銀座
第35話 食後のお茶に
その夜は光にとって新しい日常となった、昭和二十年の冬の金曜日の何でもない夜だった、桜と誠一郎と一緒に夕食をとった後、キッチンの窓にかかった分厚いカーテンを眺めながら、光は紅茶を入れていた。一緒に居た桜が食器棚から三人分のカップとソーサーをダイニングに運んで行く後ろを、光はポットを持ってついていった。
ダイニングでは誠一郎が夕刊を読んでいた。桜が並べたティーカップに光が紅茶を入れていくと、桜は戸棚から四角いビスケット〜と言っても実際は誠一郎が貰ってきた海軍の大型カンパンだったのだが〜を数枚出して皿に置いた。
「ありがとう」
誠一郎は礼を言ってから、新聞を見たまま紅茶のカップを手に取ると、ふと気がついた様に続けた。
「光君、できればでいいのだが明日か明後日に用事をお願いして構わないだろうか?」
「もちろんです。明日は特に決まった予定はないので大丈夫です」
光が答えた。
桜はビスケットを咥えて二人を見ていた。
「そうか、助かる。銀座にある会社に資材の取り寄せを依頼していたのだが、人手が足りないらしくてね。今週中の配送が難しいと連絡があって、君に取りに行ってもらいたい。時間はいつでも構わない」
光はうなずいた。
「わかりました。そうしたら早めに、えーと、昼前に行きます」
誠一郎は後ろの棚からメモ用紙を取り出すと、銀座駅からの地図を書き始めた。桜も黙って覗き込んでいた。さっと書き終えた地図の四角いところを示すと、誠一郎は続けた。
「ここの三階にある、千代田電気商会という会社だ。小さなものだからカバンに入るだろう。私が事前に連絡入れておくから、受け取って持って帰ってくれればいい」
地図を見た光は確認する様に言った。
「この銀座駅って、J・・じゃなかった、省線の銀座駅じゃないですよね?」
「地下鉄の駅だね」
「地下鉄、あるんだ」
「どこの人よ。私毎日乗って通ってるんだから」
首を傾げながら一緒に地図を見ていた桜が笑った。
「私も行っていい?」
この時代、土曜も学校はあることを少し前に知っていた光は驚いて聞き返した。
「学校どうするの!?」
「明日ねー、工場休みだから。五年はお休み」
なぜか勝ち誇った表情で桜が宣言した。
「いいんですか?」
おずおずと光は誠一郎に聞いた。
「好きにしなさい」
誠一郎は全く気にする風もなく、テーブルに置いた新聞を手に取ると続きを読み始めた。
桜が誠一郎を見て続けた。
「そしたら昨日友達に聞いたんだけど、トリコローレやってるんだって。それで外食券でスパゲティ出してくれるらしいのね。お父さん、使っていい?」
「好きにしなさい」
桜の顔がパッと明るくなった。
「やったー!光、お弁当は作らなくていいよ!」
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