【実装】
「だが今は、何より君の――って、おい、何を?!」
愛美は、突然車のドアを開けると、館に向かって駆け出した。
雨は更に激しさを増し、雷も容赦なく轟音を響かせる。
荒れ狂う天の音にかき消されてしまうのか、館の中がどうなっているのか、外からでは全くわからない。
愛美は、更にずぶ濡れになりながらも必死で走り、玄関を目指した。
(奥様! 先輩達! どうか、どうかご無事で!)
非力な自分が向かったところで、何の助けにもならない事くらい、とうに気付いている。
それでも、愛美は必死で彼女達を助けたかった。
あの巨大な怪物は、自分を見ていた。
自分を見て、大きな声を上げた。
――もしかして、自分があの怪物の気に止まったのでは?
最悪の場合、愛美は、怪物の注意を自分に引き付けてでも皆を逃がそうと考えていた。
だが、あともう少しで玄関に着くというところで、ぬかるみに足を取られ、派手に転倒してしまった。
「あっ!」
手の中でずっと握り込んでいた何かが、コロコロと転がる。
それは、金色の金属に縁取られた、半円形の宝石。
宝石の中で、何かが輝いている。
ゆっくり立ち上がった愛美は、それを恐る恐る手に取った。
「さっきの――これは、何だろう?」
痛む膝や顔もよそに、宝石から放たれる不思議な光に魅入られていく。
だが、すぐに思い返し宝石を握り締めると、愛美は玄関へ飛び込む。
それと同時に、鼻を突く、しかして覚えのある異臭が漂ってきた。
――ブモオォォォオオオオオ!!!
最悪の、事態だ。
なんと先の影……豚と人間を掛け合わせたような巨大な人型の怪物は、玄関前に居たのだ。
それが愛美に反応し、歓喜の声を上げている。
怪物との距離は、僅か1メートル強。
反応は、怪物の方が早かった。
「きゃあ―――っ!!!」
怪物の巨大な手が、愛美を掴み上げる。
凄まじい力が、肉体を締め上げ、ミシミシという異音が耳に届く。
愛美は、自分を頭から被りつこうとする怪物の顔を、真正面から見てしまった。
だが、その瞬間。
突然、愛美の身体から目も眩むような閃光が迸った。
驚いた怪物は、愛美を解放してしまう。
2メートルくらいの高さから落下し、一瞬呼吸が詰まった愛美は、先程の宝石からとてつもない輝きが放たれている事に気付いた。
怪物は、眩しさに目をやられたのか、苦しみ悶えている。
恐る恐る宝石に手を伸ばした愛美に、視力を奪われた怪物が踊りかかる。
愛美の身体の上に、倒れこんだ怪物の巨体が、重なった。
「ひ……!!」
"Due to an emergency, we will determine that a special matter is applicable and
forcibly start the system.
In order to give priority to pilot protection, ANNA-UNIT will be transferred and
OUTER-FRAME will be formed."
愛美を中心に、突風が巻き起こり、更に怪物を遠ざける。
天を切り裂くような閃光、大気を振るわす轟音。
その中に、愛美はいた。
身に付けた衣服はすべて細かな光の粒子となって溶け始め、一糸纏わぬ姿となる。
(あ……暖かい)
真っ直ぐに屹立する光の帯は天使の羽を思わせる細やかな光の粒を撒き散らし、愛美を覆い尽くした。
直視など不可能な程の光量は、やがて少しずつ集束し始める。
鈍い音が響く。
光の竜巻が消え去った後、愛美は、その場に立ち尽くしていた。
だが、どこか様子がおかしい。
束ねられた髪には、金色の髪飾りが装着され、そこから左右二本ずつのリボンが伸びている。
ブラウスの肩の形状は変化し、半袖だった上腕はひらひらしたバタフライスリーブへと変化。
スカートは極端に短くなり、長い脚がほぼ露出している。
更に手袋とショートブーツを身に着け、胸元には先の宝石が収まっていた。
そして、茶色がかった頭髪と黒かったメイド服は、グレーに変化している。
目を閉じていた愛美は、ゆっくりと瞼を開く。
エメラルド色の瞳の奥で、幾重もの光が迸り、機械の起動音のようなものが唸りを上げる。
額に施されたグリーンの模様が点灯した途端、髪とメイド服の色が、鮮やかなピンク色に染まり始めた。
身体全体が僅かに光を帯び始め、暗がりの中でもその姿をはっきりと浮かび上がらせていく。
"Voice authentication registration completed.
shift the system and release the original specifications completely.
