第73爆撃航空団 第520爆撃群

第17話 サイパン島、イスレー飛行場

 日本の南、二千数百キロメートルの太平洋上に浮かぶサイパン島は、もともと日本の委任統治領であり、日米開戦後は日本の絶対国防圏の最前線として定められ守りが固められていた。しかしおよそ半年前、付近の洋上では日米両海軍の雌雄を決するマリアナ沖海戦と、上陸したアメリカ軍とそれを迎え撃つ日本軍との間で激しい陸上戦が繰り広げられ、いずれもアメリカ軍の勝利で終わっていた。

 日本海軍の空母機動部隊は事実上ここで壊滅し、陸上の戦いもおよそ一ヶ月で日本軍が玉砕、つまり全滅した。だが組織的な抵抗は終わっていたものの、わずかに残った日本軍将兵は島の各所に隠れ、今も絶望的なゲリラ戦を続けていた。

 島内の滑走路の整備はアメリカ軍の占領直後から行われ、いまや巨大な航空基地であり、サイパン島のすぐ南にあるテニアン島、さらに南にあるグアム島とともに日本空襲を行うB-29の一大拠点となっていた。


 そのサイパン島にあるイスリー飛行場の早朝、クリストファー・リプトンは私物をダッフルバッグにまとめていた。そして、それまで共に戦って来たB-29「Fスクエア17」の乗員達に別れを告げて、新しく割り当てられた兵舎〜とは言っても二つ隣の宿舎だったが〜に向かった。

 滑走路では深夜の爆撃行から帰還したB-29が爆音を響かせて着陸を始めた所だった。


「クリストファー・リプトンだ」

 リプトンは現れた「Fスクエア31」のパイロット、ストレイヤー少尉に返礼した。

「ポール・ストレイヤーです。他の士官三人は皆ビーチに行ってます。下士官兵は向こうの宿舎ですが、今は多分食堂だと思います」

「あとで会えるだろう。ところでグレン中尉は気の毒だった」

 もともと第520爆撃群の補充機だったFスクエア31の機長はフランク・グレン中尉だった。グレン中尉はサイパンに到着翌日に洞窟探検に行き、潜んでいた日本兵に狙撃されて顔面に重傷を負った。そしてそのままハワイの病院に送られることになったのだ。

 爆撃群本部としては代わりの機長を請求して待つこともできた。が、検討の末、すぐに到着するパイロットをFスクエア17に割り当て、代わりに爆撃群のサイパン到着以来ずっと飛行していたリプトンを特例でFスクエア31の機長にしたのだった。

 ストレイヤーは肩をすくめた。

「軍医は幸運だったと言ってましたが、あの顔を見たら・・・」

「私も挨拶には行った」

 リプトンも苦い顔をする。顔全体を包帯でぐるぐる巻きにされ、片目だけを出したグレン中尉の顔を思い出した。

「すこし変わった方でしたから、こんなこと言うのも良くないとは思うんですが、リプトン中尉に来ていただいて、正直にいうとホッとしています」

「ありがとう。ところで機体を見たいんだが」

「案内します」

 ストレイヤーは正面に停めてあるジープに向けて歩き出した。


 リプトンとストレイヤーは誘導路に接続する駐機場にジープで移動し、彼らの乗機であるB-29の各部を主翼の四つのエンジンを始め、内部もコクピットから尾部銃座まで点検して回った。Fスクエア31はほとんど新品で申し分のないコンディションだった。最後に前輪の格納庫にある搭乗口から機体を降り、機首に回ってノーズアートを二人で眺めた。

 Fスクエア31の機首には赤いメガネをかけた中年女の裸体が描かれていた。


「Harsh Mistress(過酷な女主人)か・・・」

 リプトンは微妙な顔でつぶやいた。

「グレン中尉の好みです。由来は教えてもらえませんでしたが、日本人には教育が必要だとかなんとか。ボールドウィンなんかは中学校の女教師を思い出すって渋い顔してましたけど」

 ストレイヤーは肩をすくめて神妙な顔で答える。

「これはこれで良いかもしれないな。それに題材はともかく絵は悪くない」

 リプトンが答えると、ストレイヤーはやや驚いた顔で言った。

「リプトン中尉の好きに変えて良いですよ。ただ”美女”も描き換えるなら誰か絵心のある人間を探す必要がありますが、我々は来たばかりなので。誰かご存知ですか?」

「心当たりはあるが、ちょっと考えたいな。あとで皆に相談させてもらうよ」


 結局、女主人の顔は描き換えるものの、赤いメガネは外して全体を少し若作りにし、若干の服を付け足すだけにした。顔なじみの元画家の整備員にはリプトンがウィスキー二本で支払った。

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