第31話 もう一つの戦争

 それから数日後。

 呂青はむしろの上で胡座を組んでいた。


 心にさざ波が立っている。

 戦場へ行ってみたい、飛電にまたがって戦いたい、という気持ちが内側から爆発しそうなのだ。


 気になるのは呂琳である。

 兄上と一緒に戦地へ行く! と我がままを言い出すだろう。


『足手まといだから留守番していろ』と告げたところで呂琳が素直に聞くとは思えない。


 反抗期なのだ。

 呂布の命令にしか従わない。


 うなり声が聞こえた。

 難しそうな顔した高順だった。


 高順は牧場まで新しい馬を運びにきた。

 ついでに英姫のところへ布や食料を届けたのである。


 短髪の男である。

 真横からだと海坊主に見えなくもない。


 高順は腕組みを解いたかと思えば、首をポキポキと鳴らして「う〜む」と重厚な声を出し、また腕組みを再開させた。


 呂布軍のナンバーツーだし、優しくて生真面目な男である。

 でもいかつい顔のせいで三十三歳になっても独身である上、なぜか呂蓮と呂白からは悪鬼のように恐れられていた。


「どうした、高順」

「ああ、若殿ですか」


 高順が体の向きを九十度変える。


「しばらく戦続きでしたから、負傷兵が増えているのです。中には快復したら戦線復帰する者もおりますが、以前のように剣や馬を操れるとは限りません」


 戦えなくなった兵は後方支援として負担の少ない仕事に従事する。

 でも戦線へ復帰したいと申し出る者も一定数いる。


「片腕が使えない者もいます。戦地へ送り出すなんて、むざむざ死なせるようなものです」

「父上は何と言っているのだ?」

「兵糧係か馬の世話係しかないだろう、と。ですが戦士としての誇りが傷つきます」

「ふむ……」


 呂青の中でピンと閃くものがあった。


「人数はどれくらいなのだ?」

「そんなに多くはありません」


 やる気に満ちているのは三十人から五十人くらい。

 その中には牧場で見張りの任についている兵士も含まれる。


「その負傷兵たち、俺にくれないだろうか?」

「どうされるつもりです?」

「俺の軍を作る」


 高順が目を丸くした。


「戦闘のための軍隊じゃない。諜報ちょうほうのための軍隊だ。商人のフリをさせて全国に放つ。父上のために情報を集めてもらう」

「ほう……」


 しばらくの沈黙があった。

 勉強に集中していた呂白が二人の会話に聞き耳を立てている。


「先日、趙雲殿と会話して分かった。やはり情報は大切だ。并州は兵も馬も強い。だが、情報が入ってくるのは遅い。その弱点を解消したい。情報が落ちてくるのを待つのではなく、自分から集めに行きたいのだ」


 呂青の胸にあったのは『これからは情報が価値を持つ』という商人の言葉だ。

 自分だけの諜報部隊を作りたいという野望を四年間育ててきた。


「なるほど。さすが若殿です。見ている世界が広い」


 高順は目つきを変えると、剣を持って立ち上がる。


「さっそく募集をかけてみます」

「とても厳しい仕事になる。諜報しているのがバレたら、拷問を受ける危険性もある。前線の兵士に負けないくらい勇気がいる仕事だと、志願者たちには教えてやってくれ」


 足音が遠ざかっていく。

 呂青は瞑想めいそうに戻った。


 ……。

 …………。


 呂青と高順の呼びかけに応じた兵士は五十名だった。

 負傷兵ではないものの、小柄なせいで騎馬隊に向かない兵士も数名含まれていた。


 呂青は槍を持って彼らの前に立った。

 一人一人と目を合わせていく。


「父上は最強の軍を作ろうとしている」


 兵の一人がごくりと喉を鳴らした。


「不敗を貫く。最強の軍とはそういうものだと思う。しかし勝負は難しい。片方が勝てば片方が負ける。魏の呉起ごきと秦の白起はくき。この二人に並ぶくらいの偉業となる。つまり……」


 呂青は槍で地面を叩いた。


「父上の名を天下の名将として歴史に刻みたい」


 五十人の表情が一瞬にして変わった。

 目的のためなら命を捨てる戦士の顔である。


「世の中は乱れている。いずれ誰かが治める。それは父上であり、俺であり、お前たち五十人だ。たった一人の活躍が天下を左右する。それは名も無き一人の兵士だったりする。歴史とはそういうものだ。大河の水だって分解すれば一滴の水となる。呂布奉先の活躍だって分解すれば一人一人の兵士の血だ。それはお前であり、お前であり、お前だ」


 青臭いセリフであるが、誰一人笑わなかった。


「五十人の指揮は俺が執る。いずれ各地の群雄と覇を競う日が来るだろう。その相手は袁紹かもしれないし、孫堅かもしれないし、公孫瓚かもしれないし、董卓かもしれないし。だが勝つのは俺たちだ」


 呂青が左の拳を突き上げると、勝鬨かちどきのような雄叫びが広がった。


 負傷兵たちが復活した。

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