第18話 兄妹の我慢比べ

 黎明れいめいである。

 呂青はいつものように庭へ出て、練習用の棒を振っていた。


 吐く息が白い。

 風だって肌を刺すように冷たいが、今はむしろ心地よかった。


 村は死んだように静かだ。

 小鳥のさえずり以外、音らしい音はない。


 稽古をつけてもらった回数は呂布より高順の方が多かった。


 高順は教えるのが上手い男だ。

 日頃から部下たちに武器の扱いを伝授しているのだろう。


 呂布はもっと上流の問題、兵を動かすためのお金を集めたり、異民族との小競り合いに奔走ほんそうしているイメージだった。


 呂琳が起きてきた。


「おはよう、兄上」

「おはよう。今日も早いな」

「まあね……」


 呂布が出征してから呂琳の目つきは変わった。

 弓の扱いを覚えて二週間になるが、現在のところ練習をサボった日はない。


「父上、今日も戦っているかな?」

「だろうな。相手は農民だから、さっさと乱を鎮めないと、来年の収穫も壊滅的になる」

「するとどうなるの?」

「永遠に反乱は終わらない」

「世の中、悪い報せばかりだね」

「そうだな」


 呂琳が弓に矢をつがえた。

 二十歩の距離にある岩に命中させる。


「私が武器を手にすること、母上はあまり賛成してくれない」

「琳のことが心配なんだよ。いつか戦争に巻き込まれるかもしれない」

「でも実力がないと守りたいものを守れないよ」

「それは琳の言う通りだ」


 呂青は棒を振る手を休めて、妹の鍛錬を見守った。


 呂琳には並外れた集中力がある。

 勉強は得意じゃないから、好きなことに没頭するタイプだろう。


 四つ下の呂蓮はママゴトのような遊びを好んだ。

 呂蓮は虫を嫌ったりするが、呂琳が何かを恐れることは滅多にない。


「ふぅ……」


 手元の矢を射尽くした呂琳が地面に落ちている矢を回収する。


「ねぇねぇ、川へ行こうよ」

「琳は本当に水浴びが好きだな」


 村の近くに幅三メートルくらいの清流がある。


 もっとも深いところで子供の腰くらい。

 英姫からは注意するよう言われていた。


 呂琳は川辺のところで着衣を脱ぎ捨てた。

 キンキンに冷えた川面かわもに首まで沈めてしまう。


「うわっ! 寒い!」

「よく飛び込めるよな。こんな朝っぱらから」

「兄上も入ろうよ! しばらくすると体の芯がポカポカしてくるんだよ」


 呂青も全裸になって首まで入ってみた。

 極寒のような冷たさに奥歯がカチカチと鳴る。


 どっちが長く浸かっていられるか二人で勝負することがあった。

 勝つのはいつも呂琳だった。


「なあ……琳……そろそろ出ないか?」

「もう少し」

「俺の負けでいいから出よう」

「やった! 兄上が降参した!」


 二人で同時に川から上がる。

 犬みたいに体を震わせて、全身の水気を飛ばした。


「寿命が縮むかと思った」

「兄上は寒さに弱いからな」

「俺が弱いんじゃない。琳が強すぎるんだよ」


 呂琳は全裸を見られても恥じらう素振りがない。

 子供なので胸の膨らみだってゼロに等しい。


 一方、呂青は少し気恥ずかしかったりする。

 兄妹とはいえ慎むべきと思ってしまうのは、呂琳と血のつながりが無いからだろう。


「父上と母上がなんで結婚したのか、兄上は知っている?」

「さあ、直接聞いたことはないな」


 知っているのは英姫が地元じゃ一番の美人だったことくらい。


「父上が一番強い男だから、母上はお嫁さんになったんだよ」

「ああ、確かに父上の強さは有名だな」

「でしょ〜」


 呂琳は濡れた肌の上から着物をまとった。


「父上より強い武人が現れたら、琳はその人と結婚する!」


 呂青は苦笑する。


「一生結婚できないだろうな。高順ですら強いのに、父上はもっと強いんだ」

「じゃあ、兄上より立派な人が現れたら結婚する!」

「おい、責任を押しつけるなよ」


 呂琳が村へと続く坂道を駆けのぼっていく。

 木々の向こうから差し込む朝日の眩しさに呂青は目を細めた。

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