第13話

もう家に帰りたくない。誰ともいたくない。この村の人、みんなが怖い。

どうして私を見てくれないの。どうしてみんな、海を愛してるの。海の碧は、人を悲しみに包むものなのに。誰も信じられない。誰も心を持っていないのに、海に引き寄せられている。


心を満たすのは幸せだけなのに。この村の人はみんな盲目になってしまっている。比喩なんかじゃない。私は見てしまった。私は知ってしまった。私は分かってしまった。知りたくなかった。知りたくない。こんなはずじゃなかった。知らなかったらどんなに幸せなことか。知らなかった。


 この世界では、何も知らない方が幸せなのかもしれない。幸せはちいさな世界でしか産まれないもの。無知は幸福なことで、憧れは憧れのままで、解像度が上がれば上がるほど見たくなかったことも自ずと明らかになってしまう。神は存在しないように。信じていたものを否定されたかのように。私はただ、縋るものが欲しかった。

私の足を支えてくれるものが欲しかった。人は皆、強くない。嘘を信じていた頃の方が、幸せだったな。


 好奇心で人の心を乱さないで。救いを求める人に真実を教えないで。それが決して嘘だとしても、それは私にとって真実に成り得るものだから。

 

 この村を取り巻く二つの儀式。献上の儀、そして成人の儀。村が閉鎖的である要因。だから村に誰も寄らないし、近づきたがらない。

 私が八歳になって四ヶ月ほどが経った頃、成人の儀があった。儀式は、成人する者と執行人、立会人、そして介錯かいしゃく人の四人で行われ、それ以外の者の立ち入りを禁じていたの。

 だから私が入れるはずもなかった。入れるはずがなかったのに、私は何故か、そこに居た。物陰の方でうたた寝をしていて、大人達はそれに気づかなかった。だから私は悪夢のような光景を見てしまった。


儀式、それは……眼球を切り落とし、偽りの眼——義眼を着ける為のもの。真実に到達させないために、救いを求める者に救済を与えるために。目が見えなくなる訳じゃない。見えていたものから不必要なものを除外した虚偽の世界。勿論、無くなったものを気づくことはない。その時には既に、真実を捉えられなくなっているから。私たちの先祖は、これを善意で行っていた。だから村の外を知ることも禁止されていたし、入口は閉ざされていたの。


 村長は全て知っていた。何百年も前から口承こうしょうによって、伝えられてきた話。死した大地。空飛べぬ鳥。無限に続く砂の海。そこの見えぬ巨大な大穴。欠けている月。ぜんぶ。ぜんぶぜんぶ。人の起こした過ち。こんな世界を誰が知りたいと思う? 誰も知っちゃいけない。だから村長は、村を守る為に善意を振りかざす。知ってしまうよりずっと楽。村長が罪を背負うことで、幸せは保たれる。争いが起きなければ、この惨劇は繰り返されない。世界を再生するには、方法はそれしか残ってない。対立する意見を排除するには根本から覆す必要がある。


それは力を無くすこと。世界の在り方を一つにすることで全ては解決する。異なる考え方をさせない。暮らしが豊かになればなるほど、人は貪欲になる。この村の人は、生きる為に必要な事しかできないようになっている。植物の栽培。家畜の飼育。漁獲ぎょかく。娯楽を徹底的に排除することで、発展をさせない。仕方のないこと。人が作り出す神秘は、破壊だけ。村の外を見れば分かる。


私はもう知りたくなかった。知りすぎてしまった。幸せなんて初めから存在しないことをもう知ってしまったから。人間は無力な存在に成り果ててしまったから。


 私はそれを知ってもなお、生きていける?

 村の人は過去を生きる。幼少の思い出を糧に生きていかなければいけない。私たちに与えられた時間は、たった二十年間。仮初の世界の、本当の姿を知ってしまったが故に、私は生きる理由を失った。

 井の中の蛙大海を知らず。でも、周りがどんなに怖く見えたとしても、私はすり寄ろうと考えてしまう。孤独の方が怖いから。独りは嫌だ。だけど私には生きている理由なんてない。でも死にたくない。独りは嫌、独りは嫌。独りは嫌。独りは嫌。独りは嫌だ。ひとりはいやだ。

 誰か私に生きる理由をください。どうかお願いします。


 そんな時、君を見つけた。暗闇にいるあなたは、私には唯一の希望のように見えたの。せめてあなただけは、こんな暗い場所から幸せな世界に導いてあげたい。せめて、残り僅かな時間を幸せなまま送り出してあげたい。きっと私は、その時救われた。生きる理由が生まれたから。だから精一杯幸せにしよう。笑顔の絶えない毎日を送らせてあげよう。ずっとずっと記憶に残るような思い出を作らせてあげよう。所詮、私のエゴなのかもしれない。だったら精一杯。この子を幸せにする。忘れない。私は誓った。大丈夫、必ず上手くいくから。

 

 「こんな暗いところで何をしているの?」

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