第3話 おねショタとお別れ

 私達の母親のアサーニャ・クリムブリュレが部屋に入ってきた瞬間、そこにいる全員に緊張が走った。


 私は、部屋に入ってきた母さんに対して、小さく震える右手をゆっくりと上げて、朝の挨拶をした。


「…や、やぁ、母さん…お、おはよう…。」


「おはよう、ヒルノ。ちゃんと挨拶できて偉いわね。」


「…あ、ありがとう。」


「ところで、この部屋から大声で言い争っているような声が聞こえてきたんだけど…何か心当たりはない?」


 母さんは、ニッコリと笑いながら私に聞いてきた。


 私はビクッとなりながらも、母さんに返答をした。


「いやー…大声なんて聞いてないけどな~…。…か、母さんの聞き違いじゃないの?…あっ!…わ、わかった!母さん、昨日飲んだお酒がまだ残ってて、幻聴聞いちゃったとかじゃない…?…も~、しっかりしなよ!この酔っ払い!…っ。」


 私は、あたふたしながら無理矢理笑った。


 そんな私に対して、母さんは微笑みながらだが、低くて太い声で言った。


「下手な発言は自分の首を絞めることになるわよ、ヒルノ?」


「…はい。」


「私が聞いた限りだと、ヒルノとヨルハが大声で言い争っているように聞こえたわ。それに、『ショタコン・バースト』やら『シスコン・サンダー』やら、攻撃魔法を唱える声も途中で聞こえてきた。…勿論、あなた達二人の声でね。」


 母さんは、優しい目つきからナイフのように鋭い目つきに変わり、私とヨルハを交互に睨んだ。


「悪いのはどっち?」


「…!」


 そう問われた私とヨルハは、コンマ一秒もかからない程の速さで、お互いの顔を指差した。私とヨルハの腕と指は、今まで生きてきた中で一番綺麗なんじゃないかってほど、ピシッと真っ直ぐ前に伸びていた。


 それを見た母さんは、信用ならないといった様子で私達から目を逸らすと、机の上に乗っているエクレアに視線をやった。


「クレアちゃん?悪いのはどっち?」


 母さんはエクレアに対して、ニッコリと明るい笑顔で問いかけた。その笑顔はとても穏やかだったが、どこか威圧的にも見えた。


 エクレアはその圧を感じ取ってか、若干困った様子で、私とヨルハを交互に見た後、母さんに向かって言った。


「お二人共、同等の悪さです。」


 エクレアはそう言って母さんを見た。


 それを聞いた母さんは静かに私とヨルハに言った。


「ヒルノ、ヨルハ。ここに来て、座りなさい。」


「…えっ?」


「早く来なさい。」


「…はい。」


 私とヨルハは恐る恐る母さんの前に歩いていき、そして正座をした。


 母さんは私達を見ながら、ゆっくりと大きく息を吸い込んだ。


「コラァアアア!!あんた達ぃいい!朝から何はしゃいどんじゃあああ!!」


 怒号が飛んだ。


 それは、さっき私とヨルハが言い争っていた声よりも遥かに大きな声だった。


「言い争う声が隣の部屋まで聞こえてきてんのよ!あんた達!いい加減に落ち着きなさい!一体いつになったら大人になるの!特にヒルノ!あんた今日でこの家離れるんでしょうが!そんなんじゃ向こうでやっていけないでしょ!」


「…だって、ヨルハが!」


「姉ちゃんだろ!」


「二人とも黙りなさい!!八つ裂きにするわよ!」


 私達はしゅんとして黙って下を向いた。それを見た母さんは、はぁ…とため息をついてから言った。


「いい?あなた達。外で喧嘩する分には、まだ構わないわ。でも、ここは家の中。ましてや、あなた達は食事中だったでしょ?…そのお皿に乗っている料理はタダ?ヒルノ、あなたがフォークに刺して食べかけてた、一口サイズに切られたジャガイモは、勝手に湧いてくるものなの?」