Each part functions normally,
support-AI all green.
ANX-06R ANNA-ROGUE, system restart."
「ま、愛美ちゃん?!
これは……いったい?」
そこに、ようやく凱が駆けつける。
何が起きたのか、咄嗟に判断が出来ない。
凱は、ポケットに入れておいた筈の宝石が、愛美の胸元に着いている事に気付き、慌てて手を突っ込んだ。
「あ、あれ?
いつの間に?!」
と、その時、
「きゃっ!」
バランスを崩した愛美が、突然倒れた。
彼女が尻餅を突いた床板は激しく砕け散り、大きな破片が周囲に飛び散った。
お尻を床に突っ込んだままの体勢で、愛美は目をパチクリした。
「痛たた……
って、きゃっ?! な、何ですか、コレ?!
ああああ! 床に穴がぁっ!!」
「すごいお尻の……じゃねぇ!
比重が、狂ってる?!」
立ち上がろうとするが、身体の調子が先程までとは違い、上手く動かせない。
戸惑っていると、突然髪から伸ばしたリボンが伸び、床を押さえて彼女の身体を引き起こした。
と同時に、足首から光が発生する。
愛美の身体は、ほんの僅かだけ宙に浮かび上がった。
「フォトンドライブが作動してる?
ってことは、これが……アンナユニット?!」
予想外の展開に戸惑ったのは、豚顔の怪物も同じだったようだ。
だが、状況への対応が一番早かったのも、この怪物だ。
呻き声を上げながら、突っ立ったままの愛美に突進していく。
その気配に気付き振り向いた愛美は、怪物に真正面から向かい合うような形になってしまった。
「ひぇっ?!」
「待て、愛美ちゃん! 下手に動くな!」
と、凱が叫ぶよりも早く、愛美の姿が消えた。
耳を劈(つんざ)くジェットエンジンのような推進音が、ホール内に木霊する。
「えっ?!」
続けて、激しい激突音。
遠ざかっていく、怪物の叫び声――いや、悲鳴だろうか。
激しい空気の流れが生まれ、西の方へ凱の身体を圧す。
それが、猛スピードで愛美が飛び去った影響だと気付くのに、若干の時間を要した。
「ひえぇぇぇぇぇぇぇえええええ!!!!!!」
ブモオォォォオオオオオ?!?!
愛美は、怪物にタックルした体勢のまま、凄まじい速さで西棟の廊下を移動していた。
身体は数十センチ浮いた状態で、背中と腰から光の粒のようなものが噴き出し、これが彼女に推進力を与えていた。
猛スピードで流れていく廊下の床に驚愕するが、今の愛美には、前が全く見えていない。
やがて二体は、最西端の外壁に突進し――
「きゃあああぁぁぁぁぁ?!?!」
グエェェェェ?!?!
激しい激突音、何かが割れ砕ける音、愛美と怪物の悲鳴が交錯する。
続けて、叩きつけるような雨音。
愛美は、外壁を破壊して怪物ごと庭を突っ切り、更にその先の林の中へと飛び込んでしまった。
何本かの木が、なぎ倒されていく。
「ひ……きゃあっ?!」
状況に気付いた愛美は、すぐ傍で倒れている怪物に恐れおののき、その場にうずくまる。
だがその時、髪から伸びたリボンが突然動き出し、旋回した。
グボオォォォッ?!
