【探索】

 外の雨は、先程より更に強さを増している。

 もはや傘は役に立たず、二人は雨合羽を羽織って臨むことにした。




 


「いい? どどど、泥棒を見つけたら。

 まず脚を攻撃して動きを封じて、それから頭を狙うの!

 下手に躊躇うと反撃されるから、仕損じないようにね!」


「そそそ、そんな物騒なこと、しなきゃならないんですかぁ~??」


「非力なあたし達に出来ることっていったら、それしかないよ!

 って、何その長ネギ?!」


「だ、だってもえぎさんが、何か持っていくから……」


「置いてきなさい! その辺に置いときゃ、勝手に伸びるわ」


「ほ、ホントですかぁ?」


 お馬鹿な会話を交わしながらも、二人は完全に脚が震えていた。

 それでも、勇気を振り絞って館の側面に回りこむ。

 雨がレインコートを激しく叩き、だんだん歩き辛くなってくる。


 しばらくすると、北東部の角の辺りで、二つの影が並んでいるのが見えた。

 だが、次の瞬間。


「――えっ?!」


 突然、足下が光ったと思った途端、二つの影はふわりと空中に浮かび、一気に屋根の上まで飛び上がってしまった。

 ジェット噴射のようなものではない。

 雨音でよくわからなかったが、特に噴射音のようなものは聞こえなかった。


 予想外の事態に、二人はしばらくその場で立ち尽くしていた。


「ナニアレ。……魔法?」


「追いかけられませんね、あれでは」


「も、戻ろう!」


「ええっ?!」


「だって、中に入ったじゃん!」


「そ、そうですけど……」


「こっち、東の棟の中から回り込もう!」


「で、でで、でもこっちの棟は、梓さんや理沙さんから、立ち入り禁止って」


「そんなこと言ってる場合じゃなーい!」


「は、はいっ!!」


 変に興奮状態のもえぎの勢いに圧され、愛美は小走りで館に戻った。

 勝手口で濡れたレインコートを脱いだ二人は、東棟の方へ向かってまた走り出す。

 少々息が切れてきた辺りで、突然、誰かが目の前に立ち塞がった。


「あんた達、何してるの?」


 青山理沙。

 よりによって、二人が最も苦手とする先輩だった。

 背の高い理沙は、まるで蔑むような目線で二人を見下ろす。


 愛美は、押し黙るもえぎをよそに、先程見た事態を理沙に説明した。


「泥棒? この館の中から? で、また中に?」


「は、はい!

 ですので、東棟に行きたいのですが……」


「ダメよ。

 あそこは今は使っていないところだから、入ることは絶対禁止よ」


「で、でも――」


「あんた、私の言うことが訊けないの?」


「う……」


 有無を言わさぬ圧力に、二人はこれ以上言い返すことが出来ない。

 フン、と鼻を鳴らすと、理沙はもえぎに命じた。


「あんた、夢乃を捜して」


「は?」


「さっきから居ないのよ。

 すぐ捜しに行きなさい」


「で、でも、泥棒――」


「あんた、ここに来て結構経つのに、私の指示が最優先だって、まだわかってないの?

 ぐだぐだ言わないで、とっとと行きなさい!」


「……はい」


 この館では、先輩メイドの命令は絶対だ。

 明確なヒエラルキーがあり、一番長の梓と二番目の理沙には、誰も逆らえない。

 それが、たとえ不条理な命令であっても、だ。

 悔しそうな顔で二階に向かって走っていくもえぎを一瞥すると、理沙は残された愛美に向き直った。


 きょとんとする愛美の顎を、理沙はいきなり乱暴に掴み上げた。

 声が、詰まる。


「アンタは、本当に使えない子だったわね」


「……っ?」


「何を教えてもちゃんと出来ない、やっても中途半端。

 夢乃達のフォローに、何度助けられたかしらね」


 冷ややかな口調で、突然侮辱的な言葉を吐く。

 そんな理沙の表情は、嘲笑っているような、それでいて怒っているような、なんとも表現し難いものだった。


「も、申し訳ありません!

