瑠璃色と白百合

 雨の音が響く。梅雨が明け、彼女が嫌いな夏がやってきたはずなのに、空は灰色に隙間を見せない。透明な雨傘から覗く空は息が詰まって仕方がない。地べたばかりに目が泳ぐ。


 あれから幾日も経っていないが、日常はいとも平然と日々を流していく。学校は体育館で形式的な通夜を済ませ、悲しい物語と過去にしていく。

 私は、その通夜に参加しなかった。そこに彼女はいない。形だけの弔いにはなんの意味もない。


 萎れた花園に目を凝らす。


 私にはなにかできたのだろうか。


 あの日、あの時。

 彼女に別の何かを伝うことができれば、この結末は変わったのだろうか。


 あるいは、変わってほしいという願望の残骸か。

 

 静かに雨音だけが支配する青塗りの水槽に、コンクリートを踏みしめる鈍い足音が背後より囁く。


 振り返ると、田中くん。

 憐れむような、優しさを醸す目で私を見つめている。


『やぁ。』


 ──……田中くん。どうしたの。


『君の姿が見えなかったから、探しにきたんだ。』


 ──……そう。


 静かな返事の後に、私は再びプールへ向き直る。

 今はあまり誰かと話したい気分でもない。


『悲しい出来事だった、ね。僕も……仲良くなれたと思ったのに、残念だ。』


 ──……ごめんね。


『どうして君が謝るんだ? 僕よりも、ずっと悲しい思いをしているはずの君が。』


 私は続く言葉が思いつかず黙る。田中くんがどんな顔をしているのか、気になりはしたが振り返ることはできない。

 すると田中くんが私の横に歩みを寄せる。彼の顔を覗くが、田中くんは枯れの花園を睨むばかりで、私とは目が合わない。


『いつか、約束したね。』


 ──なにを……?


『待合室、行ったんだろう? そしたら、話の続きをしようって。』


 田中くんは目を反らすことない。私はなぜ彼が今そのような話をするのか、理解できなかった。


 ──した。した……けど、どうして今?


 田中くんは私の問いに答えることはなく、


『僕は、誰にも逢えなかったんだ。』


 と話す。


 ──誰にも……逢えなかった?


『そう。僕が本当に逢いたかった人は、存在していなかったんだ。』


 存在していなかった、全く意味が理解できなかった。存在するとは、彼の逢いたかった人とは、そして、なぜ今この話をするのか。

 彼は逢えなかったのならなぜこの話を信じているのだろうか。私はそれも気になったが、とても冗談を言っているようにも見えなかったので、言葉を飲み込む。


『君は、逢えたんだろう? とても羨ましいことだ。』


 ──待って、なんで今この話を? 田中くんは何が言いたいの? どうしてあの時、この話を教えてくれたの?


 田中くんが私の目を見る。その瞳は、静かな優しさを滲ませている。


『どうしてあの時話したか、これは偶然としか言いようがない。君に何があったと聞かれたから、僕の体験を話した。それに尽きる。』


 ──う、うん。


『なぜ、いまこの話をするか、だったね。』


 田中くんは微笑む。


『僕は、今でも逢いたい人には逢えない。いくら望めども、逢うことはできないんだ。』


 田中くんは振り返り、立ち去る。最後に私の顔を一瞥し、


『君は?』


 と、言った。




 雨が上がった空は、夏の香りを芳醇に香らせる。彼女が嫌いな、夏の香りを。今は、私も嫌いになってしまった。

 あの日から、考えることは尽きない。


 後悔と、願望と、幸福への祈り。


 田中くんは言った。

 “僕は逢えない。君は?”と。


 きっとこの祈りは形を成すことはしない。先を照らす導にはならないだろう。



 ただ、後悔を拭ってくれるのならば。



 あの人みたいに、明日を笑わんと強くなれるのならば。



 私は逢いにいく。



 


