20 負け犬の悪あがき
遠くからカサカサ、わさわさと鳥肌の立つ音が近づいてくる。
見えてきたのは、ジャイアントスパイダーの群れだ。百匹はいるだろう。
僕を睨みつけていたセルパンがようやくジャイアントスパイダーの群れに気づき、僕を押しのけて群れの進行方向を遮るように立った。
「どけラウト! あれは俺が倒す!」
「わかった。じゃあ、頑張れ」
セルパンがとてもやる気になっているので、任せておこう。
「わかってるのか!? 俺が戦うんだぞ!」
「ほら来るぞ。行けよ」
僕は剣と盾を構えるのをやめて、セルパンの後ろへ下がった。
もう僕はセルパンと一緒のパーティではない。仲間じゃない。
ひとりの冒険者が、魔物を倒すと言い張っているのだ。邪魔するべきじゃない。
そういえば冒険者資格は剥奪されてたっけ。まぁいいや。
僕は剣と盾を持った手をぶらりと下げ、手近な木に背中を預けて、見物を決め込む姿勢を見せた。
セルパンは僕の方をチラチラ見ながら、ジャイアントスパイダーの群れに突っ込んでいった。相変わらず何の計算も作戦もない、行き当たりばったりなやり方だ。
ジャイアントスパイダーは名前も姿も強そうな大型の蜘蛛の魔物だが、難易度Hの雑魚だ。ちょっと数が多いけれど、レベル四十五の人間ならばひとりでなんとかできるだろう。
一匹目、二匹目。適当に剣を振るだけで、ジャイアントスパイダーの身体や足が切断される。
三匹目に対して振りかざした剣を持つ手に、別のジャイアントスパイダーの足が絡みついた。思い切り振り払うと呆気なく剥がれたが、次々にジャイアントスパイダーに集られ、蜘蛛嫌いが見たら発狂間違いなしの光景が出来上がった。
討伐数二匹かぁ。想像のかなり上を行く酷さだ。
セルパンは剣や手足を滅茶苦茶にふりまわし、どうにか蜘蛛地獄から脱出した。そして……脇目も振らずに村へ向かって走り出した。
……逃げるの早すぎない?
あと、逃げるなら逃げる方向というものがある。村へ向かうなんて最悪手だ。
ジャイアントスパイダー達が僕を無視してセルパンを追おうとしたので、僕は剣をしっかり構えて、蜘蛛共に向かって振りかぶった。
「手伝ってくれ、シルフ」
しゃらりとした長毛を靡かせた緑色の猫が僕の肩に乗り、剣の振りに合わせて疾風を放つ。
僕の斬撃と疾風が合わさって、残りのジャイアントスパイダーを一気に薙ぎ払った。
斬撃が消え、風が収まると、後には魔物の核が散らばった。
「集めてくれ、スプリガン」
空間の番人はモコモコした灰色の毛をふるふると揺らしながら現れ、すうっと息を吸い込むような動作をした。
すると魔物の核の下の地面に虚ろな穴が開き、魔物の核は全て穴へと落ちた。
「ラウト、無事?」
丁度よくアイリが来てくれた。
「うん。すぐに次が来るよ」
「ええ」
次はリザードマンの群れだ。
難易度Fが五十匹。これも普通のレベル四十五ならひとりで倒せなくはない。
「アイリ下がってて」
再び剣を構え、リザードマンの群れに飛び込んだ。剣を振る度に必ずリザードマンに当てること、五十回。全て一撃で倒しきった。
「ラウトー!」
今度は兄達がやってきた。二人とも助太刀に来たのかと思いきや、フィドラの方は帯剣していない。
「セルパンはそこで捕まえたぞ」
フィドラは手短に、牢にいるはずのセルパンが村のはずれで何度か目撃されていたこと、セルパンの持ち物に魔道具のかけらがあったこと等を教えてくれた。
救えないなぁ、あいつ。
「ここで俺たちに手伝えることはあるか?」
「大丈夫。最後の魔物がもうじき来るから、兄上達は離れて」
「わかった。気をつけてな」
フィドラは村へ向かったが、ラバスは村の東へ向かった。防護魔法の魔道具は村の四方に設置してあるから、確認しに行ったのだろう。
最後の魔物は遠くからズシン、ズシンと地響きを鳴らしながら現れた。
巨大な体躯の、アトラスという魔物だ。
「あ、アトラス!?」
アイリはその場で腰を抜かして座り込んでしまった。
「アイリの周囲に防護結界を張ってくれ、ドモヴォーイ」
黒に白斑のあるつやつやした毛並みの精霊が現れ、アイリの周りをぐるりと回るとカチンと音がして半透明の膜が張られた。
「そこにいて」
「で、でもアトラスって難易度A以上じゃ……」
「知ってる。大丈夫」
