第21話 表と裏

 アサリノのハンカチを拾い、彼女と同様、校舎の中に入った私は、急いで辺りを見回して、彼女の姿を探した。しかし、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。


「あっ!見て…!ヒルノ様だわ…!」


「えっ、ちょっと待って…!やば…!」


 私の向かい側から歩いてきた女生徒達が、ヒソヒソと話しているのが聞こえた。彼女達にとっては、とても小さい声で話していたつもりなのだろうが、私は地獄耳なので二人の会話が聞こえてきてしまった。


 こういう感じの人達はどこの世界にもいるんだな〜としみじみ思いながら、私はその二人に話しかけた。


「…あ、あの〜、ちょっといいかな?ここら辺でアサリノさん見なかった?」


「ヒ、ヒルノ様!?ご、ご機嫌ようでございます!」


「わ、私達に何か御用でご、ございましょうか?」


 突然話しかけられた二人はとても驚いていた。私はそんな彼女らに困惑しながらも、同じ質問を繰り返した。


「アサリノさんのこと見なかった?さっきここから校舎の中に入って行ったと思うんだけど…。」

 

 私が再び問うと、彼女達は慌てながらも丁寧に対応してくれた。


「ア、アサリノ様ならさっきそこの角をま、曲がって行かれましたよ!」


「そうなんだ…ありがとう。」


 私はその答えを聞いた瞬間、走り出した。私が遠ざかっていくと、彼女達はまたヒソヒソと話し出した。


「…ヒルノ様、アサリノ様とお友達なのかしら?」


「どうかな〜?逆に物凄く仲悪くて、今からカチコミに行くとかだったりして!」


「それありえる〜!アサリノ様は穏やかそうだけど、ヒルノ様は割とすぐ怒ったりしそうだもんね〜!」


 私は後ろから聞こえてくるヒソヒソ声に呆れながら、彼女達が教えてくれた角を曲がった。


 すると、前には、優雅に、ゆったりと歩いているアサリノがいた。


「あっ、アサリノ〜!」


 私はそう言ってアサリノに手を振った。私がアサリノを呼んでから少し間を置いて、彼女は振り返りこちらを見た。


 こちらに振り返ったアサリノは微笑みを浮かべていた。


 私は小走りで彼女の元へと近づいていった。


「あら、ヒルノさん。どうかなさいました?」


 私が目の前まで来るのを待って、アサリノはそう尋ねてきた。


「アサリノ、ハンカチ落としてない?」


「え?ハンカチ?」


 私がアサリノに、手に持っていた彼女のハンカチを見せると、アサリノは少し驚いた顔をした後、自分のポケットの中を手で確認した。


 ハンカチがないことを確認したアサリノは、私に向かって微笑んで言った。


「本当ですね…いつの間にか落としていたみたいです。…わざわざ届けて下さったのですか?」


「…ええ、まぁ…。」


「とても嬉しいです!ありがとうございます、ヒルノさん!」


 アサリノは両手をパンと合わせて、とびっきりの笑顔で言った。そう、それはハンカチを届けた側の私の方が喜びを感じてしまうような、そんな笑顔だった。


 私はそんな彼女を見て、いつの間にか微笑みが溢れていた。


 やはり、アサリノとは上手くやっていけそうだ。


 先程、生まれたような気がした確執も、私の中で、元々なかったかのように消え去った。


 私は、嬉しそうにしているアサリノに対して、冗談めかして言った。


「も〜、アサリノってばドジなんだから〜。ハンカチは令嬢の必需品なんだから、うっかり落としたりしないようにね!」


 私はアサリノにハンカチを渡した後、人差し指を立てながら得意げに言った。それを聞いたアサリノは静かに笑いながら、受け取ったハンカチをポケットにしまった。


「うふふ…わかったわ。」


 アサリノはそう言った後、周りを軽く見回してから、微笑みながら私に言った。


「ヒルノさん、ちょっといい?」


「えっ?うん!なになに?」


 私は笑顔で返事をした。


 と、次の瞬間、アサリノは勢いよく私の手を掴み、グイッと自分の身体の方へと強く引っぱった。


 そして、私に顔を近づけて、強く睨みつけながら、低めの声で言った。


「あんた、あんまり調子に乗るんじゃないわよ?」

 