 “幸福の鳥籠”へ。



 ─────



 朝の光が眩しい。待合室は遮るものがなく、斜陽を取り込む。



 朝には弱いが、今日は目覚ましが鳴る前に目を覚ます。食パンにたっぷりのジャムを乗せ、テレビのニュースに耳を傾ける。

 私の高校が報道されている。生徒の二人が学校のプールに鈴蘭を満たし、服毒を試みた、そのような内容だ。私の友達と、嫌いな先輩の顔がテレビに映る。コメンテーター達はあることないことを連ね、少年少女を憐れむことを口にする。友達を喰いモノにされているようで良い気持がしない。私はテレビのチャンネルを変えるが、何分な事件なので、あっちもこっちも取り上げていない番組はない。

 私は早々にパンを食べ終え、支度を済ますとすぐに家を発つ。お父さんは静かに「いってらっしゃい」とだけ言い、私を見送る。

 以前より早く家を出た分、急がずとも間に合うどころか、余裕を持って待合室に着いてしまう。この時間が煩わしくもあるが、不思議と斜陽が心地よく、胸を落ち着かせる。


 時計を見る。

 6時25分。そろそろだ。


 目を閉じて考える。私は彼女に伝うべきこととは。

 実のところ、未だ思い浮かんではいない。彼女はに幸福をみた。それを私がどうこう説法するのは間違っている。

 ただ、気になるのだ。何があったのか、何を思ったのか、何を望んだのか。

 言葉にしてほしい。教えてほしい。貴女のことを。


「な……! なんで貴女が!?」


 ゆっくりと目を開ける。考え事をしていると周りが見えなくなるのは悪い癖だ。今もこうやってドアが開かれた音も気付かなかった。


──や、久しぶりだね。


「久しぶり……? 昨日会ったばかりじゃないですか。いやまぁ、なんか恥ずかしいこと言った気がしますが……。ちょっと顔合わせづらいのはわかりますが、わざわざここに来る必要はなんですか? もしかして、私の邪魔しにきたんですか?」


 花ちゃんがまるで異質なものでも見たように驚いた顔でドアの前で立ち尽くす。

 私はほっと胸を撫でおろす。私の望みは、神様が無事叶えてくれたみたいだ。


──邪魔?


「私が昨日の夜、お供えしているのを見てここにきたんじゃないですか?」


──違うよ。


 どうやら花ちゃんもこのをやっていたようだ。果たして花ちゃんの願いは果たされなかったのか、それとも、それもなのか。

 花ちゃんはいつもの訝しむ目を向ける。ほんの数日前まで見ていたはずなのに、なにやらとても懐かしさに溢れていて鼓動が早まる。


「じゃあなんですか、たまたまこの待合室に来たとでも言うのですか? 貴女がこんな朝早くに? 冗談でしょう?」


──冗談はヘタクソでしょ?


「……確かに。じゃあなんで、」


──私が、貴女を呼んだんだ。逢いたかったよ、リリー。


 花ちゃん、リリーがさらに驚いた顔をする。このやりとりさえも胸が高揚と哀愁を隠せない。


「……、貴女、私の名前覚えてたんですね……。絶対忘れてると思ってました。」


──覚えてるよ~、失礼な。


 とは言えども、ついこの間まで覚えてなかったのは事実だが。


「本当ですか? それはまぁともかく、貴女が私を呼んだんですか? どうして……。」


 リリーがそこで言い淀み、暗い顔で黙り込む。


──どうしたの?


「……なんとなく事情は察しました。貴女は私の知る瑠璃で間違いないのでしょうが、きっともう少し先の未来から来たんですね。」


 あまりの勘の良さに関心してしまう。根拠がなんなのか気になるところだ。


──よくわかったね。


「貴女が以前ここを使ったとき、逢いたいと望んでいた人を思い出したんです。……お母さん、でしたっけ。ですから貴女は、物理的に会うことができない人と逢おうとここへ来る。それが意味成すこととは……。」


──……うん、そうなんだ。


「……怒ってます?」


──少しは?


