第9話 小さな洋館

 頷いた男に促され、光は暗い夜道を歩き始めた。

「私は菅野誠一郎かんの せいいちろう、本郷の大学で電気工学を教えている。君は?」

早水光はやみ ひかるです。高校二年生です」

「失礼かもしれないが、高校の二年生には見えないね」

 光は力なく笑った。

「はい、それ朝も言われました。そんなに子供みたいでしょうか」

「そういう意味ではないが、何かが違うのかもしれない、あとで詳しく聞こう」

 はたと思い出し、光は聞いた。

「今は何年何月何日ですか?」

 小学生みたいな聞き方だ、と光は思ったが他に聞きようがないのも事実だった。

「昭和二十年一月九日だ。西暦でいうと1945年、だね」

「1945年・・・」

 光はまたしても頭がクラクラして来た。


「ここだ」

 数分も歩くと、暗闇の中に小さいが瀟洒な洋館が忽然と現れた。白い壁が、明らかに他のクラシカルな日本家屋の家々からは浮いてた。

「もともとアメリカ人の友人の家でね、彼が帰国した五年前に譲ってもらい、それ以来住んでいる」

 誠一郎が小さな門扉を開け、光を連れて玄関の扉を開けた。玄関も明かりは全くついておらず、真っ暗だった。誠一郎は扉を閉じ、壁のスイッチをずらして黒いカバーの掛かった電気をつけると、少し驚いた顔の中年女性が出迎えた。年は三十代半ばだろうか、若い頃は相当な美人で通ったであろう、品のある女性だった。

 誠一郎はコートを脱ぎ、女性に手渡した。

「早水光君だ。事前に話しておかなくてすまない。今日からうちで世話することになった」

 女性はコートを受け取った。

「まぁ、それは急な話ですね」

「詳しい事情は後で話をするから、空いている方の女中部屋を準備してくれないか。あぁ、その前に何か食事を」

 誠一郎は光を向いて紹介する。

「光君、妻の雪だ」

 女性はにっこりと笑う。

菅野雪かんの ゆきです。よろしくお願いしますね」

「よ、よろしくお願いします、あ、あの・・・水をいただけませんか?」

 光は腹も減っていたが、それよりもなによりも、喉がカラカラだった。


 ダイニングに案内された光は、ガラス製のピッチャーになみなみと注がれた水とコップをもらい、たっぷり一リットルは飲み干した。しばらくして「こんなものしかなくて申し訳ないのですが・・・」と言って出されたのは、茶漬けだった。光の知っているインスタントのお茶漬けとは違い、焼き魚の乗った麦飯に出汁をかけたようなものだったが、光は丼一杯を一瞬で平らげた。美味かった。一日ぶりの、しかも暖かい食事は芯から冷え切った体にしみわたった。

 雪はまたしても驚いたような表情で言った。

「多めに入れたつもりなのですが、もう少しならありますよ」

「く、ください」

 光は目を見開いて返事をする。

「朝から何も食べていなかったそうだ」

 誠一郎が笑いながら言った。


「ところで光君、あのスマホを見せてもらえないか?」

 雪が空いた丼を盆に載せ、キッチンに戻って行く。

「はい」

 光はポケットを探り、スマートフォンを取り出すとパスコードを伝えて誠一郎に渡した。

「今晩少し借りてもいいだろうか?もちろん明日の朝には返す」

「はい。ただ」

「ただ?」

「メッセンジャーと連絡先は見ないでもらえせんか?見られて困るわけじゃないんですけど、その、プライベートなことなので、ちょっと恥ずかしいので」

 誠一郎はまた笑って言った。

「わかった、約束しよう。これと、これだろうか?」

 誠一郎は受け取ったスマホのロックを解除し、画面のアイコンを指差した。

「え、は、はい」

 なんの説明もなしにスマホを操作する誠一郎に、今度は光が驚く番だった。

「この画面は圧力を検知しているのだろうか」

「すみません、俺知らないんです」

 光はスマホがどういう原理で動いているか、今まで考えたこともなかったが、なぜか申し訳ない気持ちになった。

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