再会と秘密
第7話 河童の噂と和尚
滝壺に棲む河童が村の子どもを助けたという噂は、あっという間に村じゅうに広まりました。
あの日、ずぶ濡れで帰って来た男の子を見た母親が、心配して子どもに訳を聞いたのです。ですが、河童に助けられた当の本人はどうにもバツが悪くうつむくばかり、仕方なく一緒に帰って来た少年たちが事の一部始終を母親に話して聞かせたのでした。
「まったく、あんたって子は! あれほど滝壺に行っちゃいけないと言っておいたのに。」
母親は男の子を叱りながら涙を流し、最後にはずぶ濡れの男の子を抱きしめました。
その様子を見ていた近所の人が心配して駆け寄って来たので、母親は事の次第を説明するほかありませんでした。そこへ次々と近所の人たちが集まり始め、母親やすでに事情を聞いた人に何事かと聞き始めます。次々に、これこれこうでと説明が始まります。
こうして滝壺の河童が村の子どもを助けた噂は、長慶寺にも届きました。
「和尚様。大変です。今、村の者から聞いたのですが、あの滝壺で子どもが一人溺れたそうです。そうしたら、河童が滝壺に飛び込んで子どもを助けたそうですよ。
何でも河童玉という美しい気泡のような物をすぐに飲ませたそうで、しばらくすると子どもが息を吹き返し目を開けたというのです。」
村へ使いに出ていた小坊主が、ひどく慌てた様子で本堂に駈け込んで来て和尚に話しました。
「ふむ。それのどこが大変なのじゃ?」
和尚は平然と落ち着いた顔で聞き返すと、
「へっ? 和尚様。どこがって、それは・・・ あの滝壺に河童が本当に棲んでいたんですよ。その河童が、人間を滝壺に引っ張り込むって噂の河童がですよ、溺れた子どもを助けたなんて。話があべこべじゃないですか。」
「ふっふっふっ。確かに。お前の道理では話があべこべだが、そもそも河童が人間を滝壺に引っ張り込むというのが真実なのか? どの河童も、河童というものは皆そうするものなのか? 河童には河童の道理があろうに。
もし、あの滝壺の河童がその噂通りの生き物でなかったら、まことしやかに事実無根の噂を信じられ大いに迷惑している事であろう。此度、村の子どもを助けた事で今度はどのような噂を流される事やら・・・ 河童も気の毒に。」
「はぁ・・・ 確かに。和尚様の仰る通りです。私が軽率でした。経典の中のカンダタもダイバダッタもアーナンダも皆、悪の中に善を持っていました。その真の心は、噂とは違うものでした。」
小坊主は、すっかり落ち着きを取り戻しうつむき加減で言いました。
「そうじゃな。私だって心に悪を持っているぞ。それはどんなに修行を積んでも一生消えることはないであろう。だが、その悪よりも善を見て過ごすよう努め、心の中の光を大きく保っていられるよう日々精進しているだけのこと。それだけじゃ。
河童とて、きっと同じじゃ。何の不思議もあるまい。河童にも来世があれば、きっとこの善に一筋の光が差すであろう。」
「えぇ、和尚様の仰る通りでしょう。お騒がせ致しまして、申し訳ございません。」
そう言って小坊主は、静かに本堂を出て行きました。
和尚は一人になると河童の事が気になって、そのまま静かに仏様に問いかけました。
〈滝壺の河童とは、一体どのような者なのでしょうか?〉
静まり返った本堂に、線香の白い煙がまっすぐに上って行くのが見える。その煙を追いながら和尚は、
〈一つの迷いもない、性根のまっすぐな者・・・ なのかもしれぬな・・・〉
心の中で呟きました。
翌日の朝、和尚は寺の蓮池であの少年に会いました。村の小学校へ説法に行った時、話しかけてきた少年だとすぐに分かりました。
「おはよう。君は、あの時の少年だね。私に蓮華の眠りについて聞きに来た・・・」
「うん。そうだよ。覚えていてくれたんだ。和尚様、おはようございます。」
「あぁ、よかった。あの後ずっと、君の事が気になっていたんだよ。寺に来るよう誘ってやればよかったと。この蓮池の花を見せてやればよかったと思っていたんだ。」
和尚は、ほっとしたように笑顔で言いました。
「そうだったんだ。和尚様、心配してくれてありがとうございます。お寺の蓮のことは、滝壺の河童さんに教えてもらったんだ。きっと極楽の蓮池みたいにキレイだから、朝早く行ってごらんって。だから来たんだ。
それに河童さんは、僕がじいちゃんの蓮華の眠りの後押しが出来るようにって、お経も教えてくれたんだ。これ見て。お経を紙に書いてくれたんだよ。」
少年は、河童が書いてくれたお経の紙を和尚に見せました。和尚はその紙を見るなり驚いて、目を見開いています。そこには和尚がよく知る、懐かしい慈聡の文字が並んでいたからです。
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