「少し、ですか。むしろ、カンカンに怒られたほうがマシですね、これは。」


 彼女は苦笑いを零し視線を背ける。


──……お話しようよ、リリー。そうしてくれたら、私は嬉しいな。


 リリーに微笑み、私はゆっくりと待合室の真ん中付近の長椅子に腰を掛ける。

 リリーはしばらく黙って私を見つめていたが、一息緊張をとき、テキパキと私の横に座る。


「で、なんですか。わざわざ呼び出した理由は?」


──えぇ~、私たちの仲に理由なんていらないでしょ?


「バカも減らず口も相変わらずなんですね。少しは大人になってください。」


──何言ってんの、リリー死んじゃってからまだ一週間とかだよ? 変わることなんてないよ。


「男子三日会わざれば、っていうじゃないですか。乙女は一日逢わないだけで見違えているものです。」


──そうかな~、リリーもなんも変わってないと思うけど。


「私は日々自分磨きを怠りませんよ。貴女はまずよだれを拭いてください。」


──え、どこ!? どこどこどこ?


 ペタペタと顔をなぞる。朝は余裕があった分、しっかりと身支度を整えたはずなのだが。

 リリーはそんな私を見てクスクスと笑いだす。呆けた顔でその様子を見ていたが、頬を覆っていた私の両手を彼女の両手が上から添えられる。


「冗談ですよ。」


──なんだよ~、びっくりした~。


 リリーは手を私の頭に移し、


「ただ、ボサボサの髪はどうにかすべきですね。」


──ふふふ、もう騙されないよ?


 髪の毛もちゃんとセットしてきたのだ。自転車も徐行を心掛けていたので、問題ないはず。


「え、いや~……、まぁ貴女がそれでいいなら……。」


 思わず首を傾げる。リリーは苦笑いで目を反らす。

 そうして彼女の顔を見つめていたのだが、突如としてリリーの顔が曇りだす。あまり人前には出さない表情かおだ。


「謝らなければ、いけないですよね。」


 心のどこかでは、彼女を許したくないというような怒りににも似た感情が渦巻いていた。しかし、その顔は、ずるいではないか。


──……それより、教えてほしいな。リリーのこと。


 リリーは不思議そうな顔で私に向き直る。


「私のこと、ですか? ……そうですね、きっと私が死ぬときそれが未練になりうるでしょう。」


 リリーになにがあったのか、それが知りたかった。彼女は何故死ななければいけなかったのか、ずっと気がかりであった。それを知ったところで、私の過去は変わらない。また学校に行っても、リリーはもういない。

 だとしても。

 知りたいのだ。本当のことを。あの日の笑顔の意味を。脳裏にはがこべりついて剝がれない。


「誰にも話さないでくださいよ? もちろん碇先輩にも。」


──ヤダ、私の前で先輩の名前出さないで。


「よっぽどですね……。」


──嫌いも嫌い。だって私からリリー奪うんだもん。


「別に貴女のものでもありませんよ。」


──あれー?


