話しましょう


 暗い暗い一本道。


 お月様から隠れるように道の隅っこで座り込む女の子。


 女の子はじっと夜空を見ていました。


 花火は終わり、彼女が見つめる夜空には花はもう咲きません。


 それでも女の子はじっと空を見ているのです。


 涼しげな夜の風が、彼女の透き通るような美しい髪をなびかせました。


 その姿は嘘みたいに綺麗で……そして……やっぱり寂しげで。触れようとすら思えない程の儚い雰囲気。


 それはあの日見てしまった――美しく、可愛らしく、決して心を許さない儚げな少女。そして、それこそが始めて見た桜咲玲奈という少女の第一印象。


 ……まぁ、実際はそうでもありませんでしたが。


 そんな、感慨深いような、幻想を壊されてしまったような事を考えていると、彼女――桜咲さんは視線を落とし、呆れたように笑い……


「――人の事をジロジロ舐めわすように見るな。君は変態なのか?」


 トゲトゲした言葉のボールを投げつけ、私が反論する前に……


「いや、すまない。変態だったな……訂正しよう」


 私に向けて投げつけてきたボールを奪い取り、もう一度顔面に叩きつけてきやがるのでした。


「ふぐっ~~ふがぁっ~~!」


 言い返すチャンスを潰され、私は鼻息荒く唸ります。プッチン寸前ですよ。


「はは、愉快な顔だな。ああ、とても君らしい酷い顔をしている」


 珍しく、ケラケラ分かりやすく笑いました。


「ぐぬぅ……この小娘……」


「いや、君も小娘だろ」


 開幕で嫌がらせをするはずだった刹那ちゃんの計画は失敗し、大人しく桜咲さんの隣に座りました。


「む、その足……」


 隣に座ると、桜咲さんは下駄を脱いでいました。


 指を怪我しているみたいです。


「ああ、これは……」


「水虫ですか?」


「靴擦れだ。二度とその言葉を私に向けるなよ」


 始めて会った頃と同じ、鋭い目つきで睨まれてしまいました。



 桜咲さんは道の隅で座ったまま夜空を見つめ、私はユメッチに桜咲さんがいた事を伝えます。


「さて、ユメッチにも伝えたので、合流したいのですが……あなた、動けます?」


「何だ?馬鹿にしてるのか?多少、痛みはあるが普通に……っ!?」


 下駄を履き直し、歩こうとした桜咲さんは一歩も動けず固まりました。


「普通に……何ですか?」


「普通に……痛いな」


 彼女らしくない、カチコチな動きでそう言うのでした。


 まぁ、そうなりますよね。


「でしょうね……普段であればあなたの事なんて気にせず、ガンガン行きたいのですが……」


 私は履いている靴を脱ぎ、桜咲さんの前に置きます。


「ユメッチを困らせる訳には行かないので、これを履いてください。下駄よりはマシでしょう」


 私の善意百パーセントな提案を聞いた桜咲さんは。


「いや、人が長時間履いていた靴を履きたくないんだが」


 本気で嫌がりました。


 いつものようにからかうでもなく、ただ本当に嫌そうに断ってきました。


 ですが、私はくじけませんよ。


「……気持ちは分かりますが、今回は美少女刹那ちゃんの靴なので安心ですよ。汚い、臭いどころかいい匂いでむしろ……」


「――いや、絶対に汚いし、臭いだろ。そもそも、既に君自身が少し汗臭いぞ」


 桜咲さんはこれみよがしに鼻を押さえました。


 その表情はさっきのガチな拒否とは違って、ニヤついているのです。


 ……完全に馬鹿にしてますよね、これは。


「――あなたも汗臭いと思いますけど?」


 思わずプッチンしてしまった刹那ちゃんの言葉のせいで、十分くらい互いに相手の方が臭いと罵り合いました。



 

「今回は我慢してやるが、何かしらの感染症になったら責任を取ってもらうからな」


「ええ、いいでしょう。まぁ、そんな事はぜぇ~~ったいにありえませんがね」


 結局、ユメッチを待たせる訳にはいかないという結論になり。


 桜咲さんは私の靴を。私は桜咲さんが履いていた下駄を履いて行く事に。


 そして、はぐれないように、いざ出発しようとした時……桜咲さんが声をかけてきた。


「おい……」


「何ですか?文句はもうキャンセルで……」


 まだ、納得していないのか?


