雨の日の匂い
「おい、邪魔だ。通れない」
「あなたこそどいてください。邪魔です」
まだまだ終わらない夏休み。
ミーンミーンと、クソうるさいセミの大合唱。
嫌がらせのようなアスファルトの熱。
風はなく、ただジリジリと体を太陽に焼かれる。
そんな夏の帰り道。
狭い道で、私は
「素直に道を譲れ。私は急いでいるんだ」
「急いでいるのなら、あなたがどけばいいじゃないですか!そんな偉そうに立ってないで」
この暑さのせいか、桜咲さんはいつもよりも不機嫌そうな顔。
ブチギレ威嚇チワワが如く。
「嫌だ。他の誰かなら構わないが、君に何かを譲るというのは我慢ならない。大人しく君が私に譲れ」
「むぅ!何ですかその言い方は!そんなの私だって嫌ですよ!あなた以外であれば素直に道でも何でも譲ってあげますが、あなたには譲りたくありません。さっさとそこをおどきなさいな!」
こうして言い争う間も、太陽はジリジリと暑さをプゼント。
立っているだけなのに汗が止まりません。
早く帰って、シャワーを浴びたい。
「そもそも、この道は私の方が先に歩いていたんですよ!なら、私よりも後にやって来たあなたが譲るべきでしょう」
「うるさい!知るかそんな事。いいから、早くどいてくれ。私は急いでいるんだ」
「嫌ですー!絶対に譲りませんよ!そんなに急いでいるなら、私を無理矢理どかすんですね」
「……そうか……わかった」
「?」
桜咲さんは少しだけ距離を取ると……
「ふん!」
――私のすねを蹴るのでした。
「ーー~~っ!?」
頭にまで響くような痛みと衝撃に、すねを押さえ座り込んでしまう。
痛い、超痛いです。
「ふははは、痛いだろう?悪いが私の勝ちだ。大人しく通らせて……――水滴?」
空を見上げる桜咲さんにつられるよに、私も空を見ると……大きくて真っ黒な雲が浮かんでいる。
それに何となく、雨の匂いがする。
「……何か……まずい気がしませんか?」
「ああ、私もだ」
私がそう言うのと同時に――ゴロゴロとお腹に響く音と凄まじい勢いで雨が降り始めるのでした。
土砂降りの雨の中。
私と桜咲さんは公園の屋根のある場所へと逃げ込んだ。
屋根の下には木で出来た椅子と机だけ。
時折空を稲光が照らしながら、激しく雨が降り続ける。
「……まぁ、通り雨だとは思いますが」
カバンはそこまで濡れませんでしたが、服は最悪です。下着までびしょびしょ。
このままでは風邪をひいてしまいます。
「最悪だ……」
桜咲さんも、私と同じようにびしょびしょに濡れている。
長く綺麗な金髪からは絶えず水が滴っている。
拭くものを持っていないのか、桜咲さんは不機嫌そうにただ立っている。
「…………」
「何だ?何か用か?」
「いえ――その……タオル、使いますか?汗を拭いてしまってるので、出さないほうが良いと思いましたが……その……髪を、そのままにするのも、と思いまして」
正直、人の汗を拭いたものなんて使いたくないでしょうけど。一応、伝えるだけ伝えました。
他に何かないものか。
そう思い、カバンにタオルをしまおうとすると。
「……貸せ。確かに汚くて不快だが……濡れたままでは髪が痛むからな」
少しだけ赤い顔はそっぽを向いたまま、腕だけを伸ばしてきた。
「え……本当に使うんですか?」
自分で言っておきながら、かなりびっくりです。
「マジです?」
止む様子のない雨をぼーっと眺める。
雷の音はもう聞こえない。
なので、もう少ししたら止むかもしれません。
そう思いながら、ぼーっとする。
降り続く雨の音は意外と嫌いじゃない。
濡れるのは困りますが、結構落ち着く。
そんな音が絶えず聞こえる。
隣に座る桜咲さんはタオルを渡してから一言も話そうとしない。
タオルが想像以上に汗臭くて悶絶しているのか、借りた以上どうする事も出来ずにただじっと耐えているのか。
「……すぅ…………すぅ……ふぅ……」
呼吸も苦しそうですし。
どうしたものか。
やっぱり貸さないほうが良かったのでは?
そう思い、桜咲さんに声をかけようと。
「あの、やっぱり……あっ」
桜咲さんの方を見ると、頭には何故か猫耳が生えていた。
しかも元気がなさそうにペタンとしてる。
それほど私のタオルは臭いのですか!?
やっぱり渡さない方が良かったと、勝手にショックを受ける。
ですが、タオルが臭かろうと不快だろうと、猫耳は消さないと。
頑張れ私。
「……はぁ……キスするので……動かないでくださいね」
「ふぁっ!?」
肩を触るとすごい勢いで反応した。まるで猫みたいに。
「えっ?何ですか、どうかしました?」
「あっ……んん……いや、何でもない。……耳を消すんだろう?」
「はい、そうですけど」
「……分かった。早く終わらせてくれ」
桜咲さんはそう言うと、まぶたを閉じてキスを待つ。
それはまるで恋人のように。
……なんでそんなガチっぽい感じに?
困惑しつつも、ゆっくり唇を重ねる。
柔らかさも暖かさも、もうなれているはず。それなのに、彼女とキスをするたびに私の心臓は少し痛くなる。
死を感じさせるような怖い痛みじゃなくて、切ないような嬉しいような。
上手く表現が出来ない不思議な痛み。
「ん……終わりましたよ」
「ぅん……そうか………良くやった」
「何で、偉そうなんですか……あっ――空、晴れてきました」
真っ黒な雲は遠くに消え、代わりに夕日に照らされるオレンジの空が広がっている。
「はぁ……これでやっと帰れる。君の匂いがついたタオルのせいで、髪が臭くなった気がするからな。早く洗ってしまいたい」
「……やっぱり臭かったですかね?」
「ああ、それはもう酷い匂いだったぞ。……おい、本気で落ち込むな。悪かった、冗談だ。本当はそこまで臭わなかった。だから気にするな」
「そこまで……つまり少しは臭ったと?」
「いや、だからそれは……ちょっと面倒だぞ、今の君」
そんな事を言い合いながら、濡れた道を二人で歩く。
夕焼け空を写す水たまり。心地の良い風が吹く。
いつもとは違って、少しだけ困った様子の桜咲さん。
私はその姿をただ見つめる。
人形のように可愛らしい彼女が困る姿を見て、心臓はまた痛くなる。
不思議な痛みはちょっと強くなっている。
でも、きっと大丈夫……
この不思議な痛みも心もきっと――いつか当たり前になる。
雨の匂いを感じながら、私達は空の下を歩いた。
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