僕の三倍は大きな魔物は、僕を見下ろしてニヤニヤしている。姿形は人に近いが、眼球に瞳はなく、ただ赤くギラギラと光っている。
振り上げた手を僕に向かって降ろしてきた。
「ラウトっ! ……?」
アイリが悲鳴をあげる頃には、僕はアトラスの両腕を斬り落とし、アトラスの背後に回っていた。
動きは遅いし、力も大したことがない。レプラコーン製の剣は切れ味も抜群で、アトラスの身体を簡単に貫通する。
アトラスが僕を見失っている隙に、背中から首を斬り落とした。
アトラスは数秒そのままだったが、首が地面に落ちる頃、現れた時よりも大きな地響きを鳴らして倒れ、魔物の核を残して消え去った。
「皆、ありがとう」
精霊たちにお礼を言うと、アイリの周囲の結界がパチンと消えた。
「立てる?」
差し出した手を、アイリが両手で包んだ。
「凄いのね、ラウト。アトラスをあっという間に……」
「レベル上がったからかなぁ……しまった! レベルっ!」
アイリをさくっと立たせて、ステータスを出す。
……うわあ、やってしまった。
「レベル百十!? すごいわね、ラウト」
アイリが僕のステータスを覗き込んできた。
せっかくクエストをセーブして九十九に留めていたのに。
「アイリ、僕のレベルのことは誰にも言わないでね」
「それはいいのだけど、ラウト、わかってる?」
「何が?」
アイリはおもむろに歩き出すと、地面から何かを拾って僕のところへ戻ってきた。
「こんな大きな魔物の核、初めて見たわ。何を倒したか報告義務があるでしょう?」
アトラスの核は、アイリの両手に収まりきらないほど大きい。僕もこんなの見たことがない。
「なんとか隠せないかな」
「あんな大きな魔物だもの。村から見えてたはずよ」
アイリが僕の逃げ道をどんどん潰していく。
「ラウト、勇者が嫌なの? 魔王を倒しに行くのが嫌なの?」
「……勇者が嫌、かな。絶対目立つし、重めの責任を背負わされそうで」
アイリに問われて、自分の気持ちを整頓した結果がこれだ。
僕に魔王が倒せるのなら、それに越したことはない。
しかしその後、勇者だ何だと祭り上げられたり、何かを頂戴したり、そういうことが面倒くさいのだ。
特に魔王討伐には王族が関わってくる。
貴族教育をしていて一番厄介だったのが、王族との関わり方だ。
あの人たちは生きている次元が違う。僕がいっそ平民だったらまだ良かったかもしれないが、名ばかりとは言え男爵令息だ。貴族として相応の立ち振舞を要求されてしまうだろう。
「それを、監査役に正直に伝えてみたら? 話の分かる人だから、きっといい方向へ取り計らってくれるわ」
「うーん……。そうだね、そうしてみるよ」
監査役と王族、どちらの発言がより重いかは明白だ。
でも冒険者を抱える組織のトップを蔑ろにはできないだろう。
一縷の望みを賭けてみよう、というかこれしか望みがない。
「アイリって王族の方にお会いしたことある?」
「ないと思うわ。王族がどうかしたの?」
「ないならいいんだ。もう魔物もこないだろうし、村へ戻ろう」
アイリの背中を押した。
村の中心にはちょっとした広場がある。
そこでは、縄で縛られて転がされたセルパンと立ち尽くす村長さんを、大勢の村の人たちで囲んでいた。
真ん中で声を張り上げているのは、フィドラだ。
「村の南にある防護結界の魔道具が壊されていた! 他の魔道具は無事だったが、南から魔物が……ラウト! 魔物はどうした?」
フィドラが僕を見つけて声をかけると、僕の前の人たちが道を開けてくれた。
近づきながら、魔物を討伐したことを報告する。
「俺見たぞ! でっかい魔物が一瞬で消えていなくなったんだ!」
誰かが挙手して発言すると、他にも何人かが「見た」と証言した。
やっぱり見られていた。倒すところまで確認されていたか……。
「魔道具の再設置まで、村にいてくれるか?」
僕が頷くと、フィドラは人々に向かって「直近の脅威は去ったが、警戒は怠らないように」と告げて、解散となった。
残ったのは、縛られたセルパンと青ざめて俯いた村長、それから僕の父と兄達、アイリだ。
「魔道具を壊した犯人はセルパン、ということで間違いないですか?」
僕の問いに、村長はその場で膝を付き、頭を垂れた。
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