大型の刀が肉塊を斬るような音と怪物の悲鳴が、雨音に混じり響く。
気が付くと、怪物は数メートル彼方に吹き飛ばされていた。
ブスブスと耳障りな音を立て、何か腕のような物体が崩れていく。
それが、あの怪物の腕だと、愛美は一瞬遅れて気付いた。
「ひぇ……?!
な、な、何が、何が起きてるの?!」
顔を上げた愛美が見た光景は、惨憺たるものだった。
大穴の空いた館の外壁、抉り取られたような庭、途中からボッキリ折れている木々、小さなクレーターを思わせる、陥没した地面、そして散乱する不気味な肉片……
それが、自身のパワーによって引き起こされた影響だと、にわかには信じがたい。
「わ、私……なんてことを!」
気が付くと、愛美の視界に、何か文字のようなものが映っている。
それは、彼方に吹っ飛ばされた豚面の怪物の方にアラートを示しているようだ。
『聞こえるか……千葉愛美、聞こえるか?』
と突然、聞き覚えのない男の声が届いた。
「えっ?! ど、どなたですか?!
ど、どこから聞こえるの?!」
困惑してきょろきょろ辺りを見回す愛美に、謎の男は、少し慌て気味に話し出した。
『左上腕に、手をかざせ』
「えっ?!」
『左上腕だ。二の腕といえば分かるか?
そこに赤色のパーツが付いている筈だ。
それを、手に取れ』
「ど、どういうことでしょうか?!
あ、貴方はどなたですか?!」
『いいから、早くしろ!』
「ひぇ?! は、はいっ!」
謎の声に怒鳴りつけられ、愛美は訳もわからずに左上腕に手を伸ばした。
指先が、腕輪のようなものに触れる。
こんなものを着けた覚えはないけど……と考えていると、その腕輪のようなものは、勝手に外れた。
「は、外れちゃいましたけど?」
『それを掴んで翳せ!
転送兵器だ。
今回だけ、こっちで操作する!』
「て、てんs……わわっ?!」
男の声の直後、右手の中で突然腕輪が光輝いた。
やがてそれは光に完全に溶け込み、形状を変化させる。
数秒後、腕輪は消え、代わりに刃渡り25センチほどの赤い短刀のようなものが手に握られていた。
「か、形が変わりました!
ほ、包丁ですか?!」
『アサルトダガー、だ。
それで、XENO(ゼノ)にトドメを刺せ!』
「ぜ、ゼノ?」
『今、お前に迫っている、バケモノのことだぁ!』
「迫っ……ひえぇぇぇ?!」
ブモオオオオオオォォォ!!
林の向こうから、豚面の怪物が突進して来た。
短刀を手にしたまま、愛美は怪物から逃げようとする。
その時、再び足の周囲が光を放ち、身体が浮かび上がる。
『コラ、逃げるな! 怪物を倒せ!』
「そ、そ、そんなの無茶ですぅ!
な、なんで私が、そんなことを?!」
愛美がそう叫ぶのと同時に、肩と腰から、またも大量の光の粒が噴き出す。
と同時に、彼女の身体は、上空まで一気に飛翔した。
「ひえぇぇぇぇぇぇぇぇ―――っっ?!?!?!!」
まるで弾丸のような勢いで空中に飛ばされた愛美は、雨雲の中に飛び込んだ。
ようやく停止した自分の状況に、彼女は言葉を失う。
「こ、こ、こ、ここ、どどど、何処ですか?!
わ、私、飛んでる?! 浮かんでる?! なんで?!」
視界の端に、「13,000m high」と表示されている。
それに気付いたのと同時に、また男の声がした。
『アンナユニットを装備しているからだ』
少し呆れたような口調で、またも男の声が響く。
『いいか、千葉愛美。
今は細かな説明をしている暇はない』
「そ、そう言われても……」
『今のお前は、普通の人間にはない力を備えている。
空も飛べるし、浮くことも出来る。
そして、あのバケモノを倒せる力も持っている』
「――え?」
半信半疑のまま、男の言葉に耳を傾ける。
やがて、愛美の視界の端に長方形のウィンドウが展開し、そこに見知らぬ男の顔が表示された。
「ど、どなたですか?!