 これからは、もっと充分に注意して――」


「もう、これからは、ないから」


「え?」


 口元を吊り上げると、理沙は愛美の顎から手を離した。

 そして耳元に口を近づけると、囁くように呟く。


「今夜限りで、あんたはここのメイドじゃなくなるの」


「!!」


「短い付き合いだったわね。バイバイ」


「……」


 突然の、解雇宣告。

 愛美は、あまりのショックにその場から動けなくなった。

 青ざめて立ち尽くす愛美をよそに、理沙は西側に向かって歩き去っていく。


(そうか――じゃあ、この後の集まりは……私の……)





「防犯用電子ロックかよ。

 ――ナイトシェイド、頼む」


“了解”


 カチャリと音がして、窓の鍵が解除される。

 素早く窓を押し開くと、凱は素早く身体を滑り込ませる。

 続いて、もう一人の影も。


「なんだこりゃ?

 いつからここは、ホテルになったんだ?」


「ホテルっていうより、洒落がきつ過ぎるアパートって感じね」


「はは、違えねぇな」


 二人は、廊下の向こうにずらりと並ぶドアの数を見て、呆気に取られた。

 井村邸・東棟二階。

 そこは夕べ凱が宿泊した客室と同じように、沢山の部屋が並んでいるようだ。

 しかし、それぞれのドアの感覚が、圧倒的に狭い。

 これでは、それぞれの部屋の大きさは、あの客室の半分以下しかないだろう。

 よく見ると、ドアにはネームプレートの跡らしきものまである。


「この館には、相当な人数が住み着いていた……ってとこか」


「私が来るずっと前の話でしょうね。

 見てよこの埃」


 そう言いながら、もう一人の影は、足元を靴で払う。


「さしずめここは、宿舎ってとこか」


「問題は、“何の”ってとこね」


「ここまで来た以上、ソイツも突き止めて手土産にするか。

 これからどうする? 夢乃」


「そうね、多分下の階もこんなでしょうから。

 早速北棟に行きましょ」


「いい判断だ」


 二人は、素早く北方面に向かう。

 東棟二階の最北端は行き止まりで、共同トイレや浴室、ランドリーなどがあるだけだ。

 即座に二人は、階段から下に飛び降りる。

 音もなく着地すると、一階の奥を凝視した。

 そこには、高さ2メートル半はある巨大な観音開きのドアが設置されている。

 木造建築の建物の中に、突然現れる金属製のドアと、その横のセキュリティキーは、異様なほどの違和感を漂わせていた。


「いよいよ、ラスボスへの回廊にたどり着いたって気分だな」


「もしかしたら、アイツらに気付かれるかも」


「だろうな。

 もし俺があいつらの立場だったら、ここが開いたら気付くようにシステム構築するわ」


「いいの? それでも行く?」


「やるだけやってみよう」


 凱は、再び腕時計を扉に向け、次にセキュリティキー部分に接近させる。

 しばらくの沈黙の後、女性の音声が聞こえてきた。


“通報システムを偽装データで作動妨害します。

 5分前後の準備時間を要します”


「やったぁ♪

 さすがはナイトシェイド!」


「じゃあ早速頼む。

 さて、と」


 ドアに背を凭れると、凱は、もう一人の影に話しかけた。


「お疲れ。

 ――四年になるか?」


「そう、丸四年。

 通信も出来ない、郵送もいちいちチェックされる環境での諜報活動は、さすがにきつかったわ」


「だろうな。

 しかし、まさかお前からはがきが届くとは思わなかったよ。

 季節外れの、しかも二年も前の年賀状」


「仕方ないじゃん! それしか使えるものがなかったんだから。

 あれ書くのだって、一週間もかかったんだからね」


「いや、でもそのおかげでここが分かったんだし、助かったよ。

 そうそう、愛美のデータ、ありがとな。

 あと、セキュリティコード」


「忘れて来てないでしょうね?

