第15話 一日の終わり

 夕食の後は風呂だった。薪での準備は桜がやってくれたが、もちろん光は手順を全部メモさせられた。もともとアメリカ式のバスタブが設置されていたのだが、菅野家が引っ越してきた際に日本式の風呂に交換されたらしい。日中戦争(桜は支那事変しなじへんと言ったが)が勃発してからガスの使用制限が始まっており、薪のものしか設置できなかったのだ。

 どう言う意図か分からなかったが、光が先に入らせてもらったあと

「入って来たら殺す」

 と割と真面目に脅してから桜が入って行った。

 あとは自分がやるからいいと桜に言われた光は、歯を磨いた後は特にすることもなく、自室に戻って寝るしかなかった。着替えて布団に入ると今日もまた身も心も疲れ果てたと思った。風呂に入ってリラックスできたこともあってか、昨日に引き続き数秒後に落ちた。心地よい眠りではあった。


 数時間後、サイレンの音で光は叩き起こされた。ウーッと言う強烈な連続音が深夜の下町に延々と響き渡っていた。

 叩き起こされて目が覚めたものの、光はどうしていいかわからずオロオロしていていた。そこにドタドタと廊下を走ってくる足音が聞こえ、部屋の扉がバンと乱暴に開けられ、茶色のヘルメットを被った桜が現れた。

「こらー!起きろねぼすけー!」

「な、何!?」

「警戒警報!空襲だよ、く・う・しゅ・う!」

「空襲!?」

 光は驚愕した。戦争中なのはわかっていたのだが、空襲で深夜に叩き起こされるところまでは想像していなかった。

「死にたかったら残っててもいいのよ。爆弾が落ちたら向こう三軒両隣もバラバラなんだから」

 目を細めて、桜は冷静に言い放った。

「でもどうすれば・・・」

「防空壕に入るのよ、庭にあるから」

 桜が言った。

 いつの間にか帰って来たらしい誠一郎が、ちらっと部屋を覗くとお椀型のヘルメットを光に差し出した。

「コレを貰ってきたから被りたまえ、英軍の鹵獲ろかく品らしいが、鉄の質はなかなかいいものだ」

「え、えいぐん!?」

「イギリス軍!」

 さらに冷たく言い放つ桜

「え、えーと、アメリカと戦争してるんじゃなくてですか?」

 光の問いに、笑いながら誠一郎は答えた。

「今や世界中が我が国の敵だ。唯一の友邦はドイツだが、アテにはならないね」


 庭に掘られた防空壕は壁がコンクリート製だったが、大人が中腰にならないと入れない程度の小さなもので、天井には薄い板が被せてあるだけだった。爆弾が直撃したら助からないんじゃないかと光は思った。三人で入ってしばらくすると、警戒警報は断続するサイレンの音とともに空襲警報に切り替わり、ドン、ドンと腹に響く爆音が鳴り始めた。

「あれは爆弾ではなく、隅田公園の高射砲だね、敵はもう上にいる」

 誠一郎は上を向いて説明した。光は寒さに凍えてきた。一月の深夜の空気は刺すように冷たく、壁に沿って置かれた粗末なベンチは木製だったが、コンクリート製の防空壕は底冷えしてくるのだった。

「さ、寒い・・・」

 桜は呆れた声で言い放った。

「何で毛布持ってこなかったの?」

 光は寝巻き一枚にヘルメットだけだったが、よくよく見ると誠一郎はコートを、桜はセーターの上に綿入りの半纏を羽織り、毛布を被っていた。

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