 そう思い、彼女の顔を見ると……


「……」


「……ああ~~なる程ですね」


 少し赤くなった桜さんの頭の上に――ピョコピョコ可愛い猫耳がこんばんはしていました。


「……一応、聞きますが……何か心当たりあります?」


「…………し、知らない」


 桜咲さんはそれだけ言って、プイッと顔を逸らしました。


「知らないって……はぁ……仕方ないですね」


 言いたいことはいっぱいありますが、今はこの耳を早く消すことのほうが最優先です。


 近くに人の気配が無いことを確認する。


 誰も近くにはいない事がわかると、最後に桜咲さんの顔を見る。


「……」


 美しく宝石のように潤んだ蒼い瞳は、私の事を見ている。


 桜咲玲奈。彼女の顔はいつ見ても私に酷い劣等感を覚えさせる。悪意を込めた皮肉などではなくて、まるで決して手の届かない宝物を見ている様な気持ちにさせられる。


 同じ性別。同じ人間。彼女と私、容姿以外は全て同じはず……ですが、私と同じところなんて何処にも見当たらない。


 それは忘れられない美しさ。忘れる事ができない儚い思い出。


 その頭抜けた容姿と声を、私が忘れる事はきっとないのかもしれません。


「……何だ、早くしろ。誰か来たらどうする」


「はいはい、分かっていますよ」


 ゆっくりと顔を近づける。


「いきますよ……」


「……」


 始めてした頃とは違って、恥ずかしさはもうありません。まだ、交際経験も全然なのにとは思います。


 唇は重なり、桜咲さんの柔らかい感触がする。


「……」


「……」


 ほんの数秒の触れ合い。ただ、それだけのなのに体は熱くて……とってもむず痒い。


 キスへの抵抗は無くなっていくのに、この熱とむず痒さだけは強くなる。


 それがどうしてなのかは分かりませんが……


 顔を離し、頭の方を確認するとしっかり猫耳は消えていました。


「これで帰れますね。……桜咲さん?」


 いつもであれば、これみよがしに唇を拭っているのですが、今回は何故かうつむいてしまっています。


 ちょっとだけ心配になり、もう一度名前を呼ぶ。


「桜咲さん」


「……ああ、問題ない……大丈夫だ」


 今度は返事をしてくれました。


 安心して、もう一度、桜咲さんの手を繋ごうとしたら……――桜咲さんの方から強く掴まれてしまいました。


「もしかして、繋ぐの嫌な感じでしたか?」


 さっき猫耳が出たのも、それが不快だった可能性があったのでは?


 やっちまったと、ちょびっとだけ罪悪感が芽生えそうになる中、桜咲さんはしたような顔で。


「――少しだけ……話をしていいか?」


 ……私の腕を掴んだままで聞いてきました。


「いいですよ、長くならなければ」


「すまない……ありがとう」


 ただ、話をする事を了承しただけで、珍しくお礼を言い……そして、桜咲玲奈さんと私、姫花刹那のお話が始まりました。



 ◆


「……君は……初めて会った時にした……取引の事を覚えているか?」


「ええ、覚えてますよ。覚えていなければ、あなたとキスなんかしませんよ」


「ああ……そうだな……当然だ」


「まぁ、その美味しいような美味しくないような取引ももう終わりますけどね」


「ああ…………そうだな……君には……酷く迷惑をかけたな」


「全くですよ。いきなりキスをされましたし。あれやこれやがあったり、挙句にはあなたに猫耳が出てきたらキスをしないといけない。絶対に頭にこべりつきますね。あっ、悪い意味で」


「……君も大概だぞ?」


「何を言うんですか!?完璧美少女刹那ちゃんがあなたに迷惑をかけるわけ無いですよ」


「それを言う奴は間違いなく迷惑をかけているからな」


「ありえません~~むしろ、刹那ちゃんのおっぱい触って、エロいこと、いえ、えらい事になっていたあなたの方が悪いですよ」


「なっ!?あれは完全に事故だ!それに気にしてないって言っていただろ!」


「あんなドシリアスな状態で気にするな以外の選択肢は取れませんよ!おバカさん!」


「だとしても、胸の中にしまっておくべき事だろ。わざわざ引っ張り出して、私を傷つけるような事をいう必要はないはずだ。あと、君の方が私よりバカだ!バーカ!」


「バカって言う方が……いえ、これ以上は無限ループですので控えてあげますよ。刹那ちゃん偉い!」


「バーカ、バーカ、バーーーーカ!」


「ちょっと!人がもうやめようと提案したのに何ですか!?あなたの方がバカですよ絶対に」


「ふん、これ以上は私の品位も下がるからな、これくらいでやめてやろう」


「もう遅いですよ」


「……とにかく、取引ももう終わる」


「そうですね」


「そうすれば、君の顔を見る事もわざわざ隣を歩く必要もない」


「はい」


「……君も……元通りの生活に戻れる」


「そうですね」


「だから、今日で君との関係も終わり。そう思って……そうしたくて、今日、私はここに来た。最後くらいサービスしてやろうと思ってな」


「おや、そうだったんですね。その割にはサービス精神が薄かった気がしますが……――で、どうでした?最後のお友達ごっこは?」


「ああ、いつもどおり最低だった。そう君に伝えるつもりだった」


「だった?」


「あ…………おほん、そう、だった、だ。取引も九月で終わらせ、君との関係もきっぱり終わらせるつもりでいたが……なんだ……友人関係はともかく、この耳に関しては一人ではやはりどうにもならないと思ってな……だから……その……」


「だから?」


「……――その……だから……だから!」


 桜咲さんの言葉はそこで止まってしまった。


 今にも燃えてしまいそうな真っ赤な顔で。


 決壊寸前の潤んだ瞳で。


 それでも。私の顔を真っ直ぐ見る。


 きっと、桜咲さんにとって、この先の言葉は言いづらい、あまり言いたくない言葉なのかもしれない。


 でも、短い付き合いであっても、彼女が何を望んでいるのかはわかったと思う。


 ……違ったら最悪ですが。


「面倒な人ですね……別に愛の告白でもないでしょうし……」


 きっとここからは私が紡ぐべき言葉なのでしょう。


「わ……私……私と……」


 どうやら少しづつ進んではいますが、待つつもりはありません。


 言いたい事はとても簡単な言葉なんですから。


「桜咲玲奈さん……」


 それはきっと、誰もが一度は口にした。


「――私と友達になりませんか?」


 ――とても身近な告白。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る