第6話 救出された少年

 しばらく経ったある日、少年が滝壺にやって来ました。河童はちょうど夕方の経を上げようとしていたところでした。少年の気配に気づいた河童は、水の中から顔を出して少年に近付いて行きます。


「河童さん。久しぶり。時々ならきてもいいんでしょう? 僕、あのお経を全部覚えたんだ。ここに来ない日も毎日一人で唱えたんだ。そしたら覚えられたんだ。もう紙を見なくても最後まで唱えられるよ。」

「へぇー。そいつはすごいな。よし、じゃぁ今日は、一緒に唱えよう。」


河童が水の中から上がって来て少年の隣に座ろうとした時、大きな声がしました。


「やい、河童。占太から離れろ。こいつを滝壺に引っ張り込もうったって、そうはいかないぞ!」


一人の男の子が、河童めがけて走って来ました。とっさに河童は身をひるがえし男の子を交わしたので、男の子は滝壺に落ちてしまいました。


「わぁっ、大変。滝壺に落ちちゃった。どうしよう? 僕の友達なんだ。」

少年は慌てて駆け寄ろうとします。

「大丈夫だ。心配するな。」

河童は滝壺に飛び込むと、一瞬のうちに男の子を抱き上げ水の中から連れ出してくれました。


「まったく。お前の友達は面倒だなぁ。」

「河童さん。ありがとう。ねぇ、大丈夫? こいつは大丈夫?」

少年は心配して河童に聞きました。

「待ってろ。今、河童玉を飲ませてやる。」


河童は、気を失っている男の子の口を開け何やら美しい水を含んだ気泡のような物を放り込みました。


「今のは何?」

「河童玉さ。水中で溺れた人を助ける時に飲ませるんだ。じきに目を覚ます。それまで、俺は経を上げるけどお前は・・・ いや、占太っていうんだな。占太はどうする?」

「あぁ・・・ うん・・・ 僕も唱えるよ、一緒に。こいつが目を覚ますまで。」

河童と少年は、気絶した男の子の横で並んで経を唱え始めました。一緒に来ていた他の男の子たちは、少し離れた木陰からじっと様子をうかがっています。


 ちょうど経が終わる頃、溺れた男の子が目を覚ましました。男の子は、うつろな意識の中でお経を聞き自分は死んでしまったのかと驚いています。


「おい、大丈夫か? 気が付いたか?」

「あぁ、占太。俺は死んだのか? ずっとお経が聞こえていたんだ。」

「違うよ。お前は大丈夫。しっかり生きてる。滝壺に落ちたお前を、河童さんが助けてくれたんだ。」

「へっ? 河童? あぁ、そうだ。占太、お前は河童と話していたんだろう? 大丈夫なんか? 河童は、人間を水の中に引っ張り込むんだぞ。」

男の子は、思い出して聞きました。


「あぁ、噂ではね。でも、ここの河童は違うよ。とても優しいんだ。お前に河童玉を飲ませて助けてくれたんだぞ。ねぇ、河童さん。」

占太が後ろを振り返ると、河童はもういませんでした。

「あれ? さっきまでいたのに。もう帰っちゃったのかなぁ。」

占太はがっかりしました。


 そこへ木陰からじっと様子をうかがっていた他の男の子たちが出てきました。

「お前、確かに河童に助けられてたぞ。」

「河童がお前を抱き上げて、滝壺から上がって来たんだ。それから、とてもきれいな透明の玉みたいな物をお前に飲ませてたぞ。」

男の子たちは次々に話します。


「嘘だ。河童は怖いやつなんだ。俺を助けるはずがない。嘘だ。」

「じゃぁ、どうして滝壺に落ちて気を失ったお前が、今こうして生きてるんだ?」

助けられた男の子は、青白い顔をして黙ってしまいました。

「まぁ、いいさ。とにかく無事だったんだから、善かった。さぁ、みんなで帰ろう。」

占太は、男の子たちと家へ帰って行きます。


 男の子たちが皆、滝壺から去った後で河童はそっと顔を出しました。

「やれやれ、面倒な事だ。まぁ、無事に気が付いて善かった。」

慌てて隠れたものの、様子が気になってずっと見守っていたのでした。安心した河童は、滝裏でひと眠りです。





 次の日の朝。占太が学校に着くと、昨日、滝壺で河童に助けられた男の子にこっそり呼ばれました。

「あのさ。あれからよーく考えてみたんだけど、やっぱり俺が助かったのは河童のお陰かもしれない。だってあの時、滝壺にいた誰の服も濡れてなかったし水の中から俺を引き上げるなんて大人じゃなきゃ無理だ。だからこれ、家の畑で採れたきゅうり。昨日のお礼に、河童に渡して欲しいんだ。」

「なんだよ。お前が自分で渡せよ。」

占太は、きゅうりをつき返します。


「だって・・・ やっぱり怖いし、あの滝壺に近付いちゃいけないって大人たちに云われてるし・・・」

男の子は困った顔でおどおどしています。

「大丈夫だって。僕が一緒に行ってやるから。滝壺にきゅうりを置いて礼を言ったらすぐに帰ればいいさ。」

「うん・・・」

男の子は、再びきゅうりを紙に包み頷きました。



 午後遅くになって授業が終わると、占太は男の子たちと滝壺へ向かいました。そして、滝壺のふちに持って来たきゅうりを置くと、男の子は大きな声で言いました。

「河童さん。昨日は、助けてくれてありがとう。家の畑で採れたきゅうりを持って来ました。助けてもらったお礼です。」

そして一所懸命に頭を下げました。


 しばらくして顔を上げると、占太に向かって一つ頷き急いで滝壺から帰って行きました。一緒に来た他の男の子たちも彼の後を追い、あっという間にいなくなってしまいました。


「お前の友達は、騒がしいなぁ。」

「あぁ、河童さん。今の聞こえた? 昨日、助けてもらったお礼だって。受け取って。」

「あぁ、聞こえたさ。じゃぁ、遠慮なく。有り難く頂くよ。お前の名は、占太だったよな?」

「うん。占太。じいちゃんが付けたんだ。鮎の神様が守ってくれますようにって。占うに太いで、占太。」

「ふーん。そうか。お前は、水の生き物と縁があるんだな。」

河童はそう言いながらにこやかに笑っています。その笑顔につられて、占太も笑っています。


 それから滝壺のふちに二人並んで夕方の経を上げると、河童はきゅうりを持って水の中へ帰って行きました。それからも時々、占太は滝壺に来ては河童と学校であった事やいろいろな話をし、覚えた経を上げては帰って行きました。














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