最終話

 撮影が終わった。


 彼女たちとも当分はお別れだ。編集作業が私の前に立ち塞がる。五時間の映像を半分以下にしていかなければならない。


取って付けるだけでは、つまらないただの自己満の映画になってしまう。取捨選択を迫られ、何回もその作業を繰り返し続けた。


違う。


これも違う。違う。違うんだ。何万回と見てきたシーン。画面が歪んで見え、モノクロームの景色が広がる私の瞳には、激情の灯火が失われつつあった。何度観てもあの時のものとは違う。



私は無意識にある一本のフィルムテープを映写機に取り付け、映画を観た。その映画は白黒で音もなくフィルムも傷だらけだった。


 聴こえてくるのは、映写機がベルトを動かす音だけ。フィルムに写っている剥製の動物たちは、まるで生きているようで彼らは彼らの生活を営んでいるように見えた。

 しかし映写機を通して観た彼らは、決して動いてみせなかった。


 フィルム上の彼らは生きていて、スクリーン上での彼らは死んでいた。フィルムについた傷が影となり、スクリーン上で蠢くのを僕は気にせず、ただ眺め続けた。

 やがてベルトの音もしなくなり、スクリーンも見えなくなる。


 そしてスクリーンが明るくなる。女性の後ろ姿が写り込む。ゆっくりとこちらを向き、はにかんだ。映像はそこで止まった。

 私は思い出す。この未完成の映画を続きを作りたかったことを。戦前に撮られ、そのままにされてきた祖父の作品だ。作品名は『寂然せきぜんたる世界』と現実との乖離かいりができず、映画になることが出来なかったもの。


 私はこれを映画にすると決めたのだ。



 半年後、この作品は映画になり世界に向けて上映がされることになった。私はその映画を『燦然さんぜんたる世界』と名付けた。映画となり、この作品は煌めきを取り戻したのだ。




 私は自分の映画が撮れなくなってしまった。あの強烈な体験で。その映画は私をじわじわと侵食し、蝕み、私はそれに似た違う何かしか作ることできなくなってしまった。私の中で燃える炎がゆっくりと小さくなっていくのがわかった。もう焚べる枝もなくなりつつある。


 私は映画に人生を捧げられたのだろうか。それならば本望だ。




 彼はその後二十七歳の若さで亡くなった。

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現像過程 デミ @Anemone_322

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