 リリーはクスリと笑う。とても穏やかに笑う彼女だが、不意な沈黙にその笑顔が曇る。私としては彼女に笑っていてほしいのだが、適当な言葉で埋まる間ではなかった。


 リリーが一つ、息を吸って話始める。


「……私、幸せに見えますか?」


──……日による、かなぁ。


「貴女、まるで動物ですよね。隠し事も通用しない。」


 リリーの口元が渋そうに歪む。自覚はないがよく言われることなのだ。察しが良いなど、思ったことなどないが。

 リリーは黙っていた。私も黙って彼女の次の句を待っていたが、彼女は口を開くわけでもなく、自らの袖を捲り始めた。


 絶句する。彼女の腕は酷いなんてものじゃなかった。

 傷跡、痣、止血跡……。美しい彼女とは裏腹に、その体は畏怖すべき恐怖の跡が無数に刻まれていた。


「酷いでしょう? 腕だけじゃないです。私の身体中、こんな醜い傷跡ばかり。こんなもの、誰にだって見せるわけにはいきません。」


 誰がこんなひどいことを。人の成す所業ではない。胸が張り裂けるような痛みが、言葉を絞り出すのもやっとにする。


「父です。義理の、父親に。」


 リリーは語る。


 日本に来る前はとても貧乏な暮らしをしていたこと。

 彼女の母親は所謂水商売の稼業で、彼女は実の父親の顔も知らないそうで。

 幼少期は、それはそれは酷い暮らしを余儀なくされていた、と。リリーは昔の話はしたがらなかった。


「そんな救いようのない現実に光を刺したのが、今の義父ちちなんです。」


──おとうさんが……? でも腕の……。


 リリーは震えながら頷く。怒りと恐怖が鬩ぎあって、それでもリリーであろうとする望みが、ひどく儚くて、痛かった。


「……母と出会った頃の義父は、当時はとても良い人でした。母にそんな仕事は辞めて、義父の母国であるこの日本で裕福な暮らしをさせてやるって、それはもう嬉しかった……! ……嬉しかったのは、一瞬でした。」


 自分とは関わりのなかった世界の話に、言葉一つ出せなかった。偽善的な言葉など、全く意味なんてないんだと、歯を食いしばる。

 リリーは悲しそうな眼の色で続ける。


「婚姻を結び、新たな義父のもとで。この日本での暮らしは、地獄でした。人が変わったように義父は母に暴力を振るうようになりました。そんな母が痛ましくって、私は何度も止めに入った……! 母が……大好きだったから。」


 リリーは震えながら腕を摩る。恐怖だけでなく、怒りが、体中を支配していた。私は呑まれるように、見ていることしかできなかった。


義父ちちは……、もう義父なんて呼びたくないです。男は、頭のイカれた獣です。私は……その獣に抵抗なんてできなかった。リリー……白百合?」


 笑えないですよ、彼女の微笑みは乾いていた。

 

──……ごめん。


「なんで貴女が謝るんですか?」


 泣きそうになる。しかし、本当に泣きたいのは、私なんかじゃないはずだ。

 それなのに、彼女は笑っているのだ。

 それが、何よりも苦しい。


──そんな話、したくなんかないよね……。聞くべきじゃないよね……!


 リリーの気が緩むのを感じる。私は不意を突かれたように、呆けた顔を上げる。


「……良いんです。本当は誰にも話したくないけど。瑠璃には知っていてほしい。知っていてもらわないと、後悔が残る。」


 後悔というのならば。


 本当は、死んでほしくなどない。


 今はその言葉を呑みこみ、静かに頷く。


「私は……まだ大丈夫。こうして、貴女がいて。部室には先輩がいて。何より……お母さんが笑顔で私の名前を呼ぶから。どんなに今が最悪でも、未来はきっと幸せだと謳えるから。」


 彼女とて死にたくなどなかったのだ。だからこそ、死なねばならぬことが起きてしまったのだ。それは……教えてもらえなかった。


──幸せだと……。前も言ってた。青い鳥の話。どういうこと……?


 リリーはギクリと体を弾ませる。とても正直な反応をするのは彼女のお茶目な部分だ。


「それ聞きます……?」


──知ってほしいって。


「おバカ。」


──な、何急に!


ノークッションの罵倒に思わず立ち上がる。


「せっかく人がカッコつけたんですよ。貴女が汲み取るのをサボってしまっては恥を描くのはこっちなんです。」


──難しい言葉なんて使うからだよ! どうせリリーも先輩アセイカリのモノマネで意味なんてよく分かっていないんでしょ!?


「失礼ですね! 私は瑠璃と違ってバカではないのでよくわかってます~! あと、阿瀬碇ですよ。」


──まーた私の前で先輩あいつの話したー!


