第5話 お嬢様とメイド
「お嬢様、まもなく到着です。」
「…っ…う~…ち、違う!マジで違うから!!…ふぇ?」
ぼやーっとした視界にエクレアの顔が写っていた。
「…どんな寝言なんですか?」
「…あれ?エクレア?」
どうやら眠ってしまっていたらしい。私はまだ少し重い瞼をパチパチと動かして、前屈みで私を覗き込んでいるエクレアの方を見た。エクレアは私が目覚めたのを確認すると、もとの場所に再び腰かけた。
「お目覚めですか、お嬢様?」
「…ええ、起きたわ。朝ごはんはどこ?」
「ここはお屋敷ではございません。今は荷馬車で移動中です。」
「えっ?…ああ、そっか。今どこら辺?」
その問いかけにエクレアは、客人を案内する時のように手のひらで窓の外を示した。
寝ぼけ眼で外を見てみると、あまり見覚えのない景色が広がっていた。
街の中だった。とても華やかな街だ。三角屋根の立派な家がいくつも立ち並び、地面には白い石が綺麗に敷き詰められている。そして、街の人たちはみんな活気に満ち溢れていて、身に着けている服もカラフルで、それに装飾品を合わせおしゃれに着飾っている。
ここはオマンジュウ王国の中心都市「マドレーヌ」。
私が入学するマドレーヌ魔法学校があるこの国の王都である。
私は外に広がる華やかな光景をずっと冷めたような目で見ていた。
「…華やかね。」
「…そうですね。」
エクレアは同意しつつ、私と同じく窓の外を見ていた。
彼女の顔は、穏やかだがどこか悲しんでるようにも見えた。
私は、そんなエクレアを見た後、もう一度街の景色を眺めた。そして、静かに言った。
「あのさ…。」
「なんですか、お嬢様?」
「…ごめんね。」
「何に対してですか?」
「ほら…あれよ。」
「…?どれですか?お嬢様に謝っていただきたいことなら、星の数ほど…いや、それらを星にしたら、夜空が埋まってしまうくらいの数ほどありますが?」
「そこまであんたに何かした覚えはないわよ!…今、私が言っているのは、ほら…私が家を出る前に、ヨルハと喧嘩した時の…。」
「ああ、それですか。では、大いに反省して下さい。あなた方の姉弟喧嘩に巻き込まれる、私の立場が如何に大変であるかを…」
「いや、そこに謝ってるわけじゃない。そこじゃなくてさ…。」
「…いや、そこに謝って下さいよ。」
「…食べ物を粗末にしかけたこと。」
私が俯きながら、落ち着いた声でそう言った。
それを聞いたエクレアは、少し驚いたような顔をしていた。しかし、その後すぐに笑みを浮かべて、私と目を合わせた。
「それですか…。でも、それは私にではなく、まず料理をしてくれた方や食材を収穫した方々に謝るべきでは?」
「…まぁ…それはそうなんだけど。…違う、私が言いたいのは昔あなたが餓死…」
「いいんですよ。そんなことばかり考えていたら、頭の中の灯りが大人になる前に消えてしまいますよ?」
「でも…。」
「悲しいことに、それらは今の私達に解決できることではありません。お嬢様が私に気を使おうと、私がお嬢様に不快感を示そうと、です。そして、そのことを憂うあまり、目の前の事がおざなりになっては元も子もありません。…だから、お嬢様がそれを負い目に感じる必要はありません。」
「…。」
エクレアの言葉を聞いても、私はまだ少し落ち込んだ態度を示していた。エクレアは、はぁと溜息を吐いてから、横目で窓の外に目をやった。
「…家を出る前にヨルハ様にも、同じことを言われましたよ。…まったく、ずっとその事を引き摺っていたのですか?」
それに対して私は、暗い声で答えた。
「…引き摺ってないわ。今、気づいたのよ。今になってやっと気づいたから、自己嫌悪に陥ってるのよ。」
エクレアはハッとした様子で、私に顔を向けた。そして、その後直ぐにまた窓の外に視線をやった。
「人は色々なことを忘れていくものなんですよ。人を傷つけた事も、傷つけられた事も。だから、過ちを犯すのです。でも、過ちを犯したその時に、思い出すのですよ。自分が抱えている罪や、傷を。そうして、もう二度と同じ過ちを犯さないと心に誓い、自らの人としての成長を感じて…平気でまた同じことを繰り返す。それが人間なのです。だから、お嬢様だけではありません。かく言う私も、ここの華やかな景色を見て、やっと思い出しました。…もう、私は被害者というよりは加害者です。私が説けることなんて一つもありませんよ。」
私はエクレアの話を聞きながらも、街の景色を見続けていた。
「兎に角、お嬢様が反省しなければいけないのは、食べ物を粗末にしてはいけないという、基本的な倫理を破りかけたことと、十五にもなって年下の弟と喧嘩をしたってことの二つですね。それらはご自分で反省なさる事で、私に謝ることではありません。」
「…わかったわ。じゃあ、今のは忘れて頂戴。」
その後、私は何も言わずにただ荷馬車に揺られていた。
初めて出会って何年も経つというのに、私はエクレアとの距離感の取り方がわからない。そんな自分が情けなくて仕方なかった。
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