 私は急に腕を引っ張られたことと、アサリノの豹変っぷりに驚いて戸惑っていた。


「…ちょっ!?えっ!?…アサリノ!?」


「こっちが大人しくしてりゃ、つけ上がりやがって…このアバズレが。」


 アサリノは、静かにだが、高圧的な言い方で私を罵倒してきた。


 戸惑う私を無視して、さらに彼女は続けた。


「いい?あの馬鹿王子や公爵の馬鹿息子達を、誑かして、手懐けたいようだけど、今後もそれをやるんなら、あんたのこと潰すから。」


「な…!?あんた、急にキャラ変わりすぎでしょ!」


 私は睨みつけてくるアサリノに臆さずに言った。しかし、彼女はさらに鋭い目つきになり、私の声に被せるかのように言った。


「黙りなさい、この豚娘。…あの男共だけじゃないわ。同級生やら、先生やらを誑かしたり、手懐けようとしたら同じく潰す。…いいわね?」


「ちょっと待って!私、別にあの人らを誑かそうとなんかしてないから…!」


 私が慌ててそう言うと、アサリノはさらに強めの口調で言った。


「嘘をつくな、クソ野郎。意地汚ねえ本性が丸見えなんだよ、腐れ尼。それに、もし本当にあんたがあいつらを誑かすつもりがなかったのだとしても、そんなの関係ない。あんたがあいつらに気に入られる様なことが万が一あれば、お前を捻り潰す。あの馬鹿息子共の理解者役は私だ。あんたの席はねぇよ。」


「…それがあんたの本性ってわけ?」


 私はアサリノに聞いた。すると、彼女はフン!と少し笑ってから言った。


「だったら?みんなに言う?信じてくれるかしらね、有象無象の阿呆共は?私がいい人で通ってるの知ってるでしょ?あんたが嘘つき呼ばわりされて終わりだと思うけど?」


「…。」


「あらら?ビビっちゃって声も出せなくなったのかしら?なら、これから先は大人しく学園生活を送ることね。そうじゃなきゃ、私があんたのこと虫みたいに潰しちゃうから。そんで、潰した時に出たあんたの体液でお紅茶でも作って、優雅にティータイムを楽しんであげるわ。そう、まるで羽化した蝶の様に優雅にね!フンッ。」


 アサリノはそう言って、得意げな顔で私のことを見下した。彼女は完全に私を打ち負かしたと思ったのだろう。


 しかし、私はアサリノに対して笑って見せた。


「フッ…。」


「…!」


 今度はアサリノが驚いた顔で私のことを見た。私は、自信満々な表情で彼女に言った。


「大丈夫よ。私、あんたに裏の顔があることくらい予想してたから。」


 私はアサリノの手を振り払い、申し訳なさそうなフリをしながら言った。


「それよりごめんね〜。私、彼らを誑かしたつもりなんてなかったんだけど〜、向こうが勝手に私のことを気に入っちゃったみたいで〜、でも、アサリノちゃんに〜嫌な思いさせちゃったなら謝るね〜。あっ、あと、あなたの名前を聞いて笑っちゃったことも謝っとくね、ごめんちゃい!」


 私はてへぺろのポーズをしてアサリノに渾身の煽りをかました。それが効いたのか、彼女は怒りでプルプルと身体を震わせながら言った。


「…おい。お前ぇ、マジで調子にのんじゃねぇぞ…!名前を笑った件に関しては目を瞑ってやったのによぉ…!…あと、その口調とちゃん付けをやめろよボケが…!舐めてんじゃねぇぞ…!この無才の能無し売女がよぉ…!」


 それを聞いた私は、アサリノを強く睨みながら答えた。


「んだと、てめぇ…!やめて欲しかったら、そのハンカチを鼻の穴から入れて、下半身の何処かしらから出してみろよ…!」


「何処かしらってどこだよ…?ちゃんと指定しろよ芋虫が…!」


「慈悲与えてやったんだろうが…!自分で勝手に決めろや…!」


 私とアサリノは口論と睨み合いをしばらく続けていた。お互いに一歩も引かないような、そんな口論と睨み合いだった。


 私達の周りには誰も人がいなかった。少なくとも、私達の口論が聞こえる距離には誰もいないだろう。私達は声を抑えながら口論をしていたので尚更だ。


「大体、お前はトロールのケツ…」


 と、アサリノが私に対して何かを言おうとした、その時だった。


 私の後ろから声が聞こえてきた。


「あっ…!見て…!アサリノ様とヒルノ様が話してるわ…!」


「えっ…!マジじゃん!ヤバ!」


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