お使い

第18話 省線電車に乗って

 空襲のあった翌日、美沙子はまた菅野家にやってきた。寝不足の光は何度か失敗をやらかしてハタキの柄で尻を思いっきり叩かれたが、なんとか家事一切をこなし、夕食も全て準備できた。早めに終われたおかげか、美沙子が帰ったあと三十分ほど昼寝もできた。


 三人で食卓を囲んだ夕食の時、誠一郎が桜に言った。

「明日なんだが、申し訳ないが横須賀まで行くことになった」

「え、浦和にお米もらいに行く予定だったでしょ?お休みにして」

「海軍さんの急な用事でね。どうしても断れなかった」

「うーん」

 ちらっと、誠一郎が光を見た。

「・・・行きます」

 桜が目を細めて疑惑の視線を向けた。

「大丈夫なの?お米とか、重いよ?」

「大丈夫、多分」

「すまないがよろしく頼む」

 光は浦和ってどこですか、と聞こうとしたが、桜に馬鹿にされそうなので、やめた。

 多分レッズのある浦和だろう。さいたま市だと思った。


 次の日、朝食の後、桜は登山用と思われる横長の帆布で出来たリュックサックを二つ出して来た。一つを渡された光が担いでみると、桜はストラップの長さを調整してくれた。

「大丈夫そうね」

 その後、桜は自室に戻ると着替えて出て来た。セーラー服の上からグレーのセーターを重ね、下はモンペである。何が入っているかわからなかったが小さなバッグと、防空頭巾をそれぞれたすき掛けにしていた。

 光はいつもの学校の制服を着た。今のところ外を歩ける服はこれしかなかった。それと、おとといの夜に誠一郎にもらったヘルメットもリュックサックに括り付けて背負わされた。


 家を出て桜についてしばらく歩くと、光の記憶には全くない路面電車の停車場「千束町」にたどり着いた。数分待って緑とベージュのツートンカラーの路面電車が現れると、桜は女性車掌に運賃十銭を二人分渡して乗った。

 座席は満員だった。つり革に掴まる桜と光は、モーターの音とともに滑り出す市電に揺られた。光はいつもの癖でポケットからスマホを取り出しそうになったが、どうせオフラインでは使い道がないと思い、誠一郎に貸したままだった。

 ふと思いついたように桜が口を開いた。

「君の分のお金渡しておくわ。夫婦でもないのに女が払うなんておかしいでしょ」

「そうなの?」

「そうよ」

 桜はたすき掛けにした小さなバッグからガマ口を出すと、紙幣と硬貨を数枚とりだし光に渡した。光はもらった金をまじまじと見たが、どれが幾らか、どのくらいの価値があるのか、さっぱりわからなかった。仕方なくそのままポケットの財布に入れた。


 路面電車が「上野駅南口」に着くと、乗りかえのために二人は降りた。

 かすかに光の記憶と一致する上野駅南口を通って駅舎に入ると、切符の買い方がわからないと光は思った。財布の中にはSUICAが入っていたが、どう考えても使えないだろう。

 桜はスタスタと歩くと窓口に並び、駅員に告げて浦和までの切符を買った。桜の後ろに並んだ光も、見よう見まねで買う。もらった切符を改札の駅員に渡し、ハサミを入れてもらうのは初めての経験であった。


 改札を通り階段を上っていくと、ほぼ同時に茶色の電車がホームに入ってきた。ばしゅっ!と音を立てて扉が開く。

「じ、自動ドアだ!」

「当たり前でしょ。いつの時代よ!?」

 光は納得いかない顔で答えた。

「ずいぶん昔の電車だし」

「どこが昔よ、最近の電車でしょこれは」

 確かにそうだと光は思った。レトロ電車だが、今は新しいのだ。

 桜に促され、光は電車に入った。人はまばらに座っていた。ガラガラである。

「え、なんで?やった座れるラッキー!」

 桜は小躍りして喜ぶとロングシートの真ん中に座った。光も遠慮がちに桜の横に座った。

「う」

 ふと見るとシートの布はボロボロで、ところどころ切られて中のものが露出していた。光の驚いた表情に気がついた桜が言った。

「省線は去年から一気に酷くなってるのよね、まあこの電車は・・・」

 ぐるっと見渡す。

「窓が割れてないだけマシね」

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