 あれ、探し出すのにすっごく苦労したんだから、なくしたら泣く」


「あいあい、大事に使わせてもらいますよ」


 そこまで言った時、腕時計から作業が完了したとの反応があった。

 凱は、スマホで撮影したセキュリティコード……先程、夢乃から渡された袋に入っていたメモの写真をピックアップし、それをゆっくり入力する。


 ガコン、という鈍く大きな音が鳴り響き、扉が自動的に開いていく。

 その向こうに広がる光景に、凱ともう一人は思わず息を呑んだ。


 そこは、もはや木造建築の館ではない。

 壁の色も、廊下も、そして天井やそこからぶら下がる様々な機器・パイプ類・配線類などは、近代的な造りの研究所のようだった。

 アイボリーの壁の色が、次々に点灯していく照明に照らし出される。

 黴臭かった空気の匂いもいきなり変わり、まるで病院のような、消毒臭を思わせるものに変化した。


「ビンゴ、かな」


「ビンゴね」


「さて、家捜しと参りますか」


 パンと両手を叩くと、凱はゴーグルとマスクを装着する。

 もう一人も同様に装着し、身に着けた各種装備も簡単にチェックする。


 凱は、長さ4センチほどの菱形のアクセサリーのようなものを取り出す。

 空中に放り投げると、菱形の物はフワリと浮かび上がり、まるで意思を持っているように音もなく飛んで行った。


「今の、何?」


「新開発のドローン。

 うちらは"ウィザードアイ"って呼んでる」


「今川っちが作ったの?」


「そうそう。アイツ、こういうの作るの得意だからな」


 菱形のドローンは侵入路を見つけたようで、どんどん奥へ飛んで行ってしまう。

 しばらく沈黙を置き、夢乃は、少し潤んだ瞳で凱を見つめた。


「ごめん凱、私、タイムリミットあと一時間」


「あの例の集会? ブッチしちゃえよ」


「そうも行かないわ。

 なんか、怪しいのよアイツら」


「何かしでかしそうってことか?」


「そうね、ここ多分、私達がずっと探してた、あの研究所じゃないかな。

 だったら、井村依子も上の二人のメイド達も、絶対ここに絡んでるわけじゃない」


「そうだな。

 なんであいつらが、ここの存在を何年も隠蔽してたんだって話になるからな」


 腕組みをしながら、凱は真っ白な天井を見上げる。

 そんな彼の背に自分の背中を合わせると、夢乃は肩越しに囁いた。


「多分、これが私のここでの仕事納めになる気がするの。

 だから――」


「そうか、わかった」


「もし、私に何かあっても、凱は自分の任務を優先してね。

 絶対、私を助けようと無理をしたりしないでよ」


「厳しいことを言うなあ」


 ふと、夢乃の手が凱の手の甲に触れる。

 二人は、まだ動かない。


「とにかく、ここをざっと調べたら別行動ね。

 凱、最後まで気を抜かないで」


「OK、お前の方こそ――」


 そこまで呟いた時、突然、廊下の奥から大きな音が聞こえてきた。





(奥様、申し訳ありません!

 もうすぐ馘首される身ではありますが、せめて最後に、少しでもお役に立てれば!)


 ここは、館内の各所にある部屋のマスターキーなどが保管されている「管理室」。

 室内は三畳程度の極端に狭い空間で、何に使うのかわからない机と椅子、そして壁全体に設置されたキーボックスがあるだけだ。

 相当以前に一度だけ入ったことがあるが、それっきり随分とご無沙汰だった。

 机の隅に、どこからか持ち込まれた漫画本が一冊置いてある。

 誰が持ち込んだかすぐに見当が付いたが、今はそれを眺める時間も惜しい。

 キーボックスを次々に開き、愛美は、東棟への扉を開ける鍵を探した。


「あった、これだ!」


 幸いにも、数分で鍵は見つかった。

 少し躊躇して鍵を掴むと、急いで管理室を飛び出す。




 今や愛美は、使命感だけに突き動かされていた。

 理沙に告げられた辛く悲しい言葉が、何度も頭の中で繰り返される。

 しかし、だからといって婦人に対する忠誠心も、責任感も薄まったわけではない。

 ただ、解雇されるという現実が、普段ではありえないほど大胆な行動と選択を、愛美に行わせているのは事実だった。


 もう、これ以上怒られることも、罵られることも怖くない。

 ただとにかく、奥様が大事な何かをされるという時に、問題が起きることだけは食い止めねば――


 東棟に通じる大きなドアの鍵を開けると、愛美は迷わず中に飛び込んだ。

 だがその後を追うように、誰かが走ってくる足音も聞こえる。


「何やってんの、愛美!!」


「も、もえぎさん?!」


「あんた、この鍵……って、ちょ、なんで泣いてるの?」


 愛美は、先程理沙から告げられた事を、もえぎに話した。

 

「アイツ! なんてことを!!

 どうして愛美がクビになるんだよ!」


「も、もえぎさん?!」


「ああそうか、アンタもしかして、辞めるならって……」


 もえぎの言葉に、力なく頷く。

 

「わかった、あたしも行くよ」


「でも! それじゃあもえぎさんまで!」


「いいよ、あたしも辞めるの、今決めたから」


「ええっ?!」


「そうと決まったら、とっとと行こう!

