第28話 お金の価値

 女学生三人組がひたすら喋り続けた翌日、誰もいない菅野家で光が洗濯物を干していたお昼前、当たり前だが予告もなしの警戒警報が鳴り響いた。光は慌ててヘルメットと携帯ラジオを取りにダイニングに戻ると、また庭に出てから防空壕に駆け込んだ。

 携帯ラジオから流れる東部軍情報を聴きながら、光はボーッと考えていた。

「すっかり書生というか主夫が板について来ちゃって、まぁそういう意味ではスキルは役立ってるけど、やっぱりこのままじゃダメな気がする」

 しばらくして警戒警報が空襲警報に切り変わった。が、敵の爆撃機は一機だけで”帝都”に侵入と言う情報に、危険はなさそうだと判断した光は恐る恐る防空壕を出た。

「といって元の世界に帰れる方法も見当たらないんだよなぁ」

 

 光は家に入り、階段を上がって二階の窓を開けて空を見上げた。高層建築のない昭和二十年の浅草の空は広かった。

「いきなり居なくなって、みんな心配してるんだろうな」

 敵の爆撃機を探しながら光は家族や友人達のことを考えた。


「いやいや、みんなが心配するのは遥か未来なんだよ。だからそもそもまだみんな生まれてすらないよな、こんがらがって来るけど。むしろひいじいちゃんとか今いるはず、長野に。チャンスがあれば行ってみたい気もするけど」

 光は遥か高空を、飛行機雲を引きながらゆっくりと進んでいく銀色の機体を見つけた。

「むりだよなぁ」


 過ぎ去っていくB-29を見送ると、光は洗濯の続きをしに階段を降りていった。

「警報は毎日だけど、思ってたより爆弾って落ちてこないんだな」


 一人の昼食を作り置きのパンで簡単に済ませ、お茶を飲みながら光は考えた。

「そういえば・・・」

 今までは配給品を買いに近所の商店に行くくらいしか菅野家を出たことはなかった。桃子にはオールドファッションと言われたが今のこの書生スタイルなら、外を出歩いても高校の制服のブレザーよりは違和感がなさそうである。

 せっかくなので浅草の街に出てみようと光は思った。昭和二十年の浅草だ。戸締まりをしてから家を出た。


 家を出た光は浅草寺に行くことにした。警官から二度も逃亡したことを思い出し、なんとなく大通りを行くのは気が引けた。千束町を出ると、馬道通りは避けることにして一本西の道へ行く。街並みは相変わらず背の低い木造二階建ての小さな家が続いていた、しかも全体的に黒っぽく、高層建築は全くないので空が広く、陽が傾きかかっているとはいえ、冬の明るい空は眩しかった。

 途中で小学校を発見し、富士小学校だ!と光は思った。しかし看板を見ると「国民学校」になっている。何十年前なんだろう、現代史をもっと勉強しておくんだったと光は後悔した。


 しばらくしてたどりついた浅草寺は、光が居た時代とあまり変わらず、拍子抜けすることになった。ただし、そこにいる人たちは全然違っていた。観光客がいない。当たり前だが日本人ばかりだった。そして着ている服がことごとく暗く、浅草の華やかさは微塵もなかった。


 その日の夕食後、スマホの使い方について聞きたいことがあると言われ、光は誠一郎の書斎に呼ばれた。いつの間にか、書斎には手作りと思われる巨大な充電機とケーブルが置かれていた。設定画面の操作を説明した後に、光は浅草寺の話をした。誠一郎は少しだけ考えた後に言った。

「寺社というものは変わらないところに価値があるわけだから、ある意味当然かもしれないね。おそらく百年前もそう変わらなかったはずだ、変わるものといえば物の値段と使ってる金の種類くらいか」

 そう言ってふと思い出したように立ち上がった。

「ああ、そうだった。すまなかった」

 誠一郎はハンガーにかけた上着の懐から財布を取り出し開くと、紙幣をいくつか抜いて光に渡した。

「え?」

「これは小遣いだ。ちょっとしたものを買うには十分だろう。桜にも毎月同じ額だけ渡してある。もっとも、最近の彼女は勤労動員の給料で何倍ももらってるらしいがね」

「え、え、そんなつもりじゃなかったんです」

「気にせずとっておきたまえ、君が家事をしてくれているおかげでとても助かっているからね。それにこのスマホも私の研究に非常に役立っているし、これからもよろしく頼むよ」

「あ、ありがとうございます」

 光はなぜか照れ臭い感じがした。

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