は、初めまして!」
『挨拶など、どうでもいい!
いいか、千葉愛美――いや、アンナローグ!』
「あん……ロープ?」
『ロー"グ"だ!
今すぐ、館に戻れ!
このままでは、あの怪物に皆が襲われてしまうぞ!』
「皆が……はっ、そうでした!」
ようやく、自身が置かれていた状況を振り返る。
愛美は、短刀を強く握ったまま、下界を眺め――戸惑った。
「あ、あの、つかぬことを伺っても、よろしいでしょうか?」
『なんだ?』
「どうやって、戻ればいいんでしょう?」
『行きたい所を思い浮かべろ!
AIが察知して、ヴォルシューターを自動調整してくれる』
「ぼ、ぼるてっか?」
『ヴォルシューター!
いいから、早よ行けいっ!』
「は、はいっ!!」
画面の男は、青筋を浮かべて激しく怒鳴りつけ、画面から消える。
愛美は、言われた通りに、館の光景を思い浮かべた。
次の瞬間、彼女の背中からまた推進力が発生し、地上に向かって撃ち出された。
「ひ、ひえ―――っっ?!?!
ま、またこれえぇぇぇぇぇぇぇぇ?!?!」
雨雲を切り裂く勢いで、愛美は再び飛翔した。
涙目で。
豚面の怪物は、愛美が空けた大穴をくぐり、再び館の中に戻っていた。
そこに、凱も辿り着き、対峙する。
「愛美ちゃん、どこ行ったんだ?!」
仕方ない、といった態度で、凱は懐から大型の銃を取り出した。
それは、先程北の棟で使った拳銃とは別物で、まるで鈍器を思わせるごついボディのものだ。
円筒型で肉厚の銃身、グリップ上部に付いた小型のモニタ、レーザーサイト……
それを怪物に向けると、凱は重心を落とし、脚を開く。
爆発音にも似た発射音が轟き、銃身が火を噴く。
小型の爆弾が破裂したような轟音が響き、怪物の周囲が一瞬真っ赤に照らされた。
グモオォッ!?
怪物は数メートルのけぞり、大穴手前まで後退する。
弾が命中した左胸付近の肉は削ぎ落とされ、気味悪い肉と神経の塊のようなものが覗いている。
その中心辺りに、巨大な"眼球"のようなものが見えた。
「核(コア)は、あそこか!」
続け様に、銃を撃つ。
だが怪物はそれを避けるように、西棟側に身をかわした。
銃弾が、外に消えていく。
「やべぇ、そっちは!」
凱は、誘い出すように近付く。
だが、怪物は凱には目もくれず、西棟の入り口へ向けて逃げていった。
そこは、東棟への入り口とほぼ同じ構造だが、扉は開きっ放しだ。
どんどん先へ逃げていく怪物を見て、凱は、突然妙な違和感を覚えた。
(おかしい……確かこっちには、夢乃と他のメイド達がいる筈だ。
なのに、誰も騒いでいる様子がない。
これだけ大騒ぎになってるのに?)
やむなく、凱はそのまま怪物を追いかけた。
「わわわ~!
ぶ、ぶつかる~?!?!」
大空の旅から戻ってきた愛美は、先程飛び立ったのとほぼ同じ地点に戻って来た。
幸いにも何かに激突することはなく、その手前でふわりと停止し、安全に着地に成功する。
不意に、館の壁の大穴から、何かが高速で飛んでくるのが見えた。
「えっ?」
無意識に、それを手で掴む。
手の中には、先端が丸く加工された金属製の円筒が握られていた。
「な、なんでしょう、これ?
――って、そ、それよりも、あのバケモノは何処に?」
と言った途端、視界に大きな矢印が表示された。
それは館の大穴の向こう、左方向を示している。
(私の疑問に、答えをくれているの?)
愛美は、矢印の指し示す方向に向かって低空飛行すると、独り言を呟いた。
「この、漁るとだがーっていう包丁の使い方を、教えてください!」
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