 時間ないんだから!」


「は、はい!」

 

 まさかの増援に、愛美の心が少しだけ癒される。

 二人は急いで東棟に向かい、南棟と繋がる扉を開けた。

 途端に、黴臭い匂いが漂ってくる。

 ずらりと並ぶドアの群れに呆気に取られていると、奥の方が妙に騒がしいことに気付く。

 よく目を凝らすと、奥で何か光が漏れているようだ。

 そして、誰かの声が聞こえてくる。


「――凱さん! それに、ゆ、夢乃さん?!」


「えっ? な、なんでわかるの?!」


「だって、お二人の声、聞こえるじゃないですか!」


「あ、いや、小さすぎて誰のかは……

 アンタ、前から思ってたけど、すごい地獄耳だよね」


「とにかく、なんだか様子がおかしいです!

 急ぎましょう!!」


「お、おう!」


 だが、駆け出そうとした二人の脚は、すぐに止まる。

 今度は、銃声のような音まで聞こえてきたからだ。


「な、な、何? け、拳銃? なんで?!」


「叫び声まで聞こえます!

 早く行かないと!」


「や、ヤバイよ!

 一旦戻ろう! 戻って奥様に――って! あっ! 愛美い!!」


 戸惑うもえぎをよそに、愛美は北へ向かって走り出した。

 先程からの音は、さらに強まっている。


「ど、ど、ど、どうしよ……」


 取り残されたもえぎは、右往左往した後、南棟へ引き返していった。





 ここは、北棟。


 凱ともう一人の影―― 夢乃は、目の前に突如現れた存在に喫驚した。


「なん、だ、コイツは?!」


「ぶ、豚……人間?!」


 夢乃が呟く通り、「それ」は豚であり、人間であった。

 否、もっと正確に表現するならば、豚の頭と体型、そして人間の手足を持ち、二足歩行する「巨人」だ。

 その身長はおおよそ2メートル半、黒目のない白濁の眼でまっすぐにこちらを睨みつけている。

 だらだらと粘液のようなものを口から垂らし、全身にはまばらな毛と不気味な皺が広がる。

 そしてその口からは大きな牙が上に向かって伸びており、紫色の気味悪い舌先が覗く。


 豚の断末魔を数倍大きくしたような、おぞましい鳴き声を立て、その異形の怪物はゆっくり二人に近付いて来た。


「まるでRPGに出てくるオークじゃねぇか、このバケモノ」


「ど、どうしてこんなのが、ここに居るのよ?!」


「知るか!

 逃げるぞ! 走れ、夢乃!!」


「あ、ちょ、待って!

 凱、フォトンドライブ!」


「あ、そうか!」


 足首に装着された球型の機器が光を放ち、二人の身体を宙に浮かばせる。

 その直後、凱と夢乃の身体は何かに撃ち出されたように滑空し、廊下を高速で移動し始めた。

 その様子に、突如豚顔の巨人は怒り出し、更に声を荒げた。


「追ってくる! 早く、ドアを!」


「このまま蹴破るぞ!」


 滑空しながら、凱は飛び蹴りの態勢になり、そのまま東棟へのドアへ突進する。

 ドン、という大きな鈍い音と共に、観音開きのドアは勢い良く開かれた。


「きゃあっ?!」


 と、その時、誰かの短い悲鳴が聞こえた。


「えっ?!」


 何者かの影が、数メートルほど廊下を滑っていく。

 もうもうと埃が舞い上がり、ゆっくり立ち上がった影が咳き込む。


「び、びっくりした……な、何が起きt――」






「び、びっくりした……な、何が起きt――」


 突然襲い掛かった風圧に吹き飛ばされ、愛美は埃まみれの廊下を数メートルほど滑走してしまった。

 身体がところどころ痛むが、幸い怪我はなさそうだ。

 立ち上がろうとした時、何かが膝の上から転がり落ちる。

 何だろう? と手を伸ばした視界の端に、逆光に佇む何か巨大な「影」が見えた。


 ブモオオオォォォォオオオオオ!!!


