逆さ日記

桝克人

逆さ日記

 私が生まれて育った村には変わった風習がある。それが変わっているとは思ったことも考えたこともなかったが、外の学校に通うために高校生の時に村を出て、そのまま大学に進学し考古学を専攻した。風習について話し合う機会で故郷の話をし、そこで初めて『変わっている』と自覚した。

 まあ…世界と隔離したような山奥の小さな集落だから、村独自の風習があっても不思議ではないだろう。


 その変わった風習というのが夫婦の間に赤子が出来たと判ると村長から『逆さ日記』と呼ばれる、文庫本の大きさの真っ白いノートが渡されるという。表紙は何も書かれておらず、中も罫線が引いてあり、書きやすいくらいで特に変わったノートではない。ページ数も少なく二十ページくらいの薄さだ。

 因みに私はそのものを見たことがない。子供がいる親だけが手に出来るものだからだ。


 逆さ日記を渡された親は、夫婦で話あいながら、子供の一生を想像して書き記していく。一番後ろのページにまずは死ぬ年齢を書く。生まれる予定日が最初に来るように年齢を遡って記していく。一見難しいように思えるが、それなりに決まりがあるようで、死ぬ年齢は八十から百歳くらいの間を目安に書き、四、五年単位で、大まかな人生プランを予想しながら設計するだけだ。つまり、親が子供に対して、こういう人生を送って欲しいという願いを込めるのである。


 だからある程度は書くことが決まっている。生まれてから、健康に元気に育ち、小学校、中学校、高等学校、大学や就職、恋愛、結婚、出産といったごくありふれた想像する幸せな光景を描くのだ。最期は大往生で亡くなると締めればいい。

 

 そして子供が生まれて名前を決めたら、真っ白な表紙に初めて子供の名前が記される。それを神社に奉納し、その子が死ぬまで大切に保管される。死ぬときは黄泉路に持っていくように御棺に一緒にいれて燃やす。そのノートは黄泉の国で初めて本人が開くものなので、誰であろうと決して開いてはいけない。


 もし死ぬまでに開いたらどうなるのかと考えたこともある。父に訊ねると物凄い形相で叱られたことがあった。死ぬまでにノートを開けば願いは叶わない。黄泉の国から鬼が子供の匂いを嗅ぎつけて食らってしまうぞと強く叱られた。今でも思い出すとぞっとする。


 それを信じているおかげかは判らないが、確かに村は長生きするお年寄りが多い気がする。相まって村の人はその風習を信じ続けているのかもしれない。勿論私も結婚すればそうするだろう。そして親から教わったように子供に伝えるだろう。


「それって怖いよね」


 一人の生徒が言った言葉の真意がわからず私は首を傾げる。


「だってもし親がその子供を愛していなければ、すぐ死ぬとか書かれるんでしょう?なんか嫌だなぁ」


 そんなことは考えもしなかったので私は目を見開いた。他の生徒も口を開いた。


「そうだよな。それにもし嫌いなやつがいて、そいつの死を望むなら神社に忍び込んでそのノートを開けばいいじゃん。簡単にできる呪いって感じで怖ぇよ」


 教室中で怖い怖いと口々に言い、身体を震わせ鳥肌を抑えるように腕を擦る生徒もいた。


 ふと思い出した。そういえば近所で変わり者とされ忌み嫌われている人ってよく死んでいることを。大抵は病死とか事故死だ。特に気になるような不審な死に方はしない。彼らは変った逸話を聞いて怖くなって無理矢理結び付けているだけだ。



例えそうだとしても誰も証明なんかできないもんね。

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逆さ日記 桝克人 @katsuto_masu

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