新しい日常
第26話 書生と桜の親友と
大変なことになった浦和へのお使いから数日後、浅草の菅野家には美沙子が家事にやって来ていた。予定が早まった雪も浦和から戻り、学校が臨時休校になった桜も朝から居たため、家の中は少し賑やかになっていた。
午前中は溜まった家事を全員で分担して早々に終わらせ、少しだけ手間をかけた昼食を全員で頂いた後、ダイニングテーブルを囲んだ話題は自然と先週の警官の件になった。
「自分も確かに怪しいといえば怪しいんですが、なぜか警官に止められるんですよね。今までそんなことなかったのに」
光が嘆くと、桜は湯呑みを置いて答えた。
「黙ってれば普通に中学生に見えるけどね」
「あの背広が目立つのでしょう、ちょっと待っていてくださいね」
雪はそう言ってダイニングを出ていった。しばらくして戻ってきた雪の手には綺麗に畳まれた白いスタンドカラーのシャツとグレーの袴、一番上には学生帽が置かれていた。
「これを着てみてくださいな。誠一郎さんが学生の頃に着ていたものですけれど。学生服があればよかったのですが、あれは人に譲ってしまって」
雪は服を光に手渡した。
「ありがとうございます。助かります」
「シャツは純綿ですから、着心地はいいと思いますよ」
光はどうしようか一瞬考えた後、すぐに自室に入って着替えることにした。袴は剣道の授業できていたので迷わずにすんだ。
「これでいいでしょうか」
ダイニングに戻った光は、女三人の注目を浴び若干の気恥ずかしさを感じながら尋ねた。
「お似合いですよ、丈もちょうどよさそうですね」
雪はにっこりと笑った。
「ほほー、こうしてみると君は以外と美男子だね光くん」
美佐子が目を丸くして答える。
「大正浪漫って感じで、まあまあね」
桜もまんざらではない感じで答えた。雪が立ち上がって光の帽子を取った。
「帽子の校章は一高のものですから、外しておきますね。それとも・・・」
少し首を傾げて言う。
「今風の戦闘帽のほうがいいかしら?」
「い、いえこれがいいです!ありがとうございます!」
昼過ぎには家事もほとんど終わり、あとは夕食の準備だが、これは夕方から始めればよかった。しばらくすると、食糧のお裾分けを持って美沙子は千葉の自宅に帰って行った。雪は近所で集会があるからと、白い割烹着を着て出かけ、桜が雑誌を持って二階の自室にこもると、光は特にやることがなくなった。ダイニングのテーブルに座り、自分でお茶を淹れ、この世界での事実上唯一の娯楽であるラジオのスイッチを入れようとすると、玄関の呼び鈴が鳴った。
「今行きまーす!」
光は立ち上がり、玄関まで聞こえるはずもなかったが元気よく返事をして、玄関まで走り、ドアを開けた。
光の目の前には、紺色のセーラー服にモンペを履いた二人の女学生が唖然とした表情で立っていた。
「だ、誰!?」
背の低い方の、二つ結びのお下げの少女は大きな目をさらに見開き、驚いた表情で光に尋ねた。
「あの、えーとですね」
それは家の人間のセリフだろう、と光は思ったが、以前にも同じことを聞かれたことも思い出した。
「親戚の人だっけ?」
背の高い方の、髪を後ろで三つ編みにした少女が、切長の目を怪訝そうに細めながら尋ねた。
「あー言うの忘れてたわ。早水光っていうの。先週からうちに下宿してる書生さん」
振り返ると、桜が面倒臭そうに階段を降りてくるところだった。
「ま、とりあえず上がって。光、私も言うの忘れてたごめん。今日二人遊びにくる約束してたんだったよ」
桜は光の後ろから、玄関に立つ二人に言った。
「ほほー」
「お邪魔しまーす」
陽気な声で二人は光を押しのけるようにして靴を脱いで上がり、桜に続いて家の中に入って行った。光も慌ててついていく。
「応接間掃除はしたけど片付けてないよ」
「いいよ、居間で。いつものことだから」
「勝手知ったる他人の我が家ってね」
お下げの少女が笑いながら言った。
「そうね」
背の高い方も同調する。
ダイニングテーブルに座っておしゃべりを始めた三人を横目に、光は自分用に入れていたお茶とは別に三人分のお茶を入れ、先日美沙子と作っておいた煎餅を戸棚から皿に入れて出した。
「どうぞ」
「ありがとうございます、書生さんてそんなことまでしてくれるんですね」
三つ編みの背の高い少女が驚いた表情で光を見た。光は頭をかいて苦笑いする。
「あ、そうそう。光は私たちと同い年で、父の知り合いで北海道から来てるの」
桜が例の設定を説明した。
「へー、よろしくね光ちゃん。私、
二つお下げの少女が煎餅を咥えながら笑顔で言った。いきなり光はちゃん付けになった。
「
背の高い、ちょっとキツめの顔立ちの少女も軽く会釈して自己紹介する。
「光、桃と紀依。私の女学校のクラスメイトで親友。よろしくね」
桜が両手を開いて改めて二人を紹介した。
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