は、凱のスマホを抱きしめながら、何故かガタガタ身体を振るわせ始めた。


 




【アンナローグ始動編】  完



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