「今のは貴女が悪いじゃないですか! 自ら掘った穴に落ちて何言ってんですかバカですか?」


──バカなのはリリーだい! バーカバーカ!


「バカバカ言ってる貴女のほうがバカですよ、バーカ!」


──リリーのほうが~!


「瑠璃のほうが~!」


 威嚇する犬のごとく唸り声をあげて睨みあっていたが、なんというべきか、実に幼稚である。間抜けな自分と、間抜けなリリーに思わず吹き出してしまう。彼女とて同じで、同時にこらえきれず声を出して笑う。


──リリーと喧嘩したの、初めて。


「喧嘩ですか、今の?」


──口喧嘩? 犬も食わぬ……。


「まーた知りもしない言葉使って。」


──知ってるよーだ。


 なんだか子供じみた競り合いが楽しくなってしまい、ベロベローと舌を出して彼女を煽る。

 リリーはその様子を穏やかな笑顔で見ていた。私はなんだが腰を折られたようで、急に恥ずかしくなる。


「貴女ですよ。」


 恥に目を反らした不意を突かれたので、裏返った声で返事をする。


「私の幸せの青い鳥。」


 なんの話だか理解するのに5秒ほど目をパチクリさせ続けた。


「碇先輩は、この幸福の鳥籠を蔑んでいました。メーテルリンクの書物では、本当の青い鳥はすごく身近にあると記されています。碇先輩かれ曰く、このような理想郷に足を踏み入れるのは愚かだと言うんです。時が満ちれば、この出逢いも終わってしまう。夢に現を抜かすのは、目を背けている証拠だと。」


 なんとも嫌味なことを言う。だから私はかの先輩が嫌いなのだ。


「私は……先輩の言いたいこと、わかります。」


 リリーは寂しそうな顔をするが、目の奥に火が灯っている。きっと彼女は先輩のイエスマンなんぞではなく、こうやって対抗せどもしっかりと声を交わしているからこそ、惹かれあっているのだろう。無性に彼女が遠く感じ、私の心に影が差す。


「でも、」


 暗影を悟られぬよう、ゆっくりと彼女に視線を戻す。


「幸せの青い鳥では数々の冒険を経た後に本当の幸せの在処を見つけ出すんです。」


 それが意味することとは。


「やっと、見つけることができた。私の……青い鳥。クラスメイトや、道草を食った酒屋のお婆ちゃん、こうしてわざわざ甘えに来る親友や、仲直りできなかった先輩。……私の辛いだけの人生において、随分と時間がかかりました。」


 リリーはなんとも自信なさげに話す。その様子がおかしくて、聞き返す。


「それでも、私はずっと気がかりなんです。こんな私が……出逢ってもいい人たちだったのでしょうか? 私は……幸せになっても、青い鳥を捕まえてしまってもいいのでしょうか? 私は……許されるのでしょうか……?」


 許し。


 幸せに飢えているリリーが、そのような言葉を口にする。なんて、生きづらい世の中だろう。なんて、悲しい世界なんだろう。


 私には答えなんてない。


 だから、思いの丈を語ることにする。


 そっと、リリーを抱きしめる。


──リリー、幸せはね、望むものじゃないんだよ。満たされるものなんだ。その先輩でもいいけど……ホントは嫌だけど。誰かを好きになったり、友達と一緒に帰ったり、美味しいご飯を食べたり、明日も楽しみだって思ったり。それ全部が、幸せなんだ。リリーは……どうだった?


