1-20 愛情
僕には両親というものが存在しない。
もちろん、生物学的な話で言えば、あの世界のどこかには存在しているのかもしれないが、少なくとも僕はどんな人間なのかも、今どこにいるのかも知らなかった。
しかし、幸いなことに、僕は心優しい夫婦に拾われ、何不自由ない暮らしの中で育ててもらった。本当なら、その二人のことを親と呼ぶべきなのかもしれないが、どうしてもそれができずにいた。
どうやら僕は生まれてすぐに両親に捨てられ、そのまま育ての親である浮村夫妻に育てられたらしい。
夫妻は僕のことを本当の子どものように扱ってくれた。赤ん坊だった僕はその二人と血が繋がっていないことなど知る由もなかったから、まるで本当の子どものようにふるまっていたと思う。
ちょうど五歳くらいの頃だろうか。夜中にトイレへ行きたくなって、寝室を出て一階へ降りると、リビングの電気がついていて、そこから両親の話し声が聞こえてきた。
その日は祖父母が家に遊びに来ていて、四人で何かを話しているらしかった。僕は扉の裏にしゃがみこんで、こっそり大人たちの会話を盗み聞きすることにした。
「そういえばお父さん、こないだ近所の人と喧嘩したんだって?」
「喧嘩だと? 一発殴ったら倒れおって、喧嘩にもならんかったわ」
「やめなよ、暴力なんて子供じゃあるまいし……」
「ふん。あいつら、孫が似とらんとか噂しおって、こそこそ陰口を叩いておったのが悪い。たとえ血が繋がらっておらんかったとしても、孫であることには変わらんというのに」
思いがけずそんな会話を聞いてしまった僕は、トイレも行かずにこっそりと部屋に戻った。少し驚きはしたものの、不思議と納得した部分もあった。きっとそれまでもずっと、どこか違和感を覚えながら生きていたのだと思う。答え合わせをされた気分だった。
それから十五歳になって、両親から自分の出自を聞かされるまで、真実を知らないふりをして生活していた。
「血が繋がっていなくても、僕たちは絵人を本当の家族だと思ってる」
父はあのとき祖父が言っていたのと同じ言葉を使った。
気持ちは嬉しかったし、きっとその言葉は本心から出たものだったのだろう。実際にそれまでもそれからも、彼らは時に厳しく時に優しく、いつもいい両親だった。
それでも僕はずっと自分が独りであるという感覚を拭い去ることができなかった。
両親の愛情を浴びるほどに、これは自分が受け取るべきものではないのではないかという疑問が強まっていった。
何故この人たちは、こんなにも僕を愛してくれるのか。それがわからなかった。
家族どころか、友達や恋人というものすらわからず、次第に他人との距離の取り方が掴めなくなっていった。
いっそ利害関係が明確なら安心できるのに、何の価値もない僕に話しかけてくる周囲の人間は僕に何を求めているというのか。
気付けば僕は実家を出て、友達も作らず独りで暮らすようになっていた。
「そういえば、この世界に来てからは、そんなこと考えてもなかったな」
訳のわからないうちにここへやってきて、訳のわからないまま旅をしているが、元の世界で感じていた生きづらさはなくなっていた。そもそも自分からカジに話しかけて、こうして行動を共にしているなんて、普通だったら考えられないことだ。
どうやら僕はこの世界を気に入っていて、思ったより馴染んでしまっているらしい。
まるでここが本来の自分の居場所であるような、そんな感覚さえあった。
「そろそろ寝るかあ」
大きなあくびが出てきたので、いい加減ベッドに入って眠りにつくことにした。
まだ隣からはカジの大きないびきが聞こえていたが、それが少しだけ心地よく感じられた。
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