第21話 ”中学生”

 光は麦踏みを続け、隣の畝を同じようにこちら側にやってくる深澤に近づいていった。すれ違いざま、深澤は光に微笑を向け、視線を合わせてきた。光は思わず目を逸らしてしまった。そのまま下を向いて一列を踏み終わると、そこでその畑の麦踏みは終わりだった。

「次はあっちだ」

 深澤は隣の畑を指さした。雲ひとつない快晴の冬の空に太陽は高く上り、朝方とはうってかわって暖かな日差しで広い畑を照らしていた。たいした作業ではないとはいえ、ひたすら慣れない麦踏みを続けた光は少し汗ばんできていた。ブレザーの袖で額を拭い、深澤に促されて隣のその畑に移ろうとしたとき、桜がやってきた。


「おひるごはんでーす」

 少し離れたところで、両手を口の脇に広げた桜の澄んだ声が響きわたった。

「用意ができたので、戻ってくださーい」

 遠くにいた学生達に向かい、桜は声を上げた。

 光は左腕を持ち上げて時刻を確認した。デジタルの腕時計の液晶画面はちょうど十二時を表示していた。ふと視線に気が付いて横を見ると。深澤が怪訝そうに腕を見ていた。

「珍しい時計だね」

「そ、そうかな、貰い物なんだけど」

 光は慌ててウレタンベルトの黒い時計を袖の中に隠した。どう考えても今のこの時代にデジタルの時計はないはずだった。スマホより目立たないとはいえ、見えるように持ち歩くのは考えものだと思った。

「腹減ったー!」

 近くの畑で同じように麦踏みをしていた、良くいえば体格の良い、悪くいうと太った学生の一人が、学生帽をうちわのように煽ぎながら歩いてきた。別の畑に散っていた他の学生も数人で談笑しながらやってくる。

「菅野さん、お昼って何?」

 帽子を脱いだ学生が、近くに来ていた桜に聞いた。

「ええとお握りと豚汁と、お新香です」

「ギンシャリで?」

「それは、そうです」

 桜の顔はなぜか引きつっているように見えた。一方、集まってきた周囲の学生達の顔が綻んだ。

「やった!」

「役得役得!」

「桜さん、この前話した本を持ってきているよ」

 深澤が桜に話しかけた。

「あ、ありがとう。見ておきますね・・・あ、守田さんのところにも言ってこないと!」

 不自然な笑顔のまま、桜はそそくさと立ち去った。


 深澤と光の周囲に集まった中学生達は、隣家の畑に向かう桜を見送ると家に向かって歩きだした。

 学生の一人が光を見て言った。

「深澤、そちらの人は?」

「あぁ、速水光君。桜さんの家で書生をしているそうだ。我々と同い年だ」

「そうか、書生とは最近珍しいが、菅野さんのお宅にいるということは優秀なのだろうな。坂田です、よろしく」

 坂田と名乗ったメガネの学生は真面目な顔で頭を下げた。他の数人も次々と名を名乗って頭を下げる。

「は、速水です、よろしくお願いします」

 光はとりあえず挨拶するのが精一杯だった。

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