 リリーは言葉が出てこないまま、震えていた。

 感じる。彼女の安らぎを。

 恐怖も、怒りも、解けていく。


──私はね、リリー。貴女が大好きで、貴女と帰ったり、美味しいもの一緒に食べて、また、リリーと会える明日が、大好きだった。私は、幸せだったよ。


 愚図るように涙を流していくリリー。押し殺していた感情があふれ出していく。


「私も……幸せでしたよ……! 幸せだって……言っていいんですね……!」


 警笛が響く。鳥籠の終わりを知らせる。


「列車が……。」


──時間だね。リリー、乗って。


「私が?」


──それがなんだ。


 間違いないはず。この幸福の鳥籠では、が電車に乗って去っていく。それで魔法が終わる。


 リリーは列車をぼんやりと眺めながら話す。


「……あと、何日残っているんですかね。私は、何を求めてしまったんですかね。」


──教えてあげない。……でもさ、よかったら。毎朝、逢いにきてよ。


「毎朝ですか? それは、大変ですね。」


──そうだね。でも、私も頑張って逢いにくる。次は何時になるかわかんないけど、いいよね? リリーに逢いたくなったら、また、ここにきても。


 リリーは微笑み、


「約束、したじゃないですか。貴女が望めば私は、いつだってここに。」


 謳うように、そう言った。

 彼女もきっと、魔法使いなのかもしれない。


 警笛が忙しなさを増していく。リリーは列車に駆け乗る。

 もう、彼女には一週間と残されていない。私の生涯、ここに来ればリリーに逢えると言っても、もう6回だけ。伝えたい気持ちも、それは叶わない。

 吐き気のような気持ちの応酬に足がふらつく。


 リリーが私を見ている。複雑な顔で。

 どうか……幸せで。


 最後の警笛がなる。列車が動き出す。

 リリーが、去っていく。


 ────待って。


 リリー……待って。まだ伝えたいことが、いっぱいあるのに。

 貴女も……同じなの?

 窓から身を乗り出すのは危ないよ。


「瑠璃!」


リリー。


「瑠璃……私……!」


──リリー!! 私……頑張るから……! 明日はきっと……笑顔でいるからさぁ……。


 行かないで。


──どうか、貴女も……。


 貴女のことが。


──幸せで!! リリー!!!!


 大好きなのに。


「瑠璃……瑠璃……! 私も……幸せだから……!! また……、明日も。」


 また、明日も。




「幸福の鳥籠で!」





 リリーが見えなくなっていく。離れていく彼女を、大粒の涙が隠していく。




 今日は、学校を休んでしまおう。ここにいよう。そしたら、貴女が怒ってくれる気がして。


 ……それじゃあダメか。頑張るっていったじゃん。嘘つくわけにはいかない。



 泣いてばっかじゃ貴女も怒るにきまってるよね。頑張って学校に行くよ。



 頑張って笑顔でいるから。



 だから。




──今だけは……。泣いてもいいよね……りりぃ……。




──────




 六年後。

 私のお父さんも、急激に体調を崩してしまい、そのまま息を引き取ってしまった。

 就職したスーツ姿の私をみて安堵したのか、あっという間の出来事だった。

 寂しさは、世の不幸は、糸目を知らないようで。


『悲しいことが続いてばかりだね。』


──うん。でも、約束だからさ。笑顔で頑張る。


『頑張りすぎはよくないよ。たまには、息抜きでもどうだい。』


──……うん、そうする。


 笑顔で隠せど、悲しみはそこにあり続ける。

 胸を穿つ虚は、消えることがない。



 そんなときは。




ぎゅっと、寂しくなった時は。





 幸福の鳥籠へ、逢いにいく。





「はぁ~……。貴女がどれだけ寝坊しようが構いません。だって貴女が髪ボサボサでノーメイク中学生気分だろうが、私の生活にはなんの影響もありませんから。

でーすーが!

貴女の評価が下がると私の評価も下がるんです。誰かが言ってたんじゃありません。私が! 気に食わないんです! 

えぇそうです、私の自己満です。でも今更好きにさせろなんて言わせませんからね。監修、リリー・サルヴィアの妙技! 

とくと味合わせてあげて……おいおい寝ぼけるな! ここに布団なんてないんだから!

ていうかとっとと起きやがれー!!」




──お腹すいた。ご飯にしよ。花ちゃん。










       大好きなリリーのもとへ。






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謳う白百合 白州智也 @Shirazirasiizo

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