第19話 友人キャラはアサリのお味噌汁

 その女生徒は私達の注目を浴びながら、ゆっくりと歩いてきた。


 その子は、肩くらいまでの赤みがかった茶色の髪、少し大人びていて穏やかそうな顔立ち、透き通ったブラウンの瞳、そして私よりは低いが周りの子よりは少しだけ高めの身長という見た目をしていた。


 取り巻き達はその子を見るなり、ヒソヒソと話し出した。


「あの方!アサリノ様よ!?お綺麗…!」


「と、とても可憐で優雅だわ…!」


 など、彼女を称賛するものがほとんどであった。


「フフッ、ステイ様?ヒルノ様が困惑されていますよ?」


 彼女は穏やかな笑顔を浮かべながら、ステイに向かって言った。


 それを聞いたステイはゆっくりと立ち上がって、彼女を見つめながら言った。


「おお、これはこれは。アサリノ嬢ではないか。僕は今、ヒルノに対して、王子として敬意を表していたところだよ。」


 ステイがそう言うと、アサリノと呼ばれた彼女は、彼に一礼をしてから続けた。


「ええ、それはとても素晴らしいことだと思います。しかし、ヒルノ様からしてみれば、急にこの国の王子様が現れて、さらにその大勢の支持者の方達から、いきなり注目を浴びることになったわけですからね。」


