いずれだれかの
零
第1話
「えー、というわけで、当時の貴族が書き記した日記は、歴史の裏付けとなる大切な史料なのです」
教壇で日本文学の教授は歴史科の教授のような締め方をした。
講義の終わりの時刻まで残り数分。
そっと辺りを見回すと、学生の半分くらいは眠っていて、残りの半分のうちほとんどは夢うつつと言った風情に見える。
かく言う私も、こうして何かを書いていないと眠ってしまいそうではある。
昼下がりの講義はただでさえ眠気を誘うのに、
「やはり、そんなに眠いかね」
講義の終わりを告げるメロディが流れる中、いつの間にか背後に立っていた教授が、私のノートパソコンを覗き込みながら言った。
「やだなぁ、教授の講義が特に眠いってわけじゃないですよ。ちゃんと書いてるじゃないですか。『昼下がりの講義は』って」
「『ただでさえ』、とも書いてあるがね」
そういって教授は眼鏡を指で押し上げた。
さすが文学科。
言葉の言い回しには厳しい。
私は、気まずくなった空気を、苦笑いでごまかした。
実際、教授の授業は眠くなる、と、学生の間で噂にはなっていた。
けれど、私はそれをあまり悪い意味には取っていない。
「せんせーの声って、癒されるんですよねぇ」
「はい?」
私は怪訝そうにしている先生をみつめて、小さく、ふふっと笑った。
「ヒーリングボイス?っていうんですか?源氏の君の声色はかくのごとくか、と、思わせるような美声じゃないですか。それでとうとうと呪文のような古文を読み上げられたんじゃ、こっちは安らかに眠ってしまいますよ」
うんうん、と、一人で納得しながら言うと、教授は口元を手で覆いながら、
「過剰な誉め言葉を頂いて大変恐縮ですが、それは壇上に立つものとしてはマイナスでは」
「いいじゃないですか」
私は好きですよ。
敢えて飲み込んだ言葉を、ここに書き記しておこう。
いち貴族の日記が、歴史の史料の裏付けとなるように、宮大工が見えない部分に残した署名のように、いつか、私の日記も今という時代を知る、手がかりとなりうるだろうか。
そう思うとなんだかおかしい。
いずれ、私の日記を読んだ人が、何を思うだろう。
それは、私が知る由もないことだけれど、そう思うこと自体が、とても興味深いことではあるのだ。
いずれだれかの 零 @reimitsuki
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