第10話

 駄目だ、諦めるな。誓ったんだ。彼女を救うって。僕は君のためならなんだって出来る。そうさ。まだ彼女は死んじゃいない。汐音は生きている。


 汐音を救うためなら、なんだってなれる。きっとモーセにだってなれる。海を割き、奇蹟をとどろかせることだってできるはずだ。

願え。願うんだ。想い続けろ。まだ何も恩返し出来ていない。もう一度だけ、僕に汐音を助ける機会をください。お願いします。どうか、届いてください。僕の全てを捧げます。


 その刹那、海は動き出す。うねとどろき、海は二つに割れた。荒い岩肌が姿を現し、僕の目の前に一本の長い道ができた。その先には、蒼く染まる神殿のようなものがあった。


 それは、汐音が閉じ込められている海の祠だった。願いが届いたのだ。僕は、息を整え血まみれの足を手でぬぐい、再度走り出した。このチャンスを逃してはならない。

 

 海が壁としてそびえたっている。海の底は何も変哲のない地平がただ続いていた。この星を覆っているのは、土だった。

僕は剥き出しの世界を見た。そこには何も無く、落ちていたのは白骨化した死体と薬莢、使われた爆弾の残骸、墜落したであろう飛行機や戦艦。


この星は、悲しみに満ちていた。走りながら僕は考えた。海はもしかしたら、死んだ者達の想いや願いが積み重なって出来たものなのだと。砂漠には、骸達が灰になり貯まっている。僕らは多くの屍の上で暮らしている。


この世界は悲しみを拭いきれない。その事実が海の底には隠されていた。僕は真実を知ってしまった。それを知ってもなお、僕は生き物を愛せるだろうか。海は無情にも、惨劇を見せつけた。まるでこの世に美しいものは無いと言うように。


 現実は余りにも、見るに堪えないものだった。あぁそうか、海は怒っていたのではない。海は泣いていたのだ。美しい海は、哀しみを抑えきれなかった。海は存在するだけで、多くの生き物を殺め、多くの生き物を育む、背反する存在だから。生と死が渦巻く、海はただ泣いていただけなのだ。


 奇蹟が終りを迎える。海が此方こちらにゆっくりと押し寄せてくる。気付かされてばかりだ。こんなにも知らないことだらけで、僕は何も知らなかった。


 「ありがとう」


 僕は、祠に辿り着くことが出来た。彼らのお陰で、ようやくここまで来れた。奇蹟が魅せた神秘を忘れることは絶対に無いだろう。


 水が押し寄せる中、僕は祠の扉を開けた。

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