 アサリノはステイに向かってそう言った後、私の方を向いて笑顔のまま「ね?」と首を傾け、同意を求めた。


 いきなり同意を求められた私は、少し間を置いて戸惑いながら軽く頷いた。


 アサリノはそれを見ると、再びステイの方を見た。


「いきなりそのような状況に立たされたら、誰だって困惑してしまいます。なんせ、この国の王子様にお会いすることなんて、普通は滅多にありませんからね、フフッ。」


 アサリノはそう言うと、また私に笑顔を向け、同意を求めてきた。私は相変わらず戸惑いながらも、さっきと同じように頷いた。


 そんな私達二人の様子を見ていたステイは、顎に手を当てて何かを考え始めた。


「…なるほど。主観的に考えるだけではなく、愚民の立場になって物事を考える能力も、王子には必要というわけか…。」


 ステイはそう呟くと、私の方に向き直って言った。


「ヒルノ、すまなかった。急に注目の的になってさぞ困惑しただろう?いや、王子の僕が急に現れたところからか。」


「…いや、まぁ、あんたが来る前から、色々と困惑することは多くあったから別にいいわよ。」


「僕もまだまだ王子としての自覚が足りないな。」


 ステイはそう言うと、やれやれといった感じで肩をすくめた。


 私はそれを呆れた様子で見ていた。


 彼は、私の呆れた表情なんか意にも介さないといった様子だった。


 しかし、しばらく彼を見ていると、一瞬だけ本当に反省しているかのような、なんだか悲しげな表情が垣間見られた。


「えっ。」


 私は思わず声を出してしまった。


「ん?どうしたんだい?」


 それに反応したステイが私に対して聞いてきた。私は慌てて誤魔化した。


「い、いや、別に。なんでもない。」


 確かに一瞬だけ、私には彼が悲しんでいるように見えた。王子としての自覚が足りないという言葉を、重く捉えているような感じがした。


 一体、彼の悲しげな表情はなんだったんだろう…。


 私の頭の中はその疑問に支配された。


 私がぼーっとステイのことを見つめていると、急にメリルの声が聞こえてきた。


「あっ!アサリノちゃんだーっ!」


 メリルはそういうと、アサリノの元へと走って、そのまま彼女に抱きついた。


「アサリノちゃん!久しぶり!私、アサリノちゃんと同じ学校でとっても嬉しいな!」


「フフッ、お久しぶりね、メリルちゃん。私もメリルちゃんと同じ学校でとっても嬉しい。」


 アサリノは抱きついてきたメリルを受け止めながら、優しく彼女に言った。


「へー、二人とも知り合いなの?」


 メリルの声で現実に引き戻された私は、じゃれ合う二人を見ながら問いかけた。


 すると、メリルが嬉々として私の問いに答えた。


「そうだよ、ヒルノちゃん!アサリノちゃんとは昔お友達になって、いーっぱい遊んだんだよ!ねーっ!」


 メリルはそう言うと笑顔でアサリノに同意を求めた。アサリノはそれに対して微笑みで返した。


「あっ!そうだ!」


 メリルはそう言うと、片方の手でアサリノの手を、もう片方の手で私の手を掴むと、グイッと引っ張ってアサリノと私を向かい合わせた。


「ヒルノちゃんも、アサリノちゃんとお友達になろ?アサリノちゃんはすっごくいい子だから!はい!自己紹介!」


「ちょっ…!」


 私は怪訝そうな顔でメリルを見た。しかし、彼女は相変わらず笑顔のままだった。


 その後、私は目の前にいるアサリノに目をやった。


 アサリノは微笑みを浮かべながら、私を見つめていた。彼女からは穏やかな雰囲気が漂っていた。


 私は、前の男三人と同様、この子にも見覚えがあった。


 そう、この子も乙女ゲーム『空の彼方のユートピア』に出てくるキャラに似ているのだ。


 アサリノは所謂、頼れるお姉さん的なキャラで、正ヒロインにとって心強い味方であり、良き理解者である。


 悪役令嬢やその取り巻き達が、正ヒロインに嫌がらせなどをした時に助けたり、ヒーロー達との恋を後押ししたりしてくれるのが彼女の役割だ。


 アサリノはそのキャラに相応しい、穏やかさと、凛々しさと、美しさを兼ね備えていた。


 私がじっとアサリノのことを見ていると、彼女は少し笑って言った。


「フフッ、そんなに見つめられると照れてしまいます。」


 私はその言葉に動揺して、慌てて言った。


「あっ、ご、ごめん!な、なんか、知り合いに似てた気がしてさ〜…!」


「あら?それは光栄です!その方はどんな方なのですか?」


「えっ?…えっと〜…なんていうか、アサリノさんみたいに優しくて穏やかな感じの人で〜…とっても似てるっていうか…ほぼ一緒っていうか…。」


「フフッ、とても嬉しいです!今度、その方にお会いしてみたいわ。」


 アサリノはとても眩しい笑顔でそう言った。彼女の笑顔を見ていると、こちらもなんだか嬉しくなってしまう。そんな笑顔だった。


 たぶん、とてもいい人なのだろう。私は、アサリノの笑顔を見ながらそう思った。


「私、ヒルノ・クリムブリュレ。」


「ええ、存じております。クリムブリュレ侯爵家の御令嬢様ですよね?」


「そうそう。まぁ、でも、そういうのめんどくさいから普通にヒルノって呼んで。私もアサリノって呼んでいいかな?もちろん、アサリノが嫌じゃなければだけど。」


「フフッ、もちろんいいですよ、ヒルノさん。あっ、私はさん付けで呼ばせてもらいます。そちらの方が性分に合っていますので。…もちろん、ヒルノさんが嫌でなければ…ですが?」


 アサリノはそう言って少し微笑んだ。私はそれに対して同じく微笑みで返した。


 なんだろう。今日、初めてまともな人と知り合えた気がする。癖のある人ばかりだったから、アサリノが余計にしっかりとした人に見えた。


 他は変な人ばかりだけど、彼女とは上手くやっていけそうだ。


 私はそんなことを思いながら、アサリノに手を伸ばした。


「これからよろしくね、アサリノ。」


 アサリノは私の手を握って、微笑みながら答えた。


「ええ、よろしくお願いします、ヒルノさん。私、オミーソシル侯爵家のアサリノ・オミーソシルと申します。以後、お見知り置きください。」


「…アサリノ…オミーソシル…?…ぷっ。」


 私はそれを聞いた瞬間、吹き出してしまった。


 アサリノ・オミーソシルって。完全にあさりのお味噌汁じゃん。


 完全に油断していた。


 ステイ・キグリールやカリーフ・オルニアロールやらはインパクトが弱かったから、人の名前を聞く時の警戒心が薄まっていた。


 私は、アサリノと握手している手とは逆の手で、慌てて口を塞いで、必死に笑いを堪えた。


「…くっ…ふふっ…」


 いや、堪えられてはいなかった。たぶん、アサリノには、笑っているのがバレてしまっているだろう。再三言っているが、人の名前を笑うなんて失礼極まりない行為である。


 しかし、それがわかっていても、私は笑いを止めることができなかった。いや、笑ってはいけないと思えば思うほど、笑いが込み上げてきた。

 必死に口元を隠しながらアサリノに目をやった。彼女は先程と変わらず、少し微笑みを浮かべたまま佇んでいた。しかし、私の様子が変だということには気づいたみたいで、そのことに対して疑問を投げかけてきた。


「…ヒルノさん?どうかしました?」


 アサリノはそう私に問うた後も、変わらず微笑み続けていた。


「…いやっ…!…別に!…ふーぅ…何でもないわ。」


 全く表情の変わらないアサリノに、少し恐怖心を覚えた私は、無理矢理笑いを抑え込んで答えた。


「…そうですか。なら、よかったです。」


 アサリノは表情を変えないまま、私に対して穏やかな口調でそう言った。


 しかし、表情こそ変わらなかったが、握手している方の彼女の手に、一瞬力が入ったような気がした。


 私はアサリノにギュッと強く手を握られたように感じた。

 

 私はびっくりして、慌ててアサリノと握手していた方の手を引っ込めた。

 引っ込めた自分の手に目をやった後、アサリノの顔を見た。彼女は笑顔を一切崩していなかった。


 あれ?今…怒った?それとも気のせい…?


 私とアサリノの間に、沈黙が流れ、そして緊張が走った。


「…あは…あははは…。」


 私は沈黙を破り、無理矢理笑ってみせた。


「…フフッ…ウフフフフ。」


 すると、アサリノもそれに対抗するかのように、上品に笑い出した。


「…あはははは!」


「…ウフフフフ!」


 私達はお互いのことを探り合うかのように笑い合った。


 もしかしたら、アサリノは心の中で私に対してブチギレているんじゃないか…?私はずっとそんな心配をしていた。


 不自然に笑い合う私とアサリノを見ていたメリルは、私達二人に向かって嬉しそうに言った。


「よかったーっ!ヒルノちゃんとアサリノちゃんは、すっごく気が合うみたいだね!」


 いや、最後にめちゃくちゃ大きな確執が生まれた気がしたんだけど。ちゃんと最後まで見てた?


 私は満面の笑みを浮かべているメリルを懐疑的な目で見た。


「ええ。ヒルノさんとはとても仲良くなれそうです。ね?ヒルノさん。」


 アサリノはメリルに同意した後、私に微笑みかけてきた。


 …本当にそう思ってる?私は彼女に疑いの眼差しを向けた。


「ヒルノさん?どうかなさいました?」


 そんな私を怪しんだのか、アサリノがそう尋ねてきた。


「い、いや、別に!…仲良くなれそうだよねー!…。」


 私はアサリノのことを疑いながらも、苦笑いで彼女に賛同した。

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