第3話 空襲警報
昭和二十年一月九日の東京、浅草の冬の空にサイレンの音が鳴り響いた。数秒間連続で続くその音は、間も無く爆弾が降り注ぐことを知らせる空襲警報のものだった。二ヶ月ほど前から始まった、関東地方も襲うアメリカ軍の空襲は次第に頻度を増してきていた。黒い瓦と木の壁でできた小さな長屋が延々と続く下町浅草の一角に、周囲にそぐわない風体の青い屋根に白い壁の洋館が立っている。その一軒家のダイニングでは、冬物の紺のセーラー服を着たショートヘアの少女、
朝の音楽、ピアノ独奏を中断して発せられた、短いブザー音の後に続き、男性アナウンサーのざらついた声がスピーカーから流れ出た。
「空襲警報、空襲警報。東部軍情報、七時一〇分、富山方面ニ飛来シタ敵爆撃機一機ガ進路ヲ変エ、帝都ニ向ケ侵攻中・・・」
「お父さん早く!」
桜は振り返って叫んだ。急いで廊下にでると、壁にかけてあった茶色の鉄製のヘルメットを二つ取り、またダイニングに戻る。
「お父さん」と呼ばれた、中年の男、三つ揃いのグレーのスーツを着た菅野誠一郎は、家の二階の階段を小走りで降りると、そのままダイニングに入ってきた。左手にはウールのコートを持っている。短くそろえてはいるが当節としては長めの髪に、丸メガネをかけた知的な風貌の男だった。
「どんな様子だい?」
誠一郎は鳴り響くサイレンとは対照的な落ち着いた声で尋ねると、手に持ったコートを羽織った。
「爆撃機は一機だけ。もうすぐ東京に来るみたい」
桜が答えた。
「それならそう危険はないと思うが、急ごうか。私は裏の防火水槽を見てから行くから、桜は先に防空壕に入っていなさい」
そういうと誠一郎はダイニングを出て行った。
ダイニングに残った桜は隣のキッチンに入ると、シンクの隣にある戸棚の戸を開け、中にあった丸いパンをいくつか紙袋に入れると、肩から下げた帆布製の白いカバンに納めた。そこで桜ははたと気がつき、テーブルの上に置いたヘルメットを持ち、廊下に飛び出す。
「鉄兜!」
桜は廊下を走って玄関までかけて行き、黒いストラップの革靴を引っ掛けると、玄関のドアをあけ、家の外に出た。
「おっと」
桜はヘルメットを誠一郎に手渡した。冬の早朝、凍りつくような寒さの浅草の街中では、鳴り止んだサイレンが再び鳴り響くところだった。空襲警報のサイレンは数秒間の停止の後、断続的に続くのだ。
「せっかくの授業の日なのにー!」
右手を握りしめ、恨めしそうな目で桜は西の空を睨みつけた。
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