第19話 木炭バス

 二人の乗った電車は、しばらくのあいだ上野駅に停車していた。桜はバックパックから小さな雑誌を取り出して読み始めたが、隣に座った光は周囲の風景を眺めるしかなかった。車窓から見える駅のホームは光の記憶にある上野駅と構成がほとんど同じだったからか、それほどの違和感は感じなかった。ただ、ホームを行き交う人々の服装がカーキ色の国民服や上下のモンペばかりで、なにより光が奇妙に思ったのはほとんどの人がヘルメットか防空頭巾を持っていることだった。光は膝の上に置いたバックパックの上に縛り付けたヘルメットを見て、家を出るときに目立ちすぎるんじゃないかと考えたのだが、それは杞憂だった。


「京浜線、大宮行き、発車しまーす!」

 若い女性の駅員の声とともに笛が鳴り自動ドアが閉まると、電車はゆっくりと動きだした。

 上野を出発したとき、車内は座席に数人が座っている程度の混み具合だったが、途中の駅の鶯谷、日暮里と停車するに従って徐々に人が乗ってきた。どう考えても暖房がついておらず、隙間風が吹き込む車内は猛烈に寒かったが、それも徐々に暖かくなってきた。電車が田端駅まで来ると、空きの座席はなくなり、吊革につかまる人も増えだした。光や桜と同じように、大きなバックパックを背負った人も多く、ボロボロの座席の上の網棚は荷物で埋まっていく。

 しばらくの間、電車は田端で停車していたが、その間に向かい側のホームに黒い蒸気機関車が煙を吐きながら大きな音とともに入線してきた。

 光の視線に気がついた桜が、雑誌を閉じて言った。

「東北線はまだ汽車のまま。京浜線は大宮まで電車」

「そうなんだ」


 電車は田端駅を出発して駅をいくつか通過した後、赤羽駅でまた停車した。

 扉が開いたままだったから、風が吹き込み寒かったが、桜の頭がゆらゆらと動きだした。光がちらっと横を見ると、桜は目を閉じて眠ってるようだった。五分くらい停車していると桜は完全に熟睡し、彼女の頭が光の方に寄りかかって来た。光も少し前の駅から眠くなってきてはいたのだが、逆に一気に目が覚めた。

 電車は赤羽駅を数分後に発車したが、荒川にかかる長い橋にさしかかる頃には桜はすっかり熟睡し、光の肩に持たれかかってきていた。

 光は硬直したまま、正面を見据え、起こそうかどうしようか迷い続けた。が、次の川口駅に停車しドアが開くと桜はパッと目を覚ました。

「ご、ごめん!」

 状況を察した桜はあからさまに狼狽していた。


 何となく気まずい沈黙の中、電車は程なくして目的地の浦和駅に到着した。

 二人は電車を降り、ホームの階段を下ると、桜はそのまま西口に向かい駅を出た。駅前はちょっとした広場になっており、向こう正面には書店や雑貨屋など、平屋の瓦葺きの店舗がいくつか並んでいた。その前にはバス停があり、何台かのボンネット型のバスが停車して、後ろに背負った釜から煙を吐き出している。勝手知ったる様子で歩いていく桜と、それについていくしかない光は広場を横断し、1台のバスに乗り込んだ。お昼少し前のバスには数人の親子連れや老人が乗っているだけだったが、だんだんと日が昇ってきたせいか暖かかった。

 しばらくして発車したバスは駅前を離れて商店街の中を進んでいくが、右に曲がって線路の下を渡りそこから少し離れると、いきなり冬の田園風景になった。


 二十分ほど田園風景や雑木林の中を走っただろうか、二人は何もないバス停で若い女性の車掌に料金を払うと、バスを降りた。桜は生垣の中の小道を歩いて行く。

「こっち」

 光はバスを降りると周りを見渡していたが、桜の声に慌ててついていく。少し歩くと、生垣の向こうに数軒の平屋の茅葺の家が現れた。

「こんにちわー!」

 桜はその中の一軒に玄関を開けて入って行った。光もおずおずと後に続いた。すぐに家の中から割烹着を着た中年の女性が出てきた。

「あらあら桜ちゃん。おじいちゃんと雪さんは畑に・・・どちら様?」

 女性は光を見て明らかに驚いていた。

「あー、先週からお父さんの遠縁でうちに来てる書生の早水光君。今日お父さん来れなくなっちゃったので荷物持ちなの」

「よ、よろしくお願いします!」

 光はバックパックを背負ったまま慌てて頭を下げた。

「まぁまぁ驚いたわね。こちらこそ、桜の叔母の清水です。二人とも疲れたでしょ、早く上がって」

 書生という説明は、納得してもらえたようだった。

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