1-6 異世界で食べ歩き

 それから半日かけて森を抜け、ウェルデンの街に着いた頃には陽が沈みかかっていた。

「夜になる前に着けてよかったな」

 カジはずいぶん吞気な様子だったが、僕は精神的にも肉体的にも疲労困憊だった。

 聞いていた話では、栖原の結界によって街までの一本道は安全だということだったが、実際は全くそんなことはなかった。

 三十分に一度は魔物に出くわし、倒しては進み、倒しては進みの繰り返し。もちろんカジが倒してくれるわけだが、それでも疲弊することには変わりなかった。休憩中に頭の上に芋虫のような魔物が降ってきたときは、驚きと恐怖で心臓が止まりかけた。あのとき触れたぶよぶよとした感覚が今も手に残っている気がして気分が悪くなる。

 結界はあくまでも中級の魔物を寄せ付けないためのもので、すり抜けてしまうような小物や、逆にあのグリズロのような上級の魔物には効果がないらしい。

 ただし、結界内であれば栖原の目が届いており、本当に命の危険が及ぶ場合は助けてくれるそうだが、昼間のグリズロのときもギリギリまで現れなかったことを考えると、本当に信用できるのか不安だった。

「とりあえず今日は宿屋を探して、買い物は明日にするか」

 疲れ切った僕を見かねて、今日のところは早々に休むことになった。カジに連れられるまま宿屋に入り、すぐにベッドに倒れ込んで意識を失った。

「よう、起きたか」

 次の日、目を覚ますとすっかり日が昇ってお昼時になっていた。寝ぼけ眼で起き上がると、朝の挨拶よりも先にお腹が大きな音を立てた。

「そりゃ何も食べてないもんな。とりあえずどっか飯食べにいくか」

 簡単に身支度を済ませ、カジと二人で街に出た。

 昨日は疲れ果ててろくに街を見ていなかったが、改めて街並みを見回すと、まさに異世界と呼ぶにふさわしいような不思議な光景が広がっていた。

 建物は煉瓦造りのものが多く、街のイメージはヨーロッパのそれに近かった。しかし、至る所に商店や屋台が並んでいて、活気に満ちた街はどこかアジアの雑然とした雰囲気も感じられる。

 道行く人々は様々な恰好をしていて、僕たちのように武器や防具を身に着けた人もいれば、とんがり帽子を被った魔法使いのような人、動物の耳を付けた獣人らしき人もいる。全員がコスプレをしているような感じで、しかしコスプレにはない妙なリアルさがあった。

「ここは世界のへそって言われててな。世界中からありとあらゆるものが集まって、それらが売買される世界最大の交易都市なんだ。俺も一度来たことがあるが、ここを見て回れば、この世界の雰囲気が大体掴める感じだな。もちろん、美味いもんもたくさんあるぜ」

 そう言ってカジは通りすがりの屋台で買った串を渡してきた。こぶし大ほどの丸くて黒い物体が三つ串に刺してあって、鼻を近づけると嗅いだことのない独特なスパイスの香りが漂っていた。

「食べてみな」

 彼に促され、恐る恐る一口かじってみる。

「美味い!?」

 口に入れた瞬間、ジューシーな肉汁が溢れ出してきて、その旨味が凝縮された油とともに辛味の効いた香辛料の風味が口いっぱいに広がる。基本はピリ辛醤油的な味なのだが、その奥に酸味や甘味が隠れていて、後味はえぐみの強い苦味がわずかに舌に残る。最初は敬遠した独特な香りも、肉の味とスパイスの辛さを上手く包み込むような役割を果たし、雑然とした味を一つにまとめてそれぞれのいい部分だけを引き出していた。

「気に入ったみたいだな。だがな、他にも色々あるぜ」

 商店街を歩きながら、異世界食べ歩きの旅が始まる。食材が違うおかげなのか、どれも今まで経験したことがないような味わいのものばかりで、口に入れる度に驚きと感動が押し寄せてきた。

「こんなに美味しいものばかりなら、一生ここにいてもいいかも……」

 満腹で動けなくなるまで食べ尽くし、僕は多幸感に満たされていた。

「そういうことなんだよ。この世界では、食べ物だけじゃない、ありとあらゆるものが全く未知のものばかりなのさ。それを楽しみ尽くすのが、この旅行の楽しみ方だな」

 そのあとも彼の案内で街の色んなところに連れていってもらった。

 まずは武器屋で武器と防具を見繕い、雑貨屋で旅に必要な道具を揃え、本屋で地図とこの世界で書かれた小説を買った。他にも花屋には知らない花が、八百屋には知らない野菜が、服屋には見たこともない服が置いてあって、広場では魔法を使った大道芸が催されていた。

 スライムを頭に乗せた人や、ライオンの顔を持った獣人、千年以上生きるというエルフとすれ違い、自分よりも大きな狼に顔を舐められ、空を駆ける飛竜に乗せてもらった。

「どうだい、この世界は」

「最高だよ。こんな夢みたいな世界があったなんて、夢にも思わなかった」

 成り行きでここまで来ることになったが、この世界へ来てよかったと心から思った。

 何もない漫然とした人生を送っていた僕には、あの世界で生きていてもこんなに刺激的な体験は一生起こりえなかっただろう。生まれて初めて、今生きているという実感が湧いていた。

「そりゃよかった」

 こうして僕の異世界旅行が始まったのだった。

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