 母さんは、私とヨルハが魔法を放った時の風圧で、若干乱れてしまった机の上の料理を指差しながら言った。


 私達は母さんが指差した方を見た後、声を合わせて答えた。


「…違います。」


「そうでしょ?それを育てて収穫して、料理した人がいるからあなた達が食べれているわけでしょ?もし、あなた達の喧嘩のせいで皿がひっくり返ったら…。」


「…ごめんなさい。」


 私とヨルハは下を向いたまま、声を合わせてそう言った。そんな私達に母さんは続けた。


「侯爵家の人間だからこそ、そういう意識を忘れないように。…いい?」


 私とヨルハは黙って同時に頷いた。


「わかったならいいわ…。ヒルノ、さっさと食べて、家を出る準備をしなさい。ヨルハはそれを手伝うのよ。ほら、いったいった!」


 そういって母さんは手を払う動作をした。私とヨルハは互いの顔を見合わせた後、ゆっくりと立ち上がり、各々の席に戻った。




 学校に持っていく荷物は、昨日まとめておいたので、後は運び出すだけだ。そして、メイド達が外まで運んでくれるので、私は最終チェックをするだけである。


 私はメイド達に着替えと化粧をしてもらい、外に出る準備をした。


「これでお嬢様の着付けもしばらくはお預けですね。寂しくなりますわ〜。」


 そう言ったのはメイド長のマーマレー・ドジャムさんだ。彼女は、私が生まれた時からこの屋敷で働いている熟練メイドだ。


「え〜?本当かなぁ?マーマレーさん的には仕事が減って楽なんじゃないのぉ〜?」


 そう聞かれたマーマレーさんは優しく微笑みながら言った。


「…確かに仕事が減って楽にはなりますが…」


「ああ、そこは否定しないんだ。」


「私はヒルノ様がお生まれになった時からお使えしております。そのヒルノ様が15になられて、ここを離れられるとなると…この鉄の女、マーマレーといえど、涙なしにはお送りできませんわ。」


「…いつから鉄の女になったのよ?あなた?」


 マーマレーさんは全然、鉄の女じゃない。っていうか、人一倍涙脆い。


「どうせ、また戻ってくることになるんだし、そんな寂しくもないでしょ。それまでの辛抱だよ、マーマレーさん。」


「ええ、わかってはいるのですが、そうだとしても…ううっ…。」


 マーマレーさんは泣き出してしまった。それを私は背中をさすって宥めた。


「も〜、大袈裟だな〜。ちょっと離れるだけでしょ?まったく〜!」


 私がマーマレーさんを宥めていると、マーマレーさんに触発されたのか、周りのメイド達が私の元へ寄ってきた。


「お嬢様!私も悲しいです~!」


「どうか、向こうでもお元気で!」


「いっつも陰口言ってすいませんでした〜!」


 メイド達はそう言って私の周りを囲んだ。私はそんなみんなに苦笑いを浮かべながら、優しく言った。


「みんな、どうしたのよ、急に〜。出て行きにくくなるじゃな〜い。あと、陰口言ってた奴は許さないからね。」


 私はみんなを宥めたが、みんなの感情はなかなか落ち着かなかった。




 ある程度の準備を済ませ、部屋の外に出ると、弟のヨルハが壁に軽くもたれ掛かりながら立っていた。


 私がヨルハの方を見ると、ヨルハは私から目を逸らした。


「何よ?」


「別になんでもないけど?」


「何もなかったらそんなとこに立ってないでしょ?なんかあるんでしょ?何よ?」


「…姉さん、次いつ帰ってくんの?」


「えっ、まあ、大きな休みがあるからそこだと思うけど?」


「ふーん…」


 ヨルハが少し悲しそうな顔をしている様に私には見えた。だから、私はわざとヨルハを煽るかのように悪態をついた。


「何よ~!やっぱり寂しんじゃないの~?あんた?」


 絵に描いたようなニヤニヤ顔で私は弟を肘でつついた。すると、ヨルハは少し照れながら私の目を見て言った。


「…ああ。ちょっと寂しいよ。姉さんがいなくなるの。」


「えっ…。」


 てっきり勢い良く否定してくるもんだと思っていた私は、我が弟の急激なデレに驚いてしまった。


 …こういう時、姉としてなんていうべきなのだろうか…?


 私は迷った。


 でも、迷いながらもちゃんとヨルハに向き直って言葉を紡いだ。


「大丈夫よ。私がこの家を離れても、あんたは私の弟で、私はあんたの姉。これは絶対に変わらないんだから。ほら、私があんたのデザート横取りして喧嘩になった時も、私が覚えたての攻撃魔法をあんたに乱射した時も、父さんが大事にしてた壺を私が割って、それをあんたのせいにした時も、あんたはいつだって私の弟だったでしょ?」


「…いや、ろくな思い出ねーじゃん。やっぱ、出てってくれていいよ、姉ちゃん。」


「薄情な奴め。まぁ、出ていってもこの腐れ縁は切れないけどね。」


 私がそう言うとヨルハは呆れた顔をして私を睨んだ。そして、その後ヨルハは少し笑って私に言った。


「…向こうでもがんばれよ。」


 私はそれに笑顔で答えた。


「頑張るに決まってるでしょ!お姉ちゃんにまっかせなさ~い!」


「…そんなキャラだっけ?」


「そうだけど?ほら、準備できたから外行くよ!」


 私はヨルハの肩に両手を乗せて、そのまま前にズリズリと押した。ヨルハは困惑しつつも前へと歩き出した。


 私の弟はガキのクセに普段は落ち着き払っていて、あまり笑わない。でも、時たま私に笑った顔を見せてくれることがある。


 私はそれがとっても嬉しい。


 弟とは喧嘩ばかりしていたが、それを思うととても悲しくなってきた。


「…あんまり押すなよ、姉ちゃん。」


「あんたが速く歩かないからでしょ!」


 私は、彼が後ろを振り向かないように、その背中を押して、無理矢理、前に歩かせ続けた。


 私の目が涙で潤んでいるのがバレないように。

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