第39話 時間との戦い

 洛陽から逃走するルートは何個かある。


 有力とされるのは北の街道だった。

 黄河があるから騎馬による追跡スピードが落ちるのだ。


 呂青たちは手分けして北側の村々を捜索していった。

 五つ目の村で『宦官らしき人物が港の方へ逃げていくのを見た』という証言を得られた。


「その男たちはひげを生やしていたか?」

「いいや。肌も白かったよ」


 間違いない。

 宦官は生殖器官を捨てているから、男と女を足して割ったような顔になる。


「どのくらい前か覚えているか?」

「さあ、八刻くらい前かな」

「子供を連れていたか?」

「どうかな……」


 一刻は約十五分だから、二時間前である。

 散っていた兵士を一つにまとめ黄河を目指した。


「もうじき日が暮れます。いかがしますか、若殿」

「かまわずに進むぞ。向こうは皇帝を背負ってでも夜通し逃げるはずだ。渡河だけは阻止したい」


 途中、小さな川を見つけた。

 兵士たちに水を飲ませて休憩させた。


「兄上は寝ないの?」

「目を閉じるだけでいい。琳は横になって休め。じゃないと体がもたないぞ」

「むむむ……」


 月の動きで三時間を計った。

 呂琳と兵士たちを起こして北進を再開させる。


 遠くで篝火かがりびの動いているのが見えた。

 向こうも呂青たちに気づいたらしく二百騎ほどが近づいてくる。


「どこの部隊だ⁉︎」

「我らは并州軍だ!」


 相手は曹操軍だった。

 まだ皇帝を見つけていないらしい。


「捜索は我らに任せて、并州軍は洛陽の守りに戻られよ!」

「お心遣い、痛み入る!」


 誰が戻るものか。

 内心で吐き捨てておいた。


 ようやく漁村が見えた時、すでに黎明となっていた。

 これから漁に出る漁師を捕まえて、洛陽から逃げてきた人がいないか尋ねてみた。


「さあね、見てないよ」

「罪人の宦官が逃げた。見つけた者には報償金を出す」


 順風隊を五人残して次の漁村へ向かった。


「宦官? 見てないよ」

「そうか。頼まれても向こう岸に渡すな」


 ここにも順風隊を五人残して街道を見張らせた。

 ジリジリと昇ってくる太陽がもどかしい。


 一日目の行軍についてきた呂琳の脚が何回かフラついた。

 野宿が体に効いたのだろう。


「琳も残っていいんだぞ」

「最後まで兄上についていく! ここで脱落したら一生後悔すると思う!」

「さすが父上の娘だな」


 全員に三十分の休憩を命じる。


 兵士の一人が水の入った竹を呂琳に渡した。

 別の兵士も新鮮ななしの実を渡している。


「琳は知らないだろうが、呂布隊の中でお前は人気者だ」

「そうなの⁉︎」

「琳と蓮と白、誰が一番美人になりそうか兵士がよく話題にしている」

「へっ……」


 呂琳が赤面する。

 乙女心はあるらしい。


「一番人気なのは蓮だな。最近、白の人気も上がりつつある」

「むかっ〜!」


 兵士たちが久しぶりに大笑いした。


 何個か漁村を通過して大きな渡し場までやってきた。

 頼む。

 見つかってくれ。

 呂青は生まれて初めて天に祈った。


「宦官を見かけなかったか?」

「ああ、それなら……」


 漁師は南を指差した。


「一人来た。舟を何艘出せるか聞かれた。金さえ払ってくれたら十艘でも二十艘でも出せると答えた。ただし、河が増水しているから二日か三日待った方がいいと伝えた」

「本当に一人だけだったのか?」

「ああ、一人だ。馬に乗っていた」


 宦官は南へ引き返したらしい。


 呂青は洛陽近郊の地図を広げた。

 そして一点を指差した。


「俺たちは南の村へ向かう。順風隊の二十五名はここに集合だ」


 五人残っていた順風隊が仲間を呼びに走る。


「千里隊は父上に俺の所在を知らせてくれ。本隊が到着するまで村で待機している」


 千里隊の十五人もいなくなった。


 約四キロ南方に村はあった。

 村人が一人、呂青を見るなり逃げ出したので、後ろから追いかけてねじ伏せた。


「誰に命令されて見張っていた?」

「それは言えない……」

「天子様か?」


 男の目に動揺が走る。


「案内しろ。宦官が天子様を誘拐した。我らは救出のための軍だ。協力してくれたら村には一切危害を加えない」

「…………」


 呂青は男の手に銀子を握らせた。


「本物の銀だ。これだけあれば今年は家族を飢えさせなくて済むだろう」

「わ、分かった」


 男は民家の物置き小屋まで案内してくれた。


「お前が扉を開けろ」

「ですが……しかし……」

「水と食料を持ってきた。そういって扉を叩くのだ」


 呂青が剣を抜くと男は観念するようにため息をついた。


「水と食料をお持ちしました」


 男がノックする。

 しかし反応はない。

 呂青はあごでしゃくり開けるよう指示した。


 扉がわずかに動く。

 すると隙間から首元を鮮血で染めた宦官が倒れてきた。


「ひぇっ⁉︎」


 男を押しどけた。

 宦官は息をしていない。

 かすかに体温が残っている。


 呂青は小屋の中をのぞく。

 自刃して果てている宦官の死体が五つ転がっていた。


 奥でわずかに動く影がある。

 子供が二人おり、片方がもう片方をかばうように立っていた。


「どこの軍の者だ」


 凛とした声が聞こえた。

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