 地を揺るがすような、今まで聞いた事もないような「聲(こえ)」。

 影は、ありえない程の巨体を振るい、明らかに身の丈より低い廊下を、かがむ様な姿勢で無理やり突っ込んできた。

 床に跪いたままの愛美は、状況が飲み込めず、ただ目の前の異様な光景を見つめるしかなかった。

 思考は、完全に停止している。


「愛美! 何してんの! 逃げるよっ!!」


「え――きゃあっ?!」


 突然、誰かに引っ張り上げられ、愛美は拾おうとしていた「何か」を、反射的に掴んだ。

 気付くと、愛美は数十センチほどの高さに浮かんでおり、南棟の方向に後退させられていた。

 

「だ、誰?! 誰なのですか?! いったい、何が――」


「話は後だ! 今は脱出する!」


「が、凱さん?!

 夢乃さん?!」


 驚いて何度も顔を見返す愛美を抱え、凱は南棟の扉をも蹴り飛ばす。

 バキッ、という凄まじい音がして、扉が蝶番ごと吹き飛んだ。


「どうする?! このまま脱出するか?!」


 愛美の頭上で、凱の叫び声がする。

 

「凱は、愛美と一緒に外へ!」


「お前はどうすんだ?!」


「あの人達を放っておけないでしょ! 逃がさなきゃ!」


「了解!」


「ちょ、ちょっとお! ですから、一体何がどうなってるんですか?!」


「あ~もう、黙ってて!」


 尚も、「影」はこっちに迫っているようで、壁を破壊しながら迫ってくる音が聞こえる。

 夢乃はホバリングしながら振り返ると、ボール型の装備のピンを引き抜き、東棟の廊下に投げ込んだ。

 数秒後、何かが吹き出すような音と共に、白色の煙が漂ってくる。

 と同時に、苦しむような叫び声が響いて来た。


「今のうちに!」


「わかった、後は頼む!

 ナイトシェイド!」


 玄関ホールまで達した凱は、腕時計に向かって叫ぶ。

 すると、なんと玄関のドアを突き破り、漆黒のスポーツカーが館の中に飛び込んで来た。


「ひえっ?! く、車?!」


「乗り込め!」


 車のドアが、左右同時に開く。

 凱は愛美を助手席に放り込むと、自身も運転席に飛び込んだ。

 と同時に、漆黒の車はその場で180度ターンし、今来た方向に向き直った。

 シートベルトなどしていない二人は、当然、遠心力で体勢を崩してしまった。


「きゃあっ?!」


「一旦出るぞ、ナイトシェイド!」


"了解"


 女性の声が突然車内に響き渡り、愛美は、思わずきょろきょろと見回してしまう。

 車はすかさず館を飛び出し、庭先を滑るように駆け抜ける。

 表門を通り過ぎ、山道に出た時点で、ようやく停車した。


「あの、凱さ――」


「悪いが、愛美ちゃん。

 今は、俺の話を聞いてくれ!」


 言葉を遮り、少し焦った口調で、凱が話し出す。

 いつもの癖が出て、愛美は、つい押し黙ってしまう。

 ぐっと握った手の中で、先程拾った物が存在感を示している。


「今から、このままここを脱出する。

 愛美ちゃんにも、同行して欲しい」


「昨日のお話ですか?!

 ですから、私には――」


 そこまで話して、言葉が止まる。


「俺達の素性は、後で説明する。

 だが今は、ここから逃げ出すことが最優先だ」


「あのバケモノみたいなのは、何なのですか?!

 あのままでは、夢乃さんが――いいえ、他の先輩達は?!

 奥様は……」


「君には申し訳ないが、他の皆は連れて行けない」


 愛美の必死の言葉は、冷酷とも云える一言に切り捨てられる。

 凱がシートベルトを締めたのと同時に、再びエンジンが動き出した。


"千葉愛美様、シートベルトをお締めください"


 どこからともなく、女性の声が聞こえてくる。

 だがそれより、愛美は、先の凱の言葉に耳を疑い、そのまま硬直していた。


「大丈夫、そこは夢乃がなんとかする。

 だが今は、何より君の――って、おい、何を?!」


 愛美は、突然車のドアを開けると、館に向かって駆け出した。

 外は雨の降りが未だ激しく、叩きつけるような雨粒が車内にも飛び込んでくる。


「馬鹿、なんで開放した?!」


"マスターの指示で、愛美様をサブマスター登録しておりました為……"


「くそっ!!」


 凱も、大急ぎで雨の中へと飛び出した。

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